ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/24

2012-09-25 06:21:18 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。家内を教会に送り、私は聖書を読む。十戒授与の情景をレヴィナスの解釈に従って私の言葉でまとめる。「誘惑の誘惑」という言葉がかなり鮮明になってきた。十戒(啓示)に対するユダヤ人の理解とイエスに対するキリスト者の信仰とが類似している。説教が煮詰まってきた。夜は『サマーレスキュー』を見た。エンディングはだいたい予想通り。10時就寝。4時半起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 04:49:26

#losungenj 09.24(mon)
見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、お前たちはわたしの手の中にある。(Jer18:6)
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。(Phi2:13)
posted at 05:05:34
#losungenj 私の黙想:
「イスラエルの家よ」という言葉を省略すると(事実ローズンゲンは省略している)、この言葉は全ての人、物に当てはまる。信仰者・非信仰者の区別さえなく全て「神の手中にある」。私も間違いなくそうだ。問題はその事実をどう受け止め方ているかである。
posted at 05:16:06

今日の名言:RT @meigennavi:
世界で、絵画を理解する人間は、二千人以上はいないだろう。その他の人間は理解したふりをしているだけで、さっぱり分かってはいないのだ。(作者不詳)
<一言>作者不明、確かに誰でもであり誰でもでもない。みんなが心の中でそう思っているに違いない。
posted at 05:28:42

磯道義典 銀行などに行くと会長室とか立派な絵画が飾ってある、多分大企業の会長室等も同様なのであろう。見栄を張るためにのみ金目の絵画が置いてあるのであろう。


「昨日のツイート 09/23 十戒の本質について」をブログにアップしました。 http://t.co/7p7R5Ytz
posted at 06:17:17
「今週のローズンゲン 09/16~09/22」をブログにアップしました。 http://t.co/5mFPabR5
posted at 06:39:50

火野正平のこころ旅、秋編始まる。今週は和歌山だ。
posted at 07:49:10

FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』018(39頁) 2012/09/24
宗教や芸術(アート)は世界の花である 大地に近いわけではないが
『人間的、あまりに人間的・Ⅰ』第1章「最初の事物と最後の事物について」第29節
※ 確かに花は美しく魅力的である。しかし世界の根本に近いのは茎や根である。花の美しさが人間の目を世界の本質から遠ざける。

水草 修治 なるほど。有機農業は要するに根っこを育てる農業だというのを思い出しました。私も根っこを大事に生きなければ、と教えられました。ありがとうございます。

FB<閑暇閑話018> 徒然草 2012.09.19

徒然草第85段は、今読んでも面白い。今日は「新訳徒然草」を紹介しましょう。

人は誰でも多少ひねくれたところがあるから、たまには嘘をつくこともある。しかし、なかには真っ正直な人間もいる。そして、たとえ自分はひねくれていても、そういう人徳のある人を見れば、見習いたいと思うのが普通だ。
ところが、このめったにない人徳者を見て憎しみを抱く人がいる。そして「大利を得ようとして小利を捨て、本心を偽り上辺(うわべ)を飾って名声を得よう としている」などと悪口を言う。まったく愚かさも極まれりと言うべきである。
わたしに言わせれば、自分とは考え方の違う人間を誰でも悪く言うこういう人間は、進歩や改善ということのない人である。わずかな利益を得るために嘘をつくことを止められないこういう人間は、他人の徳を学ぶことが不可能な人である。
狂人の真似をして大通りを走れば、すなわち狂人である。悪人の真似をして人を殺せば、すなわち悪人である。逆に、駿馬(しゅんめ)を真似る馬は駿馬の一員となり、中国の聖王舜(しゅん)を真似る人は舜の仲間となる。上辺を偽っても人の徳を真似る人は、人徳者というべきなのである。(花房友一訳)

<補遺>特になし。

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