ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 09/05

2016-09-07 08:00:11 | ツイッター
お早うございます。主の平和。昨日の日曜日、体調がよくないので、朝9時から夕方までパジャマのママで寝たり、起きたり。夕方になってやっと平熱になった。読書も外出もなし。台風12号が人間の歩く速さで九州の西側沿岸を北上中。長崎から上陸して、ただ今、佐賀で一休みの模様。旅の疲れでかなり弱くなったようだ。午前4時頃風速18m/s程度。夕食後は「仰げば尊し」を見てチョット涙を流し、10時に就寝、5時半起床。4回ほどトイレ。体温:36.6、血圧(150,80:82)・体調・微熱、鼻水が少々。チュン、チュン。

47 石田 聖実さん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、他45人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

Nozomi Moriwake 文屋先生 体調、快調。を見て、今日もお元気と確認するのがいつの間にかクセになっていますので、ビックリします。お大事に。チュン、チュン。

藤木 冨士子 おはようございます。今日は快調でありますように。

萩野 秀子 おはようございます。晴れています。チラシ配り、洗濯機設置です。癒されますようにお祈りします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪微熱を侮らないでお大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻が、お守りの内に、穏やかなよい時間をお過ごしになられます様にm(__)m

Hajime Kawamukai お大事に。

文屋 善明 要するに、これが「平常」だと思えば、それで通じます。

門叶 国泰 パジャマは着替えること!これだけで、相当元気になる!

文屋 善明 一旦着替えて、朝のお勤めと朝食を済ませて、体調を見定めて、よし、今日は寝るぞと、決意も新たに、パジャマに着替えました。

門叶 国泰 なるほど、安心しました。流石!

文屋 善明 まぁ、こんな日が、だんだん多くなっていくことでしょう。

播 稔 人間なかなか楽に歳はとらせてはくれません。わたしも背骨の圧迫骨折で、リハビリを4ケ月休むと。腰の痛み、尻の痛みでここ1ケ月良く眠れません。そろそろロハビリ再開。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

小貫 ツマ どうぞお大事に。

鈴木 ゴリ 宣仁 お大事にー!


文屋 善明
9月5日 5:55 ·

お目覚めの花。「台風と共に新しい週が始まりました」「今週はどんな良いことがあるのか、楽しみです」「悪魔が言っていましたが、全ての楽しいことは天の父なる神がお造りになったとか。成る程と納得」。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、屋外、自然

36 野口 富隆さん、藤木 冨士子さん、他34人


文屋 善明
9月5日 6:19 ·

016 日々の聖句 09月05日(月)
主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。(列王上19:11~12)
主の霊のおられるところに自由があります。(2コリント3:17)
私の黙想:
今日の聖句は私の好きな聖句の一つである。あれほど正々堂々とバールの多くの預言者たちと対決し勝利した預言者エリヤも、独りの女王イゼベルの復讐を恐れて荒野を逃げ回る姿が、滑稽に見える。40日40夜、歩き続けてやっとホレブ山にたどり着き、洞窟に身を隠して夜を過ごす。どんなに不安な夜だっただろうか。そこにヤハウェが現れて、洞窟から出て山の中に立てと命じられた。今日の聖句は、そこで経験したエリヤの神体験である。そのエリヤを台風が襲い、地震が襲う。その中でエリヤ独り立ち続ける。地震の後に山火事も起こる。それでも、エリヤはそこに立ち続ける。あたりは静けさを取り戻す。そこで、微かな神の気配、神の声が聞こえた、という。そこで初めてエリヤは自分がこれまでにしてきたこと、バールの多くの預言者たちを殺してきたこと、そして命を狙われて逃げ回っている自分の惨めさをヤハウェに訴える。そこでヤハウェは「行け、あなたの来た道を引き返せ」と新しい使命を命じられた。使命を終わった(つまり、使命が無くなった)預言者は弱い。預言者は使命に生きる。逃げ回るエリヤに神は新しい使命をお与えになった。聖職者の定年退職を思う。

29 藤木 冨士子さん、安田 正人さん、他27人
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門叶 国泰 今日の使命を与える「静かに、ささやく声」が聞こえるでしょう。

文屋 善明 定年退職により「職務」は終わっても「職位」は終身で、使命は途絶えることはありません。

門叶 国泰 そう伺って「安心」しました。

播 稔 ボケルことがあってはなりませんね。


文屋 善明
9月5日 6:29 ·

今日の名言:@kotoba_bot
死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。(村上春樹『ノールウエイの森』)
<一言>こういう文章をサラッと書くところが、村上春樹が受ける理由なのだろうと思う。確かに、死は生の一部なのだ。死の後ろは何も無い。

29 清水 行雄さん、藤木 冨士子さん、他27人
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播 稔 言葉としてではなく、ひとつの空気のかたまりとして身の内に感じたのだ。 この小説は好きな小説にはいります。


文屋 善明
9月5日 6:33 ·

午前6時、宗像市にも台風避難勧告準備が出ているそうですが、もうすでに玄界灘に出てしまっているようです。宗像は普段通りです。

29 藤木 冨士子さん、細谷 民子さん、他27人
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加藤 佑三 こちらは、連日大雨が降る降るとの予報が外れ、30日以来全く降らずまたまた畑はカラカラで、気をもんでいます。でも、この4日間で家の周りの草取りがやっと終わりました。本当に中古の小さな家ですが、維持して行くのが大変です。

藤木 冨士子 蒸し暑いだけでした。


文屋 善明
9月5日 6:48 ·

「昨日のFB 09/03」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

14 東山 富昭さん、藤木 冨士子さん、他12人


文屋 善明
9月5日 6:54 ·

イミタチオ・クリスチ(236):
キリストはあなたのためにすべてのものを備え、あなたのことを事細かく配慮されるから、あなたは人を頼りとする必要がない。2:1:12

17 藤木 冨士子さん、佐々木 弘幸さん、他15人


文屋 善明
9月5日 8:11 ·

今日の「折々のことば」。カメラが一般に普及し、しかも素人でも気軽に結構楽しめるような写真が撮れるようになって、私は嬉しい。私も外出するときはシャツのポケットに小さなカメラをもっている。そして、何でも目に止まったものを撮って楽しいでいる。こうなると、プロのカメラマンの真似をしたくなる人間も出てくるが、それも素人のゆえの自由さであろう。私は写真に限らず、プロとアマチュアとの境目がボケてきているのが現実であるが、そこには飛び越えられそうで飛び越えられない深い溝というか、高い壁がある。そこを認めないと生き難い。プロはプロ、アマチュアはアマチュアで、それぞれ領分を侵さないようにエチケットを守って楽しみたいものだ。ついでに一言、聖書研究でも同じ事が言える。牧師や司祭が必ずしもプロの聖書研究者ではない。(念のため、書き加えておきますと、私は司祭であって、聖書学のプロではありません。ですから、聖書の読み方はあくまでもアマチュアです)。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1105594152851378&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

25 藤木 冨士子さん、松井 理直さん、他23人
コメント

播 稔 写真にかんしては、技術的、芸術的にはプロとアマは曖昧。プロは写真で飯をくっていることか。

門叶 国泰 「聖書学のプロではないから、聖書の読み方はアマチュアである」は??  「聖書の読み方」とは、を先に定義しないと。

文屋 善明 たとえば、田川建三さんとか、辻学さんのような聖書の読み方がプロの読み方で、説教、ないしは自分自身の養いのための聖書の読み方がアマチュアの読み方で、それはあくまでもプロの研究に依拠しています。いくら私が聖書研究会をしてもそれはアマチュアとしての聖書研究で、基本的には一般信徒の読み方と違わないということです。それだけに、プロなら言えないような解釈をすることもあり得るわけです。恩師、松村克己は神学におけるアマチュアリズムを重視し、医師、小田切先生の主張を丁寧に取り上げておられました。

門叶 国泰 仰りたいことは分かりますが;「説教のための聖書の読み方がアマチュアで・・・」は定義自体が無理でしょう。「自分自身の養いのための読み方がアマチュアで」はまさにその通りですが。

文屋 善明 牧師の説教が、聖書学もどきであるために信徒の視点から離れてしまうのです。だからといって、現代の聖書学についての知識が不要だというのではありません。それを理解した上で、今度は信徒の視点に戻って聖書を読む、という意味です。

Mizota Michael Satoshi 聖書学が説教もどきと言うのも嫌ですけれど。。。

文屋 善明 逆も又真なりとはならず。

Mizota Michael Satoshi まあ説教に使えるかどうかで本が売れる世界なんでしょうから私には関係ないんでしょうけれども。。。


文屋 善明
9月5日 8:24 ·

今朝の天声人語
アマランサスの里(2016年9月5日)
中南米原産のアマランサスという穀物がある。先住民の食を支え、年貢として納められ、神殿の儀式に用いられた。だが16世紀以降、侵攻したスペイン人たちは「邪教の植物」と栽培を禁じ、畑に火を放った。
中南米で主要作物の座から降ろされて数世紀。米国で健康志向の高まった1970年代、栄養価の高さが脚光を浴びた。日本でも「スーパーフード」として店頭に並ぶようになった。
どんな姿で育つのか。産地のひとつ長野県伊那市を訪ねた。草丈2メートル、オレンジ色の穂が南アルプスを背に輝く。伊那商工会議所や信州大学が連携し、10年ほど前から植えてきた。希望する農家に種をわけ、小中学校が給食にとりいれた。
「鉄分が豊富で、プチプチした食感が好評です。パスタにも合います」と、伊那市内で雑穀レストラン「野のもの」を営む吉田洋介さん(49)。共同通信社の記者だったが退社して伊那へ。アマランサスをいかしたレトルトカレーを商品化した。
伊那へは原産地グアテマラから農業研修生らが訪れた。「内戦が30年も続き、栽培は途絶えかかっていた。食べたことのない人もいます」。失われた食文化に日本で再会して一行も何かの縁を感じたことだろう。
雑穀ブームを商機とみた企業から引き合いはあるが、量産はできない。機械による収穫がむずかしいからだ。それでも地元では特産化をめざして試行錯誤が続く。信州産アマランサスが世界に知られ、はるかマヤ、アステカの地へ輸出される日を夢想した。
<以上引用>
あ〜あ、ここにもキリスト教の犯罪的歴史があった、という感じである。この話、私も知らなかったし、ほとんどのキリスト者も知らないのではないだろうか。単なる「食い物」の話ではない。未知の大陸にわざわざ出かけ、自分の知らない文化に接し、その文化を破壊する、これ程の罪はない。この記事は一キリスト者として「他人事」として読めない。

22 藤木 冨士子さん、望月 克仁さん、他20人
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コメント

村田 多鶴子 知りませんでした。仰る通りですね。
気になって調べましたら、アマランサスは仙人穀の別名を持つようです。下の写真のような花だそうです~♪
村田 多鶴子さんの写真

村田 多鶴子 実はこんなんだそうです~♪(^^♪
村田 多鶴子さんの写真

糸原 由美子 「キリスト教と戦争」を読んで、人間の何千年たっても神様にたいして悪しき行いを続ける、しかもあろうことか神様の名前を使っての、罪の深さを思います。

水草 修治 アマランサス、種蒔いて育てて収穫して食べたこと、あります。育てるのは簡単ですが、脱穀がたいへんでした。

文屋 善明 満州のコーリャンみたいなものかな。

水草 修治 キビです。

水草 修治 どんどん丈も大きくなっていくので、除草も必要ありませんでした。

水草 修治 姿も、実も黍です。花が赤いのが特徴でしょうか。赤紫だったかな。


文屋 善明さんがノートを公開しました。
9月5日 8:35 ·

読書記録:C.S.ルイス『悪魔の手紙』(5)

11 村田 多鶴子さん、藤木 冨士子さん、他9人
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コメント

平野 宏 行き過ぎて「祈祷や聖礼典や慈愛以上に大切であるならば」というところは、私達が警戒しなければならない点であると思います。
シェアさせていただきます。


文屋 善明
9月5日 17:10 ·

マンションの安全性を確認して歩く我が管理人
画像に含まれている可能性があるもの:屋外

49 中野 芳夫さん、鎌野 健一さん、他47人
コメント

村田 多鶴子 確認結果は、【問題なし】だったのでしょうか?

文屋 善明 ハイ、そのようでございます。そう、マスコミに発表して頂いて結構です。

村田 多鶴子 それではインコに伝言をお願いして、今夜、秋の虫たちに集合願うと致しましょう!

文屋 善明 よろしく。


文屋 善明
9月5日 17:25 ·

早瀬利之『石原完爾、マッカーサーが一番恐れた日本人」を読了したので、続いて、佐高信『黄沙の楽土、石原完爾と日本人が見た夢』を読み始める。今までにも何冊か石原完爾の本を読んだが、非常に魅力的な人物である。そのまま、満州建国の第1人者である。にも関わらず、彼は東京裁判の被告にならなかった。何故か。今まで知らされていなかったさまざまのことが記されていた。次の本、実は、ここに描かれている「日本人の夢」を夢みて、ほとんど単身で満州に渡った男がいる。東北の片田舎から出て来た独りのクリスチャン、私の父である。偶然のことから、日本ホーリネス教団によって任命された母と、同じ列車、同じ船で1932年11月11日、満州の地に立った。母には新京ホーリネス教団という任地があったが、父にはそんなものはなかったらしい。そして、単独で就活をして、1933年6月願望の満州国建設局に就職した。そのころ、父と母とは結婚前である。二人が結婚したのは1934年1月24日である。満州国が成立したのが1933年3月1日であるから、それこそ成立直後の満州国の官吏であった。ちょうど石原完爾が奔走している真っ最中のことである。

25 石松 周さん、福永 澄さん、他23人
コメント

久保和男 不思議な縁ですね私の父中島勝馬と祖父も満州の新京で働いていたとのこと。

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