ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 4/11

2010-04-18 04:38:14 | ローズンゲン
4月11日(日)
御力をわたしたちの神に帰せよ。(申命記32:3)
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。(エフェソ5:19-20)
わたしの黙想
ドイツの教会暦では復活後から聖霊降臨日の主日までに、それぞれ主題が決められている。復活後第1主日(聖公会では「復活節題2主日)は「新生」、それ以後、「主のあわれみ」、「喜べ」、「歌え」、「祈れ」、「聞き給え」と続く。非常に分かりやすい。
今日の聖句は「モーセの歌」からの1節。このモーセの歌に旧約聖書における神信仰が美事に描かれている。

4月12日(月)
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。(エレミヤ31:31)
イエスはまた、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。(1コリント11:25)
わたしの黙想 
エレミヤ書の「新しい契約」をキリスト教の「新約」に直結してしまったらエレミヤは泣き出してしまうだろう。律法という形の外的な契約に対して、心の中の良心に訴える契約がここでの主題。法律で禁止されているからしないのではなく、悪いことだからしないという生き方。

4月13日(火)
主よ、あなたがお造りになった国々はすべて、御前に進み出て伏し拝み、御名を尊びます。(詩編86:9)
わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。(1コリント9:16)

4月14日(水)
わたしの証人はあなたたちだ、と主は言われる。(イザヤ43:10)
全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)
わたしの黙想
イザヤ書の場合「わたしの証人」とは何を証しするのだろう。その直後に「わたしこそ主、わたしの前に神は造られず、わたしの後にも存在しないことを』という言葉がある。旧約聖書の信仰(宗教)は明解。この一点に集中している。この一点から揺るがない。

4月15日(木)
わたしに尋ねようとしない者にも、わたしは、尋ね出される者となり、わたしを求めようとしない者にも、見いだされる者となった。(イザヤ65:1)
アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。(マルコ2:14)
わたしの黙想
復活したイエスは迫害者であるソウルにも現れ、エルサレムから逃げ出す二人の弟子たちにも追いかけるようにして顕現した。

4月16日(金)
あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。(申命記4:2)
キリストの言葉:弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。(ヨハネ14:26)
わたしの黙想
わたしは子どもの頃から、「加えることも減らすこともしてはならない」という言葉に縛られて聖書を読んできた。この歳になってやっと、「減らすことも」「加えることも」できるようになった。NTの著者たちも平気で「聖書」に自分の言葉を加えたり、減らしているではないか。

4月17日(土)
善を行うことを学び、公平を求め、搾取されている者を助けよ。(イザヤ1:17)
互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤ6:2)
わたしの黙想
ドイツ語訳の影響か、本日の聖句はより積極的。この方がスッキリする。戒めというより「行動司令」。「搾取されている者を助けよ」は単刀直入で明解。わたしたちの課題は誰が搾取者で誰が搾取されているのかを見分けること。

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