ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 06/01

2012-06-02 06:26:42 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。Twで入ってくる大飯原発に関するニュースを読み、日本の政治家やマスコミに絶望的な気分になり、午睡する。古いメモ類を整理する中で神学部時代のF教授の晩年近い頃のメモを発見。興奮する。「Wの悲劇」を見て10時過ぎに就寝。5時起床。体調快調。チュン、チュン
posted at 05:27:36

#losungenj 06.01(fri) 主を畏れれば頼るべき砦を得る。(Pro14:26)
キリストの言葉:わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。(Mat7:24)
posted at 05:43:14
#losungenj 私の黙想:
畏れるべきものを持たない人間は平気で嘘をつく。たとえその嘘が嘘だということを全ての人が知っていたとしても平気だ。なぜなら彼には畏れるべきものがないからである。昔はこれを「神をも畏れない暴君」と呼んだ。今の日本にはあまりにも暴君が多すぎる。
posted at 05:52:25

三浦 三千春 ‎>今の日本にはあまりにも暴君が多  やっぱり実感として、そうお感じになりますか?

文屋 善明 彼らは世間を怖れている(怖がっている)が、「畏れて」いない。なめている。

文屋 善明 『日本語語感の辞典』によると、「恐れる」は恐怖を感じるという意で、「畏れる」は恐れ多い意で改まった会話や文章に用いる、とされる。「恐怖」と「畏怖」とではかなり違った感情である。「畏れ多い」となるとはるかに目上の人の心遣いに恐縮する気持ちを指す。勿体ないという感情。

三浦 三千春  戦前の外相の誰だったか、ヨーロッパ某国首脳が「我々は神しか恐れない」と言ったのに対し、「(日本人の)我々は神をもおそれない」と言い、失笑を買った?というエピソードを思い出しました。

文屋 善明 日本の政治家の教養のなさは昔から同じなのですね。

三浦 三千春  教養(近代を学ぶという点で)はあったが、まさに、その近代へと導いた?神と、その神がそういう神なら必然的に我々の側に生じてくれような畏れは、今に至るまで決定的に「ない」のが、日本の悲劇ということになるような気がします。

今日の名言:RT @1meigen: 勝ち負けには、もちろんこだわるんですが、大切なのは過程です。結果だけなら、ジャンケンでいい。(羽生善治) <一言>ゲームの目的は結果ではない。そこに至る過程を楽しむものだ。その意味ではまさに人生はゲームだ。戦うべき相手は「自己」である。
posted at 06:11:15

「昨日のツイート 05/31」をブログにアップしました。 http://t.co/col3OGuT
posted at 06:39:29

只今、フェイスブックの調子が変です。アクセスできません。
posted at 09:13:56

<補遺>フェイスブックを通してのお友達から沢山の誕生祝いの挨拶を頂き感謝。今日から70年の後半に入る。昔でいうと喜寿だとか。

最新の画像もっと見る