ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 12/08

2016-12-10 08:54:54 | ツイッター
お早うございます。主の平和。家内は整骨院へ。主イエス命名日の旧約聖書のテキストの解釈。ほぼ完成。釣川堤防散策。「相棒」を見て10時に就寝。5時45分に起床。熟睡。体温:36.3、血圧(135:75、70)・体調、先日処方された咳痰の薬効いているようだ・快調、チュン、チュン。

25 藤木 冨士子さん、増野 真美さん、他23人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。さむいです。整形外科、チラシ配りです。癒されますようにお祈りします。

東山 富昭 おはようございます😃。今は、晴れています☀。年末年始の準備は、来週になります。今日も、よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 おはようございます。


文屋 善明
12月8日 6:01 ·
お目覚めの花。「鈴なりの柿、悪口を言ったら落ちてくるかな」「きっと渋に違いない」。やはり落ちてきませんでした。友人から沢山の「くずれ柿」を頂きました。
画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、空、屋外、自然

32 藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他30人


文屋 善明
12月8日 6:34 ·
2016 日々の聖句 12月08日(木)
ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言った。(ヨシュア5:14)
幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。(ルカ11:28)
私の黙想:
今日の聖句、「約束の地」に入って最初の「土地の産物」を得たときの出来事。この時、天からマナが降るのが止んだという。つまり、新しい土地での生活がいよいよ始まるというときである。なぜ、こういう状況において、「抜き身の剣を手にした男」が登場するのだろうか。少し場違いのような気がする。もう、戦争状態は終わっている(1節)。ヨシュアは彼を見て「敵か、味方か」と考える。彼は答える「わたしは「主の軍の将軍である」と。ヨシュアは彼の言葉をすぐに信じている。本当に信じていいのか。それとも、ただ信じるふりをしただけなのか。ヨシュアは彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と問う。この問いはある意味で相手の正体を見分ける問いであったのかも知れない。ヨシュアは油断を見せない。彼らの間には緊迫の空気が流れる。その時、彼はヨシュアに命じる。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である」。これは一種の「符合」だったのかも知れない。これはまさに、ヤハウェが初めてモーセに会ったときの命令の言葉であった(出エジプト3:5)。この言葉を「敵」が知っているはずがない。ヨシュアにすれば、それこそ何度もモーセから聞いていた言葉であったであろう。これで、ヨシュアは彼を信じる。
私は考える。その時、彼は何故「抜き身の剣を持って」登場したのか。これからは安定した平和の時代が続くはずの時である。恐らく、ヤハウェはだからこそ油断をしてはならない。心に常に「抜き身の剣」をもっていなければならないというメッセージであったのではないだろうか。この後、すぐに「エリコ」との闘いが始まる。内的には「アカンの罪」という事も起こる。

24 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他22人
コメント

門叶 国泰 「正体を見分ける問い」、納得。未だこの時点では「主」とは信じ切れていない。

藤木 冨士子 外側の戦いは終わっても、うちなる戦いが始まるのでしょうか。


文屋 善明
12月8日 6:40 ·
今日の名言:@tetsugaku__bot
宗教が哲学の支援を求めた途端、その宗教の消滅は不可避のものになる。(ハイネ)
<一言>キリスト教は、1世紀の終わり頃にやってしまった。信仰内部での議論の解決をギリシャ哲学に求めた。その結果が三一論だ。そこから正統・異端論争が始まった。キリスト教の崩壊の第1歩だった。中世にはアリストテレス哲学に取り込まれてしまった。

26 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他24人
コメント

文屋 善明 私はキリスト教も多様であっていいと思っている。マルコ9:39

イミタチオ・クリスチ(330):
人の推薦を求めず、すべてのこと神に委ねなさい。使徒パウロも言っている。「自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、確かな人なのである」(2コリント10:18)。神と共に歩み、人からの称賛に囚われないのが内的な人の姿である。2:6:25~27

24 藤木 冨士子さん、平野 宏さん、他22人


文屋 善明
12月8日 6:59 ·
「昨日のFB 12/06」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他9人


文屋 善明
12月8日 11:51 ·
今日の午前、赤間整形に行ったところ、休診で、赤間駅からそのままサンリブまで歩き、久しぶりに本屋に寄り立ち読み、サンリブの店内を歩き回り、ドイツ製のシュトーレンを買い、ただ今帰宅。都合2時間半程歩き回ったことになります。

36 植村 光郎さん、佐藤 群さん、他34人
コメント

徳善 義和 そう、シュト―レンの季節ですね!

文屋 善明 そうです。この時期、シュトーレン作りが私の仕事でしたが、昨年から止めました。最も多いときで12本ほど作り、私が関係していた教会に贈っていました。でもこれを作るのはかなり腰に堪えるため止めました。昨年は孫娘がドイツからお土産に持ってきてくれましたが、そこらで売っているシュトーレンを見ても食指が動きませんでしたが、今日のKALDIのシュトーレンはドイツ製でしたの買いました。クリスマスに食べます。

植村 光郎 アドベントが来ている

藤木 冨士子 シュトーレン、季節ですね。


文屋 善明
12月8日 17:04 ·
講話「祈祷書と特祷について」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

16 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他14人


文屋 善明
12月8日 18:51 ·
日本人はアメリカを憎みきれない。大戦前も、大戦後も、そして今も日本人はアメリカが好きなのだ。

服部 弘一郎さんがWordPressで記事を公開しました。
12月8日 7:01 ·
WordPress
·
写真は山本嘉次郎監督の『ハワイ・マレー沖海戦』のポスター。日米開戦の翌年12月に、開戦1周年を記念して作られた作品だ。これを観ると、当時の日本にとって世界を相手に戦争をしたことがいかに誇らしいことであったかがわかる。  この映画が公開された昭和17年の暮れには、日本はまだ戦勝ムードに酔っていた。でもこの年の6月にはミッドウェー海戦で日本が負け、日本軍の快進撃は止まって形勢は逆転している。ソロモン諸島のガダルカナル島にはアメリカ軍が上陸し、激しい戦闘の末に12月には日本が島から撤退しはじめる。日本人の多くが知らないうちに、日本は敗戦に向けて急坂を転がり落ちていったのだ。  安倍総理が今月26日・27日にハワイを訪問してオバマ大統領と会談するのに合わせ、真珠湾のアリゾナ記念館を訪れて犠牲者慰霊のための献花を行うという。今年は日米開戦75周年という区切りのいい年だ。オバマ大統領は今年5月に広島を訪れているので、その返礼という意味もあるのかもしれない。(日本政府は否定している。)  安倍首相は「謝罪のためではなく慰霊のためだ」と言っているのだが、これを「不戦の誓い」だと言うなら、それは「真珠湾を攻撃すべきではなかった」ということであって、結果としては謝罪と同じ意味を持つのではないだろうか。(日本政府は否定している。)  日本は太平洋戦争で徹底的にアメリカに叩きのめされ、国土が灰になり、多くの人が殺されたにもかかわらず、戦後の日本人はみんなアメリカが大好きになった。戦争中には「鬼畜米英」と言っていたのに、なんと変わり身の早い人たちだと呆れるかもしれない。  でもそれは誤解がある。日本人は、じつは戦前もアメリカが大好きだった。戦前の日本は戦後の日本と同じぐらいアメリカナイズされていて、映画館ではハリウッド映画が公開されていたし、アメリカの文化が日本のあちこちに浸透していたのだ。戦前……と言っても幅があるが、例えば1930年前後の日本人にとって、最も親しみを感じる外国はおそらくアメリカだったに違いない。  戦争中の日本はそのアメリカを鬼畜扱いしていたわけだが、それは国際政治と戦争に翻弄された結果だった。アメリカと日本の関係は1937年頃までは穏やかなものだったが、それがほんの数年で険悪化して戦争になってしまうのだから恐ろしい。しかし日米関係にとって最悪な時期は、10年と続かなかった。1945年の敗戦で、日本はアメリカに屈服したからだ。  安倍首相をはじめとする自民党の政治家たちは、アメリカと日本の同盟関係をとても重要視している。日本人は何だかんだ言ってアメリカが大好きだし、今この時点で、日本とアメリカが戦争状態になることなど誰も考えていないだろう。  だがそれは1930年代の日本でも同じなのだ。政治家たちはアメリカとの関係を大切にしていたし、日本人もアメリカが大好きだった。日本とアメリカが戦争をするなんて誰も考えていなかったし、アメリカとまともに戦争をしたって日本が勝てるはずはないと誰もが考えていた。でもその日米関係はたった数年で険悪な状態になり、今から75年前にとうとう戦争になったわけだ。  日本は平和国家だ。戦後71年間、日本はどの国とも戦争をしていない。でもそんな国だって、数年後にはとんでもない戦争をやっているかもしれない。「そんなバカな」と言うかもしれないが、少なくとも75年前の日本はそれをやったのだ。国際情勢は数年で変わる。政治家の言うことも数年で変わる。マスコミの動向だって数年で変わる。戦争なんてとんでもないと言っていた国と国民が、たった数年後に戦争をしていることもある。  日本はそれを、自ら証明しているのだ。

https://eigajournal.wordpress.com/…/%e6%97%a5%e7%b1%b3%e9%9…


文屋 善明
12月8日 20:39 ·
安倍さんも、知らなかったらしい。麻生さんも知らなかったのか。尊敬すべきお祖父ちゃんのことなのに。「最初、最初」と連呼したマスコミはどう修正するのだろうか。面白い。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10211427884234287&set=pcb.10211427996517094&type=3&theater

田中 隆夫さんが写真2件を追加しました。
12月8日 20:20 ·
安倍首相の真珠湾訪問「現職初」ではなかった 各紙間違えたけど、実はあの人が  BuzzFeed Japan 12/8(木) 5:00配信

安倍晋三首相は12月26~27日、アメリカ・ハワイを訪問し、オバマ大統領とともに真珠湾(パール・ハーバー)を訪問する。謝罪ではなく、慰霊のためだ。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

この事実が明らかになった12月5日夜には、朝日新聞や日経新聞などの各メディアが一斉に「現職の首相として初めて訪問」と報道。それを受け、BuzzFeed Newsも同じように報じていた。

だが、これは誤りだった。現職首相として真珠湾を訪問したのは、安倍首相が初めてではなかった。BuzzFeed Newsは、65年前の新聞記事で確認した。

1951年9月12日(現地時間)。真珠湾を訪れていたのは、吉田茂首相。

当時の報道を見てみると、吉田首相はサンフランシスコ講和条約を受諾すべく、9月上旬に渡米。その往路と復路でそれぞれハワイに立ち寄っている。真珠湾を訪れたのは帰り道だ。

9月13日の読売新聞夕刊には、こんな記事が掲載されている。

“吉田さん、眞珠湾訪問 お土産にモロコシ製のステッキ

ロイヤル・ハワイアン・ホテルに一夜をあかした吉田首相は十二日午前五時半起床、まさに明けようとするホテル付近の海岸を散歩した。

お腹の調子もすっかり回復、朝食をとったのち同九時卅(三十)分ホテルを出てロング・ハワイ准州知事、ラドフォード米太平洋艦隊司令官、ハワイ陸軍司令官オーランド中将の順序で公式訪問し、それぞれハワイ滞在中の好意に感謝したが、ラドフォード中将を真珠湾に尋ねた時は感慨深げだった“

ちょうどその10年前、日本軍が奇襲攻撃をかけた米太平洋艦隊。その司令部を訪問するために、吉田首相は真珠湾に足を運んでいた。

つまり、安倍首相が「現職首相として初めて真珠湾を訪問する」ことは間違いになる。

外務省の認識はどうなのか。BuzzFeed Newsは、同省北米局に取材した。

「真珠湾と言うと広い範囲を指すことになりますので、これまで現職の首相が訪問している可能性はあります。より正確に言えば、『真珠湾のアリゾナ記念館を訪問して慰霊をするのが初めて』となります」

アリゾナ記念館とは、日本軍の攻撃により沈没した戦艦アリゾナのうえに作られた追悼施設だ。毎年、100万人以上の人たちが足を運んでいる。
取材に応じた担当者は「外務省として、現職首相として初めて真珠湾を訪問すると、会見などで言ったことはない」とも強調した。

たしかに各種報道をみても、「外務省によると」というソースの明示はない。記事の存在に関しては当の読売新聞から確認の連絡があり、把握をしたという。

12月6日の読売新聞朝刊を見てみると、「日本の首相が米大統領とともに真珠湾を訪れるのは初めて」と表記されている。

また、「真珠湾とは?」というQ&Aでは「政治家では、51年9月に吉田茂首相(当時)が立ち寄ったとの記録が一部に残る」と解説している。

一方、ほかの4紙は「現職初」を見出しにとった。

毎日新聞は「日本の首相が真珠湾で犠牲者を慰霊するのは初めて」と表現。朝日新聞と日経新聞、産経新聞は「現職首相の真珠湾訪問は初めて」などと断定調で、地方紙に記事を配信する共同通信も同じだった。

では、吉田首相は真珠湾で慰霊をしていないのか。担当者はこう言う。

「読売新聞の報道を見る限り、吉田茂首相は真珠湾に立ち寄ったのだと思われます。ただ、外務省として何をしたのかは把握できていません。ただちに確認できる余裕がないため、お答えできない状況にあります」

BuzzFeed Newsは当時の朝日新聞や毎日新聞の紙面を確認したが、真珠湾訪問に言及した記事は見つからなかった。

ただ、サンフランシスコへの往路でハワイに立ち寄った1951年9月1日に、国立太平洋記念墓地(パンチ・ボウル)を訪問している。

パンチ・ボウルは、日系二世部隊を含む第二次世界大戦などの米軍戦死者の墓地であり、追悼施設でもある。吉田首相がそこを「慰霊」している様子は、記事からもしっかりとうかがえる。

”首相墓地参り 涙して頭下げる老婦人(読売新聞夕刊)

同十一時四十分にはパンチボールの太平洋戦争戦没者墓地を訪れた。一万二千の白い十字架の中には多数の二世日本人の名も書かれている

吉田首相は白服にパナマ帽ステッキといういでたち、護衛兵を従えて待ち受けていた米国太平洋警備司令官ヘンリー・オーランド中将の案内で墓前に進み花輪を捧げ、しばし黙祷した。この花輪はハワイ特有のアントリュームバンダーで白い幅広のリボンには”日本首相吉田茂から”と鮮やかに記されていた”

ちなみに、真珠湾にアリゾナ記念館ができたのは吉田首相が訪問した9年後の1962年のことだ。慰霊をしようにも、する場所がなかったのかもしれない。
BuzzFeed Newsは、これまで記事中で「現職首相として初めて」としていた部分を訂正します。

★更新 2016/12/08 19:28
菅義偉官房長官は12月8日午後の会見で、「政府として、真珠湾を訪れた現職首相は安倍首相が初めてという認識か」という質問に、「外務省によれば1951年に吉田茂首相がホノルルを訪問し、国立太平洋記念墓地で戦没者の慰霊を行っている。真珠湾は範囲が広大なこともあり、吉田首相が訪問し、なんらかの行事を行ったかは確認できない状況です」と述べた。

また、菅官房長官は「いずれにせよ、当時は真珠湾のアリゾナ記念館は建設されておらず、アリゾナ記念館で慰霊を行うことは安倍総理が初めての機会となる。また、アメリカの大統領とともに真珠湾を訪問するのは初めて」とも強調した。

ロイター通信はこれを受け、「安倍首相はおそらく初めて真珠湾を訪れた現職首相ではない」と報道している。

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コメント

Mizota Michael Satoshi 「尋問の巡査が射殺」「妻も恋人と・・・河口湖の父・・・」にまず目が行ってしまうw

Mizota Michael Satoshi 風呂敷包みを持って出てきた男を職務質問しようとしたら逃げ出したので、拳銃で撃った、という・・・今なら考えられないな。。

徳善 義和 安倍はただのスタンドプレイ!

文屋 善明 スタンドプレイにもなっていない。ただマスコミがバカ騒ぎをしているだけでしょう。吉田茂の真珠湾訪問が分かっちゃった今、これからの報道が楽しみです。しらばっくれておられるのか。

櫻井啓子 これはもう笑うしかないのでウケるね!にさせていただきました。失笑、苦笑、爆笑。

藤木 冨士子 麻生さんが昔のことで覚えてるのはほんの少しみたいですね。

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