ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 07/06

2012-07-07 05:33:39 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。説教とは主題を一点に絞る作業である。使徒派遣のテキストの「生活の座」は複雑な構造を持っているので、その一点が難しい。夜は名取裕子主演の「京都地検の女」、冤罪事件が起こる検察の体質に挑戦する女検事。10時半に就寝。5時半起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:49:07

#losungenj 07.06(fri)
あなたを贖う方はイスラエルの聖なる神、全地の神と呼ばれる方。(Isa54:5)
聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。(1Cor12:3)
posted at 05:59:36
#losungenj 私の黙想:
自分たちの「民族神」が「全地の神」であるという信仰は凄い。もし、この信仰が素直に受け継がれ発展していたら(歴史における「もし」は禁句、従って想像はできるだけ控えめでなければならない)、人類史は全く異なった様相を示していたであろう。この種の「もし」は深い反省を促す。日本の戦後史においても。
posted at 06:09:29

三浦 三千春 >自分たちの「民族神」が「全地の神」  その意味するところの解釈。
 1)自分たちの真の民族神は実は全地の創造神である(アメノミナカヌシのように)ことへの目覚め。
 2)ユダヤ民族に於いて、民族神のヤーウェが、ユダヤ民族をも相対化する全地に対してフェアーな神である。
 一方、教会歴史の中で、異邦人教会が、ユダヤ人を激しく迫害した(ヒトラーにきわまる)、という悲惨な歴史の帰結としても、ユダヤ民族(のリーダーたち)が安泰を得ようということもあって、自分たちが世界を牛耳ろう、として構想、行動している“陰謀”は、果たしてあるのかないのか?
 そう「見える」けど、実は、人間ではない神がそう導いている部分もあるだろうし、人間の陰謀の部分もあるような気がする。
 3)日本人の場合、1と2が混じっているところがある、と思えてならない。アメリカとか中国とかとの国際関係を考えながらにおいても。
 長々と書きましてスミマセン。

文屋 善明 三浦さん、詳細な解説ありがとうございました。「もし」以下、民族神ヤハウェが普遍神であるという信仰が素直に発展していたら「キリストの十字架」はなかったであろう、と言いたいところを「控え」ました。日本の歴史においては敗戦時に「アメリカ支配」ではなく「(普遍的な)国連統治」がなされていれば、という思いが込められています。

文屋 知明 神学を知らない私からすると、民族神ヤハウェが普遍神であるという信仰に発展するためには、媒介として、「愛(究極の)」が不可欠だったのでは~~???(-"-)

文屋 善明 そこで「愛」を持ってきたら短絡過ぎや。それをいうならむしろ「義」やろ。しかもその義は相手に向けられた義ではなく自己(自民族)に向けられた義である。そこから他者を支配しようとする民族主義が克服されるんや。

文屋 知明 まだ、分からん!「義」は何処から来るのか?民族神ヤーウェが「これが義だ!」と突きつけてきたら、到底「普遍神」には発展しないでしょう?「義」を極めるために「深い愛」が必要で、どちらも「人間」からは生みだされないのでは?

文屋 知明 私の「考え」は全て、(?)が付く! (ー_ー)!!

文屋 善明 あなたの「考え」に(?)が付くのではなく、神についての全ての議論は人間の「神観念」『神概念」、神理解の問題で、そこには神自身が顔を出さないという「不文律の約束」が大前提になっています。神は遠くの方でニヤニヤ笑ってご覧になっているという図です。

文屋 知明 了解出来ます!(^_-)

今日の名言:RT @osamu_dazai: 人間なんて、そんなにたくさん、 あれもこれも、できるもんじゃないのだ。 しのんで、しのんで、 つつましくやってさえゆけば、 渡る世間に鬼はない。 それは信じなければいけないよ。 <一言>「渡る世間に鬼はない」がこんなところに出てくる。
posted at 06:33:20

<FBより>お目覚めの花。緊張しすぎて一寸くたびれてしまいました。ゆっくり、ゆっくり、行こうよ。まだまだ、先は長いよ。

三浦 三千春 ああ、そういうおことばがありがたいですぅ!

文屋 知明 アニキが「緊張」することあるのかな~?(-"-)

文屋 善明 これは「私」の台詞ではなく「お目覚めの花」の台詞です。私は「シクラメンのかおり」のように「疲れを知らない子供」ですから。

文屋 知明 アニキは「ハナカンナ」の気持が分かるのですね!「ハナカンナ」の中(ナカ)取ると「ハンナ」になるけど・・・・こちらもよろしく!(^_-)

文屋 善明 私は「ナカン」を抜けば、その気持ちは分かります。

文屋 知明 「ン(運)」はつけといて~!(^_-)

文屋 善明 それはアンタの責任やろ。わしはウンじゃなく摂理の方を信じとるさかいな。

文屋 知明 まいりました!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

文屋 善明 それにしても「ニュースフィード」見てると、うちの家族しゃべりすぎやで。

文屋 知明 これは、家風だからね~!(*^。^*)

文屋 善明 そうやね~~。しゃないか。皆さん、家のモンが大変ご迷惑をおかけしています。どうぞ、家庭内のゴタゴタだと思ってお許し下さい。


「昨日のツイート 07/05」をブログにアップしました。 http://t.co/t6YlWfoy
posted at 07:14:15

先程アマゾンに予約しました。“@magosaki_ukeru: 『戦後史の正体』・宣伝:岩上安身氏も積極的に推薦に参加。「孫崎享氏の『「戦後史の正体』必読。「この国の戦後史は、国を売り、米国にへつらって出世を遂げるものと、自立を唱え敗れる者との戦いの歴史だった。」”
posted at 11:56:23

門叶さんのローズンゲン黙想をめぐって
文屋 善明 問題点がよく分かりました。新共同訳では門叶さんの様な読み方をされることは想定外だったのでしょう。その意味では、日本語の文章としては問題があるが、逐語霊感説を背景にしている新改訳は信頼に値すると思います。

三浦 三千春 あ゛~、書き込みたくてうずうずしてしまいます。

門叶 国泰 三浦さん:どうぞ!!

三浦 三千春  原語が同じ「ケドーシュ」であるのに新共同訳では、第一イザヤの部分は「聖なる方」、第二、第三イザヤと言われる部分は「聖なる神」と訳出しているのは、聖書学の成果として分かった(ことになった)、それぞれの成立時の時代背景から訳し分けようとしたものなのでしょうか?
 鍋谷氏の名前が出て懐かしいのです。氏が大きな流れを作ってきた神戸ルーテル神学校(KLTS)で10年前、勉強した思い出は深いのです。
 小さなエピソードですが、関根清三氏がKLTSの、信徒も対象の公開講座においでになり、第二・第三イザヤに言及し始められるようとする矢先、会場をきょろきょろ見渡して、「言って大丈夫なのかな」というような顔をなさったのが印象に残っています(集まった人々の間では、そういうハナシが出るのは「当然」ということであったのは、それまでのKLTSの路線の積み重ねかと思います)。
 鍋谷氏自身は、授業の中では、我々学生を、「煙に巻く」ような感じもなきにしもあらずでしたが、書いていらっしゃることを読むと明確に、旧約の著者問題等についても、ご自分の見解を持ってらっしゃるような感じがします。
 イザヤ書については、学問として(信仰としてではなく)「イザヤ一人説」を採ってらっしゃるみたいです。一方、他のところが「ここはモーセでないとイケナイ」ということでもないみたいなのが興味深いです。学問として是々非々の姿勢でいらっしゃるように感じます。学問としてちゃんとやって、それで敬虔な(神への畏れを持つ)信仰も(が)成り立つ、という信念は、私も共感する次第です。
 世界的な神学の中心地から物理的に遠く、日本の中でも東京から遠い場所で、しかし、世界の動勢に対してアンテナを張りながら神学・思索をすることが、このようなスタンスにつながっているように思えて、心強く感じた次第です。
 とてもとても本題から横道に逸れ、シツレイ致しました。

文屋 善明 一寸失礼します。同じ単語(名詞)を時代背景が異なり、従って意味内容が異なるので、異なる訳語を当てはめるというのは、どうだろうか。たとえば、福音書でイエスが「人の子」という言葉を用いられている時、この「人の子」はイエス自身を意味するから「わたし」と訳し、別な時にはこれはダニエルの預言が背景にあるから「人の子」と訳してもいいのだろうか。それは解釈の問題であって翻訳の問題ではないだろうと私は思いますが、いかがでしょうか。

門叶 国泰 三浦さん:良く調べて見ないと分かりませんが(と言っても、調べる能力はないでしょうが)、時代背景で訳し変えたとは、一寸考えられない(ような気がします)。例えば、新共同訳が「聖なる神」と訳したイザヤ60:9,14は、フランシスコ会訳は「聖なる方」、RSVは「the Holy One of Israel」と、マソラ通りに訳しています。新共同訳は「偉い方々」ばかりが集まったので!

三浦 三千春 >訳した人が違い、かつ、統一が取れなかった  と冒頭部に書いてらっしゃるような事情だと推測してらっしゃるのでしょうか? リサーチするとしたら(^^)、新共同訳の翻訳委員であった方々にインタビューして訊いてしまうのが早いかも知れないと言う気がします(する必要があるかは別として)

門叶 国泰 三浦さん:この種の質問は、聖書協会に殺到しています。私の仲間も何度か纏めて質問しています。翻訳委員は高名でもあり、既に亡くなられたこともあって、具体的に言葉にすることは皆さん遠慮しておられます。

文屋 善明 その必要はないでしょう。原則的には「公の聖書翻訳」は「匿名」が原則だと思っています。その意味では私も結構保守的ですね。もちろん、個人訳は別です。

門叶 国泰 新しい翻訳が間もなく出るでしょう(私がそれまで生きているかどうか、は別として)、楽しみに待っています。

三浦 三千春 某N氏が、詩篇のどのあたりであったか、「〇〇さんは人の意見に耳を傾けない人で~」と、ちらっとこぼしておられたことがありました(^^)。

三浦 三千春  日本聖書協会と、新改訳の方と、2つ別個にプロジェクトが進んでるみたいですね。ちなみに、KLTSのチャペルにずっと置いてあるのは「口語訳」です。私自身の信仰としては、和訳の段階でも、また私がこの日、この訳で、この箇所を読むことも、全て神の導き(聖霊の干渉?)のなかにあり、自分にとって、また会衆にとって必要な「みことば」は与えられると素朴に信じています。

三浦 三千春  >この種の質問  聖書を良く読んでいる人でないと、質問自体が出てこない質問ですね(^^) 口語訳の時代にも、いろいろ具体的な訳文に対する疑問や、問題提起があったと伺っております。それを踏まえて新しい翻訳がなされることは、キリスト教というものの性質にきわめて相応しいような気が致します。

門叶 国泰 私は信仰心も疑問だらけ、聖書学には全く無知な一介の信徒です。ただ単にヘブル語で読んで、文法的な分析をし、そして、LXX・英訳・英訳・日本語訳を十数冊読み比べ、直訳と意訳を楽しんでいるだけです。(ドイツ語は学生時代のままで進歩なし、ラテン語は85歳から始める予定です)これはこれで結構楽しめます。

三浦 三千春  神を畏れ、愛し、聖書を愛し、私のような若輩者に対しても、分け隔てなく「真理を分かち合おう」という姿勢を示して下さっているお二人こそ、真の聖書の学者の姿だと感じ入っております。本当に、対話して頂いて感謝致しております。悩み、疑問、回り道の多い自分自身の歩みも、真摯に求める姿勢があり続けるのなら、「それでいいじゃないか」と、大事なヒントを頂いたような感じで有り難いのです。

門叶 国泰 恐縮して、隠れる穴を探しています。探すまでもないか、狐には用意されていました。

門叶さんの書き込みをめぐって
ヒッグス粒子発見の報。何の役に立つか! 電子(エレクトロン)が見つかったのは、100年前。その時、これが何の役に立つのか、誰も分からなかった。今や、エレクトロニクス時代。その過程で、新しいエネルギーを手にした人間は、当然のことながら爆弾を作った。歴史に若しは不要だが、アメリカが作らなければドイツが作ったであろう、アメリカ占領軍が最初にしたことは、仁科研究所の加速器を東京湾に投げ捨てたことであった。その後、引き上げて上野の博物館に展示してあったが、今は? 人間は、流石にその後爆弾を使うことなく自重してきたが、コントロールは出来た、と勘違いして発電所を作り続けてきた。チェルノブイリの時はロシアの技術が未熟だから、と思った。スリーマイルの時はアメリカの技術も落ちたものだ、と思った。福島は、・・・新しく「火」を手にすると、人類はその灯りを掲げて果てしなく歩み続ける。

文屋先生、馬場さんに答えて:素粒子物理は、理論が先にきます。天才が神と鉛筆だけで、風呂の中や、睡眠中にガバット起きて、「整然と」理論を組み立てます。湯川博士の中性子や先般ノーベル賞を受賞された小林・益川先生がその代表です。お金のかからない方です。これを、実験物理学者が巨大な装置を用いて実証します。小柴先生もその代表的な方です。昔は、放射性を出す自然界の物質と暗箱フィルムがあればよかったのですが、今や数千億円の装置です。(ですから私のようなメーカーの者が参画するのです。全く儲かりませんが、そこで使われる先端技術開発のspin offが魅力です。陽子線・重イオンがん医療装置などはその代表的なケースです。)
物質はすべて壊さなければ中が分かりません(スイカは割って見なければ)。素粒子の一つである電子または陽子を壊したいのですが、普通では固くて壊れません。そこで、巨大な加速器(ここに超伝導電磁石その他産業が貢献します)を使ってぐるぐる回し、光のスピード近くまで加速しておいて、素粒子同士を正面衝突させます(車は壁に衝突するより、車同士が正面衝突する方が破壊力が増します)。制御技術が発達したのでこのようなことが出来るようになりました。これも産業界の力です。壊れても直ぐまた別のものになってしまいますので目には見えません。しかし、特殊なフィルム的なものに痕跡が残ります。これを分析して、新しい素粒子を発見してきたのが素粒子物理学の歴史です。
この理論と実験を繰り返す過程で、原子核を壊して原子爆弾を作ってしまいました。そのエネルギーを使って、水素爆弾も! 水素爆弾とは「核融合」です。「核融合」とは「ミニ太陽」です。人間は、神様がお造りになったものを「知りたい」だけでは満足しないで、そのみ業を真似したいと!核融合国際プロジェクトも進んでいます。その愛称は「イーター」といいます。新聞記事でご覧になったことがあると思います。
神様がお造りになった物質の根源を知りたい、「光あれ」と言われたその瞬間に迫りたい、これが人類の夢です。先日亡くなられた日立の外村さんが言っていました。彼は電子顕微鏡の権威で、世界で一番小さいものを目で見ていた方です。「物質はどの段階まで小さくしていっても、どこまでも左右対称の美を崩さない。これは神様の業だ、と言う人がいたら、私は逆らわない」、と。彼は、クリスチャンではありませんでしたが。筑波にある日本最大な加速器を作った故西川哲治先生(元理大学長)は言っておられます。「近代科学の重要な課題は、初心に返って、その対象である宇宙・物質・生命を自然ではなく被造物として捉える直すことである」と。西川先生は日本基督教団の補教師の資格を持っておられました。富士見町の礼拝にも良く来て下さいました。
この話は、終わりませんね。・・・

文屋 善明 ありがとうございます。勿論専門的なことは理解できませんが、理論と実験の関係は理解できました。

播 稔 ‎2ケ月ほどまえの科学雑誌ネイチャーにでていましたが、これはわたしの理解をこえるものでした。 物質に重量をあたえる? いまの高校の物理教師の半分はこたえられないと思います。わたしの信じないもの、ビッグバン、相対性理論、ダ-ウィンの進化論の3つ。 無から有を生じせしめるのは神以外は不可能。まだ多次元論のほうがまし。やはりわたしは古いおとこか、神がつくりそこなった男か。 ただヒックス理論がないとアインシュタインの理論も破たんするとはどういうこと?

門叶 国泰 播さん:文化勲章を受賞された天文学者故小田稔先生(東大宇宙研所長・理研所長)が言っておられました。「もともと人間は1メートル一寸の大きさで、せいぜい1ミリの何分の一かを見分け、1秒の何十分の一かの時間を区別し、わずか何十年かの命しか持たぬ存在である。限られた経験から限られた精度で学ぶ物理法則を絶対的な真理だと感じるとは思いあがりだろう」と。先生は敬虔なクリスチャンでした。

文屋 善明 いい言葉ですね。勿論、言葉だけではなく生き方もそうだったんでしょうね。

門叶 国泰 西川哲治先生、小田稔先生はじめ、本物の科学者、本物のクリスチャンとの出会い、私は幸せ者でした。現役の科学者、企業人、政界人にも、本物の方が大勢おられると信じています。過去におられたのですから。

文屋 善明 この場合に、「信じています」という言葉は微妙ですね。私は大学キリスト者の会のメンバーですが、そこでは本物の科学者で本物の信仰者と出会いとても幸せです。その人たちとは今でも交わりを続けています。ただ、残念なことはそれらの人たちは私と同じ年齢の人たちで、それより若い人にはそういう人がいないので大学キリスト者の会そのものも存続が難しくなってきています。西川先生もその会のメンバーでした。

門叶 国泰 若い世代を信じます。私達の世代だけに本物がおられた、と言う筈はありません。神様は、何時の時代にも、素晴らしい賜物を与え続けておられます。アブラハム、モーセの時代にも、ましてや、イエス・キリストのみ恵みにより。形が変わっているかも!私には見えないかも!でも大丈夫です。今の現役の世代を信じます、そこに、本物がいると。

文屋 善明 また、叱られてしまいました。その通りです。信じましょう。

<補遺>説教のテーマを「派遣」にすると、間口が広すぎて、出入り口がなかなか見つからない。医療と宗教か、イエスの召命観か。


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