ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 07/24 般若心経の現代語訳

2014-07-27 06:21:33 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『キリストと時』第4章突破。第5章「救済史の中心に基づく新しい時代区分」、これがクルマンの思想の中心部。練習の賜物で指がかなり自由に動くようになった来た。孫娘のドイツ留学の準備も順調に進んでいるようだ。夜は「警視庁捜査一課9係」を見て10時半就寝、5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

舟田 譲二さん、Yutaka Tanabeさん、堀 俊明さん、他22人が「いいね!」と言っています。
posted at 05:13:10

文屋 善明
今日の名言:
イエス様がおっしゃったことを覚えておきましょう。「あなたが私の兄弟の最も小さなひとりにすることはどんなことでも、すべて私にすることなのです」。(マザー・テレサ)
<一言>イエスの言葉よりもマザー・テレサの言葉の方が心にズドーンとくるのは何故だろう。

竹本 耕造さん、舟田 譲二さん、Yutaka Tanabeさん、他29人が「いいね!」と言っています。

三浦 三千春 聖書のことばより〇〇の方がより感銘(私の場合、ある場合は文学やマンガの作品、ある場合は、ある人の生きざまの記録)、、、なぜそうなのかだいぶ考えてみたことがありました。聖書は無味乾燥に感じるのに・・・と。
 私なりに得た結論は、聖書は世界であって広すぎる。
 画家はカメラマンがアングルを切り取るように、世界の「一部分」を、人間の感性を以て切り取って表現するときに感動が生まれる。そういうことなのではないでしょうか。
 すなわち、世界はそのままでは広すぎて漠然としてしている。どこかを切り取って見るしかない。そこに感動が生じる。

文屋 善明 一寸テーマがずれましたね。私はマザー・テレサが語っている「イエスの言葉」よりも、それを間接的に伝えているマザー・テレサの言葉の方が心にズドーンとくるということの不思議さを言っているのです。イエスの言葉は、それを伝える人によって、私たちの心に響くということ。キリスト者の責任を述べているのです。

播 稔 マザー・テレサの言葉は、誰にもわかるように、一種翻訳されているからよく解り、心に響くのでは。

文屋 善明 成る程、確かに少し手を加えていますね。(マタイ25:40)

Satoshi Mizota 無味乾燥な数式の美しさに感動する人たちもいますが、多分少数派なのでしょうね。

三浦 三千春 マザーが、彼女の働きというかたちで、私たちに、世界のある部分(カルカッタにおける、死の床にある人々のための奉仕の働き、生きざま)をビジュアルに切り取って見せてくれている。そういうなかで語られたことばなので、無味乾燥とは受け取られない。そういうことを考えていました。

Satoshi Mizota マザーの言葉は躍動的で一切の乾燥から遠いです。私は乾燥しきった聖書の言葉という「種」を畑に撒いて、水をやって芽吹かせるのは、言葉を読んで行う人だろうと思うわけですね。

三浦 三千春 種そのものは無味乾燥・・・かもですね。そこから、芽吹きの更に先を思い描くとは、ものすごいイマジネーションが要求されるんだな、と今ひらめきました。

三浦 三千春 いとも貴重な、また自分を活かすはずである聖書のことばがなぜ無味乾燥であるのか。これは私にとって長年考え続けてきたテーマですので、ここでの対話は非常に参考になりました。
posted at 06:22:06

文屋 善明
NHKこころ旅。当麻町と旭川の手前。「養生農園」から、今日の心の風景は「市立旭川病院の裏側にある川の畔から見る風景」。旭川のシンボル旭橋。牛朱別川と石狩川との合流地点へ。麦畑(茶色)と田んぼ(緑色)との絨毯だ。側道の花が美しい。大雪山系を遠望する。口笛が似合う。本当に広い。

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安永 玲子 私も見ています。学生時代の夏に長崎の仲間と一週間汚北海道の旅をしました。懐かしい町です。

文屋 善明 私のこの投稿は、ツイッターでも投稿していますが、この番組のディレクターも見ているとのことで緊張します。

村田 多鶴子 この番組のオンエア時間帯は、多くの場合(火曜日以外は)連れ合いのお弁当を用意しているので、なかなか観ることが出来ません。
文屋先生の投稿を読みながら、貧しい想像力を全開にしていますが・・・(笑)
posted at 07:58:56

「昨日のツイート 07/22 凄いバッハの曲の秘密」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/7a484f984bffa528d47d540e4295ce7…
posted at 19:52:52

飛行機が落ちるときは一人でも大勢でも同じことや。RT @takako319: 飛行機が消息絶つってなんなん(´・ω・`) 飛行機乗るの怖くなってきた。1人やし(;_;)
posted at 19:55:40

文屋 善明
お目覚めの花。「あなたは多くの中の一つではない」「まるでプロポーズのような言葉」「見ていて、思わずうっとりします」「ワオ、これはもう病気だ、あまり近づかないでください」。
写真: お目覚めの花。「あなたは多くの中の一つではない」「まるでプロポーズのような言葉」「見ていて、思わずうっとりします」「ワオ、これはもう病気だ、あまり近づかないでください」。
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安孫子 哲朗 微笑ましい
主の花嫁

安永 玲子 美しい出会い、喜ばしい朝ですね!

文屋 善明
2014日々の聖句 07月24日(木)
強情になってはならない。主に服従し、とこしえに聖別された主の聖所に来なさい。(1歴代30:8)
フィリポが「モーセが律法に記し、預言者たちも書いたナザレの人で、ヨセフの子イエスに出会った」と言うと、ナタナエルがは「ナザレから何か良いものが出るか」と言ったので、彼は、「来て、見なさい」と言った。(ヨハネ1:45~46)

私の黙想:
強情さがイスラエル民族の特徴的な性格と見做されているようだ。「かたくな」とも言われている。ヤハウェもイスラエルの民の頑なさにあきれている。(参照:出エジプト32:9その他多数)この性格は必ずしも悪いわけではない。だからこそ国土を失って後も、民族のアイデンティティを保つことができたとも言えるが、同時にこの頑固さはとんでもない悪でもある。この民族が今日のイスラエル人なのか、あるいはパレスチナ人なのか、よく分からないが、ともかくあの地域の人々の頑なさは人類を滅ぼしかねない。
そういえば、彼らがエジプトを脱出した時のエジプトの王パロも相当にかたくなであったようである。パロの頑なさにモーセの頑なさが勝利したというのが出エジプト記の物語であろう。

竹本 耕造さん、舟田 譲二さん、Yutaka Tanabeさん、他26人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんがThe Diabetes Awareness Ribbonさんの写真をシェアしました。

これはアメリカ在住の甥の嫁リズからのシェアです。彼女は今、息子の「脳の手術のために」ニューヨークで滞在中です。この言葉彼女自身のための言葉だと思います。

写真
https://www.facebook.com/TheDiabetesSite/photos/a.403138053051617.93436.317342954964461/796923160339769/?type=1&theater

丸山 順子さん、大野 泰男さん、峯田 敏幸さん、他48人が「いいね!」と言っています。

安孫子 哲朗 ご子息様の手術が無事に完了しますことを主にお願いしお祈り致します
御家族の上に主の愛の照明がありますように祈ってますアメン

文屋 善明 そのために、弟夫婦は嫁の留守宅を守るためにアメリカのコロラド州に1ヶ月半の予定で滞在中です。

藤木 冨士子 英語がわかりませんが、enoughという言葉がたくさん使われている。すべての必要を神様が満たしてくださいますように。

村田 多鶴子 『「助けて」と言える国へ』(奥田知志・茂木健一郎著)の、人は<つながる力>で生きているとの主張を想い起こしました。
助けを必要としている人の存在に気付いたら、さりげなくそれに応えることが出来るといいのですが・・・。鈍感な上に、愛が足りないので、気付きを妨げていることが多いのが私たちの現実の様に想います。一方で、勇気を出して「助けて」と言えば、喜んで助けてくださる方がいるような気もするのですが・・・。

石田 聖実 病人とご家族の上に信頼と平安を、医師と病院のスタッフの上に技術と最善の処置を祈ります。

文屋 善明 石田先生、ありがとうございます。

小栗 龍男 祈りました、回復を・・!

文屋 善明 小栗先生、感謝。

石松 周 一日も早くお元気になられますように。

文屋 善明さんが松井 守さんの近況をシェアしました。
7月24日
松井守様がとてもご丁寧なご紹介をして頂き、叔父として恐縮しています。ハンナの両親はただ今私用により渡米中です。
お早うございます。ゴスペルの女王・ハンナがカーネギーホールへ出演!
さらに、栄誉なことに全米最大の祭、五番街のセントパトリックデー パレードの参列にも選ばれました。
映画「あした天使になあれ」の主題歌を作詞・作曲・歌のハンナさんが来年3月、ニューヨークのカーネギホールの出演とハンナさんのゴスペル隊が日本人初めてのパレード公式参列です。
パレードは1762年から行われており、全米と海外から招待される150団体が、五番街をパレードします。全米では最大のパレードで沿道には200万人以上の観客で埋め尽くされると言います。
ハンナさんはジョージワシントン大学大学院安全保障学部を卒業、軍事の専門家としてパキスタン大使館に勤めていましたが、体調を崩し、帰国してシンガーソングライターに転身。2012年、日本から聖歌隊として参加した全米ツアで、日本人としては珍しくゴスペルシンガーとして認められ、その実績がカーネギホールへの出演となりました。
カーネギホールではコンテンポラリー(近代的)ゴスペルのほかオリジナル曲と「東日本大震災の応援歌花は咲く(英語名Flower Will Bloom)」を歌います。折角の出演なのでコーラス隊の募集もしたいと張り切っています。コーラス隊希望者(自前)おられませんか。8月末締め切りです。 (写真5枚)
松井 守さんの写真

播 稔さん、安永 玲子さん、玉城 豊さん、他18人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが松井 貴志さんのリンクをシェアしました。
般若心経ってそんなもんだったのか。

【感動】現代語訳で見る般若心経がわかりやすくて素晴らしすぎた!

http://corobuzz.com/archives/1083
今風に現代語訳するとすごかった…

東山 富昭さん、大脇 友弘さん、播 稔さん、他28人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 学生時代に世田谷の禅寺に一カ月泊りこんでいましたので、今でも般若心経は暗記しています。お経をあげると結構「様に」なっています。

橋 和廣 現代語訳とは言えませんね。DQN語訳でしょう!下品です。

文屋 善明 ということで、いろいろネットで調べてみましたら、こんな現代語訳がありましたので、ご紹介しておきます。

「般若心経の」について、真言宗豊山派不動密蔵院による現代語訳をネットで発見しました。これは中々有益です。
http://www.mitsuzoin.com/index.html

般若心経 現代語超訳
『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』
この教えは、お釈迦さんを覚らせた仏さまがおっしゃったもので、心が豊かに、安らかになるための素晴らしい智慧のエッセンスについてのものなんだ。
観音さまっていう、とっても心のバランスがとれた仏さまがいるんだけど、その仏さまが、ある時、心静かに物事を観察していたら、心に何のわだかまりもなくなったんだ。そして、この世の中には何一つとして、永遠不滅で、変わらないもは無いっていうことがわかったんだ。
舎利子君、いいかい。物事は、その働きも、存在も、いろいろな条件が重なってそうなっているんだ。だから、その条件が変われば、結果も変わってくる。その条件は刻々と変化しているんだ。世の中はすべてそういう具合になっているんだ。
舎利子君、よくお聞きよ。色々な条件の中には自分の努力というのもあるけど、それだけじゃないんだ。ほかにも色々な、私たちには想像もつかないような条件が入り込んでいるんだ。
どんなものでも無数の条件でそこにあるのだから、何もないところから突然何かが出現するっていうこともないし、いきなり何にも無くなってしまうということもないっていうことさ。無くなるにしても何かの条件があるはずだからね。
物事は一見増えたり減ったりすることがあるけど、よく考えてみれば、ある場所から別の所へ移っただけなんだ。実質は増えても減ってもいないんだよ。
ちょっとびっくりするかもしれないけど、物だってさまざま条件によって変化しているし、私たちが頭で考えることだって、常に変化しているんだ。その日の気分っていうのがあるだろう。それと同じだよ。いつも自分は同じだと思っていたって、違っているんだ。なかなかそのことに気がつかないことが多いけどね。
よく人は年はとりたくないとか死にたくないって言うけど、じゃ年を取るって何だろう。死んじゃうってどういうことなんだろう。年を取るっていうのはある意味では成長するっていうことだろう。死にたくないっていうけど、それは死んだ後のことがわからないからだろう。じゃ私たちが生まれる前って何だったんだろう。きっと生まれる前と死んだ後は同じだよ。
私たちはこだわり過ぎるんだ。色々なことにね。こだわるっていうことは、そこにじっとしているっていうことだ。じっとしていたんじゃ他の素晴らしい世界を知ることもできないんじゃないかな。
仏さまたちはみんな、物事やその働きを心静かに観察して、そこから共通の法則を見つけ出したんだ。それを見つけ出すと、心が自由自在になるんだ。何かを恐がることもないし、現実を無視して「こうであったらいいのになあ」なんて夢見るようなことも考えないんだ。
こういう考え方というか、感性を身につけるのに、とっても素晴らしい呪文があるんだ。それはね、
<ギャーテー・ギャーテー・ハーラーギャーテー・ハラソーギャーテー・ボージー・ソワカ>
っていう呪文さ。

「羯諦羯諦ギャーテーギャーテー 波羅羯諦ハーラーギャーテー 波羅僧羯諦ハラソウギャーテー 菩提娑婆訶ボージーソワカー」という真言の部分は、あえて訳すべからずとされている。訳してしまうと、意味が限定されてしまうし、言葉としての力も無くなってしまうと考えられている。
とはいえ、内容だけでも知りたいと思うのが人情です。そこで梵語の読み方と、一般的な訳をご紹介しておく。

<ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー>
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」

何だ、大したこと言っていないではないか、と思ったら、この訳をご紹介したことは、間違いだったということでしょう。しかし、これが「真言」なのである。つまり真言とは、この般若心経で説いてきたことを、総括して神秘的に象徴した呪文なのである。だからこの真言はこのまま受け入れるべきものである。「スモモモモモモモモノウチ」という早口言葉があります。意味は「李も、桃も、桃の内」です。これは内容の問題ではなく、早口言葉として意味のある言葉なのです。真言とはそれと同じようなものである。

密蔵院 真言宗豊山派 江戸川区鹿骨 もっとい不動
www.mitsuzoin.com
もっとい(元結)不動 密蔵院ホームページ。般若心経講座や写仏の会、聲明(声明)ライブ、ご詠歌の会、浪曲の会、お寺ライブなどお気軽にご参加ください!

文屋 善明
今日はジムで思いっきり汗をかいて帰宅なう。

舟田 譲二さん、小堀 昇さん、播 稔さん、他18人が「いいね!」と言っています。

播 稔 お元気ですねー。まことにうらやましい。

重要な問答。
濱 和弘
箱根聖会から、無事、返ってきた。聖会中、大先輩からなぜ聖会に出席するのか?と問われた。
聖会、教派によっては聞き慣れない言葉の集会かもしれない。
それは、逆説的に言うならば、聖会という集会を行うグループが如何なる集団かということが、聖会というその集会の性質に表れていると言える。つまり、私が所属している日本ホーリネス教団というキリスト教の一教派の立ち位置が見えてくるのも、この聖会という場なのである。
そして、その聖会に、私が毎年、毎年、出席するのは、まずはその教団に属している、自分の立ち位置を確認するためであり、かつ私たちの教団が、聖会という場で語り求める「聖化」というもの理解のどのように深化させているかを見ながら、自省的に自分たちの教団なり、自分の神学的知見を捉えるためでもある。

あなたと杉浦 紀明さん、長倉 崇宣さん、松井 守さん、他11人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 それを君に問う「大先輩」は何故君にその問いを発したのだろう。そこに「聖会」における君の立ち位置に違和感を感じたのではなかろうか。つまり、その問いは、問いではなく「批判」なのではないだろうか。

濱 和弘 うーん。どうでしょうか。話の流れとしては、批判というよりも、年々聖会に出席する牧師の数が減るつつある傾向(特に中堅以降)の中で、私が、ほとんど欠かさずに出席しているので、尋ねられたという感じだったように思います。

文屋 善明 成る程、私が思ったのとは逆方向でしたね。そうすると、教団としての危機的状況ということになりますね。

濱 和弘 そうかもしれませんというか、私自身は少々危機感を感じています。

富山 信 私はホーリネスにいて、今は日基に来て痛感するは聖会や修養会の必要性ですね。神学研究会や協議会はあっても、霊的・信仰的養しないを受けるときが少ない。もちろん、神学と霊性を分けて発言するわけではないが。神学と霊性は、不可分の関係で結びついているのだから。でも、時を聖別して神に向かう。世の色々なものを置いて、牧師も信徒も養いを受ければ、より伝道に牧会に励めると思うのです。私はホーリネスから外に出てみて、ホーリネスの恵まれていたところが見えます。ホーリネスの良さは、何よりもその霊性を深めようという思いにある。それを失わないで欲しい。ホーリネスはホーリネスの良さを磨いていただきたい。ほかの教派から学ぶということは重要でも、良いものは捨てないでと願います。また、ホーリネスの残念なところは、今は違うかもしれませんが、ヒエラルキー(階層)のあるところでした。先輩・後輩、男性・女性など・・・私がいたときには、その差異が明確で若い者として、とても息が詰まった。日基のいい所は、そういう側面はないことはないが少ない。人数が多いということもありますし、やはり、任命制と招聘制は大きな違いと思います。私が、発言しているのは、20年以上前の状況ですから、時代錯誤はあるでしょうが。日本基督教団には、再び、福音主義の大同団結を願っている指導者もいます。国力によって1つになるのではなくて、キリスト・イエスにあって1つになれたら、それも幸いです。

長倉 崇宣 中堅以降の先生方の出席が少なくなっているんですか。うーん、だとしたら若い信徒が少なくなるのも当然の流れ…。

濱 和弘 長倉君、だから危機感。もっとも、教区ごとの聖会にはでているとはおもうので、その辺で、「少々」

濱 和弘 富山先生、中にいるとわからないことが外から見るとわかるということですよね。

文屋 善明 傍から見ていると、つまり無責任な観察としては「聖会」と呼ばれる集会が多くなりすぎているように思います。お祭りが多すぎるとその祭りは形骸化します。聖会の良さというか盛り上りには集会の規模もお重要な要素だと思います。もちろん、もっとも重要なポイントは情緒的な要素ではなく、聖書の言葉による魂の揺さぶりで、選ばれた説教者が命がけで準備したメッセージがなければ聖会は無意味でしょう。

濱 和弘 文屋先生、確かに、各教区で聖会が持たれるようになったぶん、教区の聖会で「間に合ってます」というわけではないでしょうが、なんとしても箱根にという感じはなくなっているのかも知れません。私が修養性だったころの聖会には、盛り上がりと言えるかどうか良く分かりませんが、聖会それ自体に、何か言葉では言い表しがたい熱気みたいなものがあったように思います。其れと比べると、随分おとなしくなった感はあります。

小林 佳 聖会については私たちの教団でも同じような問題が起きております。若い世代の方々はほとんど参加していません。それにあわせて、若い世代の聖化離れも大きな問題になっております。

濱 和弘 小林先生、ほんと考えなければならない問題ですよね。

小林 佳 いま聖化には二つの流れがあるように思います。

一つは、昔ながらの聖化やきよめ…第二の転機やキリスト者の完全などを強調する流れ。・・・もっと見る

杉浦 紀明 濱先生、聖会中の会場で熱心に歓談しておられる姿を拝見しましたが、忙しく立ち働いておりまして(笑)、声もかけられず失礼いたしました。聖会を大切にしたい、というのは私も同感です。

濱 和弘 小林先生、二つの流れですか…。確かに変化はありますよね。私たちの教団の聖化理解も確かに代わってきています。私は、それを深化だと受け止めています。

濱 和弘 杉浦先生、ご苦労様でした。

杉浦 紀明 そもそも、「聖会」というものの空気が80年代後半~90年代あたりを境に急速に変わってきたように感じます。私はホーリネス教団の聖会に関わったのは東京聖書学院修養生だった3年間を除いては2000年代以降なので、もっぱら80年代前半から参加していたケズィック・コンベンションや聖化大会からの印象なのですが、集会の在り方はそれほど大きく変わっていないのに、空気が大きく変わったことに驚いたものでした。

文屋 善明 聖会の魅力は何と言っても、特別に優れた「説教者」、つまりカリスマ性を持った説教者の魅力で、私がホーリネスに属していた時代ならば車田秋次先生の説教を聞くということで、当時だと学院教会「現在の中央教会か上野教会以外ではめったに聞けない説教が、聖会では2泊3日で3回は聞けるということでした。そういう魅力が分散し、飛び抜けた説教者がいなくなったことが魅力の減少につながっていると思います。

濱 和弘 以前、村上宣道先生とお話しをしているときに、私が「車田秋次先生の肉声の説教を聞いたことがない」と申し上げますと、村上先生が「そうか、君は、車田先生の説教を聞いたことがないのか。それは不幸だな」としみじみと言われたことを思い出しました。きっとすごい説教家だったのでしょうね。そのことを妻にはなしますと、妻は「私は大阪教会で聞いた事があるわよ」と自慢げに言われました。

文屋 善明 私は未だに車田先生以上の説教者に出会ったことはありません。渡辺善太先生の説教を伺ったこともありますが、車田先生の鋭さには及ばないと思いました。車田先生の凄さは車田個人が前面に出ていなくて、聖書の言葉が直接聞くものに迫るという点だと思います。

杉浦 紀明 私も車田先生に直接お会いして説教を拝聴したことはありませんでしたが、数年前に初めて肉声説教集のMP3版で車田先生の肉声の説教を聴いて、その聖書説教の深さに引き付けられたことでした。現代は確かにそういう説教者は見られなくなり、寂しいです。また、そういう説教者が現れにくい時代になってしまったのだとも感じています。

文屋 善明 いわゆるファンダメンタリズムから離れて、車田先生の説教および聖書解釈を振り返ると、近代以降の聖書学の視点に立っても十分に耐え得る内容であることに驚かされる。それだけ徹底的に聖書のテキストを読み込んだおられたのだ思う。

濱 和弘 私たちの先輩にそのように優れて聖書に取り組み、優れた説教をなさる方がおられたことを思うと、自分自身もっと、真摯に聖書に取り組まなければと反省させられます。

文屋 善明 先輩という言葉には自分との「連続」を意識させますが、私などは車田先生には連続性は感じず、むしろ非連続、異質、つまり「カリスマ」を感じますので、「先輩」というような言葉には、非常な違和感を感じます。現在の牧師たちは信徒たちとの間にこのような「異質感」を感じさせていないのではないでしょうか。これは制度とか、聖職論というような次元とは異なるもので、そこに宗教というものの特異性があるのではないでしょうか。

杉浦 紀明 往年のホーリネス・プリーチャーは「現代の預言者」のような風格を持っていました。車田先生には直接お会いしたことがないですが、ケズィックのポール・リース、スティーブン・オルフォード、ジョージ・ダンカン、アラン・レッドパス…私が二十代の頃に憧れた説教者で、私もそういう説教者になりたいと思ったことでした。バックストン、ハドソン・テーラー、また日本人でも中田重治、笹尾鉄三郎など、どういう人だったのかと思います。若い日の憧れでした…

文屋 善明 私は中田重治先生にはお会いしたことがありませんが、幼いころから、母から散々聞かされておりました。中田羽後先生の新しい聖歌集が発行されたころ、年会に羽後先生が来られて話をなさいましたが、その時、中田重治先生の「血」を感じました。その後中田重治先生の孫という方を知りましたが、その頃、彼は東神大の学生で、ここでも中田先生の「血」を感じました。


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