ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

三位一体主日について

2015-05-31 08:51:28 | 雑文
1.三位一体主日について
三位一体主日というのは英国教会で始まったとされています。古い祈祷書ではこの日以後の降臨節までの主日を「三位一体後~主日」という言い方をしておりましたが、「三位一体」ということよりも「聖霊降臨」ということの方を重視する伝統を回復して、新しい祈祷書では「聖霊降臨後~主日」という言い方をするようになりました。それはそれで重要なことだと思いますが、そのことによって「三位一体」という教理によって強調しようとした信仰的な内容は大切にしなければならないと思います。
もともと、この主日を特別に祝う習慣はかなり古く、4世紀の聖ヒエロニムスの礼拝書には本日の使徒書が用いられており、特に本日の特祷は6世紀の教父聖グレゴリウスにはじまったとされています。ただし、それは聖霊降臨日と結び合わされ、その8日間の祝日の最終日というように考えられていたと思われます。この主日を聖霊降臨日と切り離して、三位一体の神を賛美する主日として祝われたのは、資料的には1260年のアールース教区(現在のフランス)の教区会決議に見られます。

2.信仰の奥義
公会暦の流れから見ますと、降臨節以後、主イエスの顕現とそのみ業を追体験し、復活節から聖霊降臨日までのおいて、聖霊を体験し、今やわたしたちに顕にされた一つの秘儀を確認し、祝うのである。この秘儀は学者や権力者がその知識と力をもってしても知り得ないものである。しかし、心をひるがえして幼子のようになった時に、つまり新たに生まれ変わった者にのみ明らかにされる奥義です。その奥義が「三位一体の神」なのです。
奥義というものは、言葉を通して理解に到達するというような知識の事柄ではなく、ある体験をした人が他の人の体験談を聞いて、彼が表現しようとしている体験と自分自身の体験とが共通であることを認める、という事柄です。ここでは言葉はシンボルになっているのです。本日の特祷の中に「栄光ある三位一体の神をあがめることができるようにしてくださいました」という言葉がありますが、この「できるようにしてくださった」という言葉はまさにそのことを言い表しています。同じようにみかんを食べた人でも、甘いみかんを食べた人とすっぱいみかんを食べた人とでは体験談は通じませんが、甘いみかんを食べた人と甘いブドウを食べた人との間では「甘さ体験」は通じあうものです。

3.黙示録
本日の使徒書はヨハネ黙示録の一部で、黙示文学特有の色彩感覚と数字によって、現代のわたしたちには何を語ろうとしているのか理解することが難しい。しかし、ここに描かれていることを一つの「情景」として頭の中でイメージすると、そこには光り輝く「玉座」が浮かび上がり、人類の歴史を支配する一点を語ろうとしているように思われます。玉座の周りの「24の座」とはイスラエルの12支族と教会の12人の使徒を意味し、人類の全歴史が示されているとされます。「4つの生き物」とは、歴史を動かす神の力であり、すべてが「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と絶えず神の栄光をほめたたえているのです。この奥義を「あがめることができるようにしてくださった」わたしたちは、彼らの声に合わせて、三位一体の神を賛美し、拝むのです

最新の画像もっと見る