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ぶんやさんの記録

断想:顕現後第3主日(2018.1.21)

2018-01-18 12:58:03 | 説教
断想:顕現後第3主日(2018.1.21)

キリスト教の本質 マルコ1:14-20

<テキスト、私訳>
ヨハネが逮捕されたと聞き、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝え始めました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。
ある日、イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられると、シモンとシモンの弟アンデレという2人の漁師が湖で網を打っているのを御覧になりました。その時、イエスは唐突に彼らに、「私について来たら人間をとる漁師にしてあげましょう」と呼びかけられたのです。不思議なことに、この2人は何の躊躇もなく手にしていた網を捨てて、イエスの誘いに従いました。
もうしばらく進むと、今度は舟の中で網の手入れをしているゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとを御覧になり、イエスは彼らにも同じように呼びかけられますと、この2人も側にいた父ゼベダイや雇い人たちの了承もなくイエスについていきました。

<以上>

1.キリスト教の本質は何か
先週すでに語ったことを繰り返すと、キリスト教をとことん突き詰めて、その本質は一体何なのか、ということを考えると、キリスト教とは「教え」(思想=哲学)や「倫理・道徳」でもないということである。それでは一体何なのかというと、キリスト教は一口に言って「交わりの宗教」であるといわれる。そうすると、イエスの生涯において最も重要なことは「説教」でもなく、「癒し」でもなく、弟子集団の形成であった。この弟子集団が「新しいイスラエル」であり、「新しい神の民」であり、後に教会になるのである。その「新しいイスラエル」のことを本日の福音書では「神の国」と言い表しているのである。
先週ではフィリポとフィリポの友人ナタナエルが弟子に召される出来事が記されていたが、本日の福音書では彼らの前に弟子となった、ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人が弟子入りした出来事が記されている。

2.「4人」について
この4人は日本的な言い方をするとキリスト教の「4天王」ともいうべき人物である。恐らくイエスに最初に弟子入りしたのはアンデレであろうと思われる。アンデレはもともとバプテスマのヨハネの弟子であったが、イエスが一本立ちしたときに、むしろ恩師バプテスマのヨハネから勧められて、イエスの弟子になったらしい。ペトロはアンデレの兄であり、弟であるアンデレを通してイエスに出会い,弟子入りした。また、この二人の兄弟の紹介でヤコブとヨハネの兄弟も弟子入りした。彼ら4人はいわば同業者であった。
また、先週紹介したフィリポはペトロやアンデレと同郷の友人であり、アンデレによってフィリポも弟子入りし、このフィリポによってナタナエルも弟子入りするに至ったのである。そう考えるとイエスが弟子をお集めになったときに果たしたアンデレの役割は少なくない。
ついでに申し上げておくと、聖公会においては特にアンデレのことを重んじている。何故かというと、イギリスにキリスト教を宣べ伝えた最初の人物がアンデレであるという伝説による。アンデレはネロ皇帝の時代に殉教したとされるが、彼の十字架は斜めに架けられた。そこから、斜めの十字架のことを「アンデレ・クロス」と言い、現在では英国の国旗になっている。
ペトロとヨハネ、ヤコブは12弟子の中では常に中心的な役割を果たし、変貌山の出来事の時にはこの3人だけがイエスに同行している。12弟子の中で最初に殉教したのがヤコブである。使徒言行録12章によると、当時ユダヤの王であったヘロデはキリスト教を弾圧するのに先ず手始めに「見せしめ」としてヤコブを「血まつりに」あげた。ところがこれがユダヤ人たちから非常に喜ばれたので、次に当時キリスト教の中心人物と目されていたペトロを殺そうとした。そこで、ペトロは「地下」にもぐったとされる。 ヤコブの殉教後,キリスト教会は地下にもぐったペトロと表に立ったヨハネとによって指導されることになる。

3.イエスの弟子にとって最も大切なものは何か。
さて、この様なことを長々と紹介したのは何故か、と言いますと、イエスの弟子集団にとって最も重要なことは何であったのか、ということを文字どおり弟子集団の中心人物であったこれら4人のイエスに対する態度から学びたいからである。彼ら4人が弟子入りするに際して共通していることが一つある。いや、「一つのことで」彼らは結びついている。もし、この「一つのこと」が崩れたら、彼らの連帯は破れ、イエスの弟子集団そのものが崩壊する。これは今日の教会においても同じである。「新しいイスラエル」としての教会を形成している「一つのこと」とは一体何か。それが今日もう一度はっきりされなくてはならない。
彼ら4人の弟子入りの状況を詳細に見ると、ただ「一つのこと」が浮かび上がってくる。それは「捨てる(アフィエーミ)」ということである。ペトロとアンデレはイエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と呼び掛けられたとき,「人間をとる漁師とは何か」とか、「生活の保障はあるのか」とか、イエスについて行ってどんなにいいことがあるのか、というようなことを考えるゆとりもなく、「直ちに」「網を捨てて」「従った」とある。ヨハネとヤコブもイエスから呼びかけられたとき,「父ゼベダイと雇人たちと一緒に船に残して、イエスの後について行った」とある。この「残して」という言葉は、先の「捨てて」という言葉と同じ言葉である。父親も雇人も船も捨てたのである。それは、今まで彼らの生活の基盤であり、生甲斐の根拠でもあったものである。それらを彼らは「捨てて」しまった。
この「捨てる」ということがイエスの弟子集団を結び合わせる力である。彼らはイエスを中心とする「新しいイスラエル」に全てを掛けてしまった。彼らには「後」がない。

4.イエスを捨てた
ところが、この弟子たちがみんな、イエスが十字架上で殺されたとき、「逃げた」。この場合の「逃げた」はイエスと共に過ごしたすべての生活を「捨てた」ことを意味する。弟子たちはイエスに従うためにそれまでの生活を捨てた。そして十字架上で苦しむイエスを捨てた。そして元の生活に戻った。これでイエスのすべての活動は闇から闇へ葬られた。と、ローマの官権もユダヤ人たちも、そしてすべての人々も、そして弟子たちも、これですべてが終わったと思った。これが歴史的事件というものであり、すべての歴史的事件はそのまま人々の記憶の中から消えていく。
ところが、「イエス事件」は他のすべての事件と異なっていた。何が、違っていたのだろうか。それは私たちにはわからない。ただ、分かっていることは、イエスが弟子たちの心の中に植え付けた「種」は死ななかったということである。種は生きていた。
ここからは、私自身の想像である。どれほど時間が経過したのか、私たちには分からない。しかし、それ程長かったわけではない。それぞれ元の生活に戻った弟子たちは、落ち着けなかった。何か内部でゴソゴソうごめいているものを感じていたに違いない。初めはボヤーッとしていたイメージが時と共に形が見えてきた。要するにそれは、イエスと共に過ごした数年間の思い出であり、おそらくその時の充実した生活であろう。やがて、その内の何人かが集まり、お互いに語り合うようになった。新約聖書および福音書でも何も語らない。ただ、かなり後に付加されたヨハネ福音書21章がヒントを与えてくれるだけである。考えて見ると、イエスの十字架という一種の興奮の中で彼らはバラバラに逃げたのであり、彼らはいまだにイエスとの生活について「総括」していなかった。「私にとってイエスとは何者だったのか」「イエスは何を語っていたのか」「何故イエスは死ななければならなかったのか」「イエスの死について納得しているのか」いろいろと語り合う中で、今まで考えていなかったイエスの姿が彼らの目の前で形象化された(ガラテヤ3:1)。
その結果、彼らは見事に「イエスの弟子」として復活した。ここから以後のことは、私たちがよく知っている。私はこれがイエスの復活だと思っている。ここが、他のすべての歴史的事件と異なる点である。私はこれこそが神の働きかけであり、聖霊の出来事であると思っている。

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