ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

パズル「数独」について

2010-04-29 14:14:45 | ときのまにまに
今日は全国的に休日なので、わたしも休日らしく、気楽なテーマについて書くことにする。今、現在、わたしは数独というパズルにはまっている。

とにかくパズル「数独」は面白い。その面白さは普遍的であるらしい。この際「普遍性」とは国際性を意味している。日本で生まれた「数独」がローマ字で「SUDOKU」として世界中に広がっており、しかもますます広がりつつあるらしい。何から何まですべて「らしい」ということで申し訳ないが、ここで語ることはすべて、数独を産みだした鍛治真起氏の『数独はなぜ世界でヒットしたか』に書いていることの紹介だからである。鍛治氏によると、「数独」は世界25ヶ国で出版され、爆発的な人気を維持しているという。
「数独」だけをまとめて、単行本として初めて出版されたのが1988年である。この「数独」という言葉の意味は、このパズルでは出題も解答もすべて1から9までの数字だけである。つまりシングル、シングルは独身、それで「数字は独身に限る」というわけで、これがこのパズルの名前となった。しかし、出版するに当たって「数字は独身に限る」というのは長すぎるし、謎めいていて、何か思わせぶりな感じがするので「数独」ということにしたらしい。初版からかなり人気で、順調に売り上げを上げていったが、世界的に有名になる切っ掛けは、イギリスである。イギリスでは2004年11月に「タイムズ」誌に掲載されたのが切っ掛けとなり、2006年には大ブレイクした。さらにそれがアメリカに飛び火し、「ニューヨークタイムズ」の2007年3月号の経済面のトップ記事に「鍛治真起、SUDOKUのゴッドファーザー」として紹介されたという。
何と言っても、このパズルの面白さは、ちょこっとした時間に、ちょこっと遊んで、さっと次の仕事に取りかかれるということであろう。いくつかの数字が書き込まれている81個の枠を見た瞬間に、それまで考えていたことがすべて、完全に頭の中から消える。そして、数分パズルに集中し、途中で、いつでも、そこから目を話せば、頭の中からすべてが消えてしまい、脳は甦る。これが実に不思議である。それで、結構「完成」したときには充実感が味わえる。この頭の中がカラッポになるというメカニズムが不思議である。鍛治氏自身は数独について「数独はお茶漬けみたいなもの」とか、「数独は短編映画だ」などいろいろ説明しているが、最高の説明は「数独とは『ドアのない非日常空間』である」という説明であろう。
ある人が鍛治氏に「数独は脳にいいか」という質問をしたとのことであるが、鍛治氏は「僕はあんまり数独に意味や意義を持たせたくないと考えている。解く人の毎日をちょっとだけ楽しくしたい」と答えている。名解答であろう。
わたしは通常の日で、大体1日に5問程度解いている。いき詰まってしまったら、思い切り大胆に消しゴムで、きれいに消してはじめからはじめる。面白いことに、そうすると前にしていたことが完全に忘れている。問題によっては、消しては始めるというこことを3回繰り返しても、解けない場合がある。その時は相性が悪かったと諦めて、×をして、次の問題に移ることにしている。何日かたって、もう一度その問題に当たると不思議にスラスラと解けることもある。その理由は詮索しない。どうせ、どこかで間違ったに違いないが、人生にはそう言うことはしょっちゅうあるものだ。

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