ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 08/16 終戦の日に 義父鈴木重張のこと

2014-08-18 09:58:19 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。終戦記念日。『叛逆』はほとんど進まず。NoteとPrinterとをつなぐ。「讃美歌スタイル」を考える。練習30分。外出なし。夕食後、上川隆也主演「命あるかぎり戦え(パラオ戦記)」を見て11時半就寝、雷が激しい。5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

森分 望さん、篠崎 悟さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他25人が「いいね!」と言っています。

松井 守 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。映画を見に行きます。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:25:51

文屋 善明
今日の名言:RT @F_W_N_jp:
賢明な人とても愚行をやらかすということを、人は信じない。なんという人権の侵害であろう!(ニーチェ『善悪の彼岸』)
<一言>もう、他人にレッテルを貼ることはやめようよ。たとえ美しいレッテルを貼ったとしても、それは人権侵害なのだ。まして・・。

涌井 幸子さん、森田 美芽さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他24人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好 ガラケーなので「いつものところ」が見つかりません。皆さんによろしく。現在川崎市。今日まで教団の「世界宣教大会」にでています。昼過ぎに終わり名古屋に帰る予定。
posted at 06:34:42

「昨日のツイート 08/14」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/61cdd6e3e31257331b9154224519327…
posted at 11:44:23

文屋善明
お目覚めの花。「昨晩の雷は本当にすごかったね」「私なんかちちじみあがってしまったわ」「どこか被害が出ていないかしら」「飛行機による爆撃ってあんなもんなのかしら」「とんでもない、稲光や雷鳴だけじゃなくて、本当にソラから鉄の塊が頭の上に落ちてくるんだから」。

細谷 民子さん、奥野 卓司さん、村田 多鶴子さん、他30人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
2014日々の聖句 08月16日(土)
あなたの太陽は再び沈むことなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となる。(イザヤ60:20)
あなたがたはすべて光の子です。(1テサロニケ5:5)

私の黙想:
何というイマジネイション、詩的感性だろう。このような感性においては「現在」は真っ暗闇なんであろう。「陽はまた昇る」なんていう程度ではない。今のこの暗闇は完全に駆逐され、太陽も月も、すべの光源となるものが、一斉に輝き始める。そこでは「陰」さえ、「日に当たらない所」なくなる。全てが明るみに引き出され、すべてのことが知られるようになる。ここを読み、黙想していると、パウロの言葉を思い出した。「今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがその時には、顔と顔と合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」(1コリント13:12)。聖書において、「今」と「将来」との関係はこのように捉えられているようだ。弟子たちがイエスの行為を理解できなかったとき、イエスは言う。「わが為すことを汝いまは知らず、後に悟るべし」(ヨハネ13:7)。今はすべてが中途半端で理解できないことが沢山あっても、諦めず心に留めておけば、必ずわかる時が来る。

奥野 卓司さん、村田 多鶴子さん、Yoshiyuki Sakaeさん、他32人が「いいね!」と言っています。

濱 和弘 黙想をお読みしながら、エラスムスがエンキリディオンで目に見える太陽の光を下にして神の恵みについて述べている箇所を思い出しいました。

真塩 ナナ子 今はすべてが中途半端で理解できないことが沢山あっても、諦めずに心に留めておけば、必ずわかる時が来る」。なんて慰められる言葉でしょう!私の机の前に書いて貼って置きましょう。

こーる のりこ Fr. Yoshiaki Bunya-sensei, シェアさせてくださあい!!<(_ _*)> ☆

文屋 善明
聖歌(讃美歌)考(4) <基礎聖歌30選集>
前回述べた「基礎聖歌30選集」はあくまでも私の個人的私案で、日本聖公会の『聖歌集』のケースを取り上げているが、これは『讃美歌21』についても当てはまるとことと思う。(現時点での30曲の殆どが『讃美歌21』と重なっている)
なぜ、私がこんなことを考えるに至ったのかということについて、一言説明しておくべきであろう。
聖職としての現役を完全に離れ、教会での礼拝においても会衆席に身をおくと、いろいろなことが見えてくる。その最も顕著なことが礼拝における賛美の大切さである。頭を上げ、声高らかに、賛美をする人の姿が稀である。そこからは「感謝」の響きがない。何故だろう。皆んなが、聖歌集を手にして、必死になって歌っている。いや、歌になっていない。これは「他人事」ではない。私自身のことである。
そこで思い出す。私が2年間(月に1回)礼拝奉仕をさせていただいた、恵楓園内の菊池黎明教会での礼拝のことである。人数はそれほど多いわけではない。中には完全に目が見えなくなっている人、だんだん見えなくなりつつある人、この施設内で生活している人たちは、いつの日か見えなくなるかもしれないという恐れを感じている。ここでの礼拝においては古い『古今聖歌集』を使っている。なぜなら、ここにいる何人かは聖歌をほとんど暗唱している。驚くべきことに番号まで覚えている人がいる。この人たちが大きな声で、堂々と聖歌を歌っている。ここでの礼拝に参加すると参加する人たちが皆、大きな声で歌うようになる。聖歌だけではない。式文も覚えている。だから、新しい『聖歌集』に切り替えることができないのである。このような経験の中で、聖歌とはソラで歌うものだということを学んだ。
今年の6月、私は78歳の誕生を期して一つの決断をした。それはオルガンの練習である。私がオルガンとピアノの練習をやめて60年になる。それまでの数年間、つまり、中学と高校時代、私の一日は音楽漬けであった。特に高校の3年間は、日に5~6時間はピアノの前に座っていた。私は音楽の道に進みたかった。しかし中学から始めたピアノの実力では音楽学校は無理で、1年間浪人生活を送り、神学校に進むことになった時、私は音楽への道をきっぱりと諦め、それ以後ピアノやオルガンの練習は一切やめた。
という訳で、今、どの程度オルガンが弾けるのか、試しに自宅の電気ピアノの蓋を開け、弾いてみた。当然、ほとんど弾けない。それでも1時間、2時間と弾いているうちに、だんだん指も動くようになてきた。早速、天神の楽器屋で教則本をあさって、『教職課程のための大学ピアノ教本~バイエルとツェルニーによる展開』を見つけた。家に帰って弾いてみるとこれなら「いけそう」ということで練習開始、約1ヶ月かかってある程度進んだところで、音をピアノからオルガンに切り替えて、聖歌を数曲弾いてみた。スムーズには弾けないが、何とか弾ける。じゃ、聖歌580曲の中で何曲ぐらいなら弾けそうかと、約1ヶ月かかって全曲をチェックすると、どうやら少し集中したら弾けそうな曲が約150曲ほどあった。
それで簡単そうなのから10曲ほどを選び出し、集中して練習し、1曲マスターするともう1曲加えるという風にして、のろのろと進んでいる。その過程で選び出したのが基礎聖歌30選である。(つづく)

さとう ひでこさん、玉城 豊さん、藤木 冨士子さん、他42人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 私の教会は新聖歌で賛美歌とは少し違い歌いやすいと思います。長男、私もピアノ習っていましたが少しでも離れるとひけなくなりますね。

播 稔 そうだったのですか。音楽学校に行こうと思っていたなんて。想像できません。

佐藤 静代 文屋先生の前向きな姿勢に頭が下がります。先日日曜学校で子供賛美歌を片手でキーボードで弾いてみましたが、指の位置さえわからなくなってました。その後

佐藤 静代 フェイスブックの要領が今ひとつ分からずはなしの途中で切れていまします。

文屋 知明 小学校の音楽教材(教師用・指導案版)には、ピアノがあまりよく弾けない先生のために「簡易伴奏」というのがあります。讃美歌や聖歌にも簡易伴奏曲が必要ですね、もうすでに出版されていたかな~!この曲は弾き歌いをしたいけれども、それには難しい場合には、その曲の持ち味を活かしつつも演奏しやすいように編曲することはできますね~。

糸原 由美子 讃美歌にはあるようです。簡易伴奏版。

文屋 善明 今度キリスト教書店で見てみます。

文屋 善明 私のイメージでは、バイエル以上つえるにー以下で、練習したらブルグミューラー程度は弾けるレベルを考えています。

文屋 知明 アニキ様、私が、アニキ様用に編曲させていただきますよ。この曲を弾き歌いしたいんや~、というのがあれば、一晩でさせていただきます。パソコンで綺麗な楽譜でね!

文屋 善明 明日、基礎聖歌30選集を公表します。私のためには、『聖歌集』のままで150曲ぐらいまではいけます。

Satoshi Mizota 「時事放談・賛美歌武者修行編」というタイトルあたりでこれは出版してほしいなあ。いいと思っても教会で呼んでくださいといえない。。。

文屋 善明
聖歌(讃美歌)考(5) <聖歌・讃美歌の伴奏について>
聖歌(讃美歌)の四声部のあの形(スタイル)がどこから出てきたのか、どう考えるのか、どなたかご専門の方に伺いたいと思う。
どう考えてもソプラノ、アルト、テナー、ベースのあの形は不思議である。普通は、合唱曲の形だと思われているが、実際に歌ってみると、とても合唱曲とは思えない。アルト部はともかくとしてテナー部からベース部まで低音に行くほど動きが鈍くなり、ベースパートなどは誠に気の毒で、下の方で唸っているだけという感じである。とは言っても、あれが伴奏曲の形とも言えない。しかし、ほとんどの教会のオーガニストは非常な苦労によってあれを伴奏曲として弾いている。オルガン伴奏の場合はまだましだが、あれをピアノで弾いたら少しも盛り上がらないし、一見簡単そうであるが、案外難しい曲である。本当のことを言うと、一つ一つの聖歌について、ピアノ伴奏とオルガン伴奏のための楽譜を作ってもらいたいと思う。それにギターのための伴奏などがあると便利であろう。
聖歌(讃美歌)のあの形は、ちょっと乱暴な言い方をすると、要するにメロディーラインを助けるための和音を示す印のようなものだと考えればいいのではないか。オルガンの場合ならばその和音を響かせ続ければいいし、ピアノの場合には低音から高音までを自由に分散させて演奏するための目印のようなものであろう。時にはリズムを補強する役割をする場合もあるが、基本的にはメロディラインを浮き上がらせる役割を担っている。つまり、あまりそのままに弾くということに拘る必要はない。ただ、近年になって作曲された聖歌や讃美歌の場合は必ずしもそうではないことも多い。
昔、小学校の先生が右手はメロディライン一本で、左手はドミソ、ドファラ、シレソの主要3和音だけを弾いて児童たちに音楽を教えていたことを思い起こせばいい。私自身は数回、夕の礼拝の時に複音ハーモニカで聖歌の伴奏をしたこともあるが、中々気持ちが良かったと思う。アコーディオンにしても特別なプロの演奏は別にして、右手ではソプラノ部とアルト部だけで、左手のボタンは主要3和音だけである。要するに、あれでいいのである。重要なのはメロディラインであり、これを間違わなければ大丈夫。会衆がノッてきたら、もうメロディさえも不要になる。後は和音だけを間違わないように注意して、リズム楽器のように演奏するば、盛り上がってくること間違いなしである。
以上が聖歌・讃美歌の伴奏の基礎の基礎であって、後はその人の技術によっていくらでも展開したらいい。アメリカではその種の楽譜が多数出版されているらしい。(つづく)

寺田 由志子さん、村田 多鶴子さん、濱 和弘さん、他21人が「いいね!」と言っています。

文屋 知明 ようするに、コード奏法でいいということ・・・。アコーディオンの左手のボタンは主要三和音だけと言うのはどうですかね、借用和音を使用することもあるよ。

文屋 善明 分かっているのですが、それを言い出すとややこしくなるので簡略化しました。安物のアコーディオンという意味です。

浜井美喜 友人のキリスト教音楽関係者に、先生のお考えを伝えたいので、シェアさせてくださいませ。

文屋 善明 最後に、全部まとめてブログに保存しますので、それからでいいでしょう。

浜井美喜 わかりました。m(__)m

文屋 善明さんが山本 不二樹さんの近況をシェアしました。

あの狂気の時代、こういうエピソードもあった。
  終戦の日に  義父鈴木重張のこと
クリスチャンだった母親に、「軍隊に行っても絶対に人を殺したり不道徳なことをしてはいけない」、と言い聞かせられて、予科練に入隊した義父は、その教えを守り続けましたが、ついに特攻兵として中国の島へ配属されました。特攻兵と言っても、その頃はもう当時の青年の憧れだったゼロ戦はなく、義父たちが乗るのは、ベニヤ板のボートにトラックのエンジンを積んだ「震洋」という特攻艇で、これで敵艦に体当たりするのです。義父はいよいよ敵を殺して自分も死ななければならないというギリギリの時になって、もう一つの母の教えを思い出しました。それは、「困った時には何か人の役に立つことをしなさい」というものでした。そこで父は、人の役に立つこととして、毎晩夜遅く兵舎の電気の下で、仲間の軍靴を磨いてあげていたそうです。それがたまたま、兵舎の反対にいた上官の目に留まり、上官は彼のような真面目な青年を、死なせるわけにはいかないと思って、最後まで出撃命令書に義父の名前を書かなかったのだそうです。そのことを、戦後20年以上たって、戦争犯罪者の追及が終わって、熱海で行われた第1回の戦友会の席で、上官からこっそり教えられたのだそうです。父はその上官を命の恩人として尊敬し、毎年正月には必ず新年のあいさつに出かけ、自分の二男には、上官の名前の清秀をひっくり返して秀清と命名した程です。その上官が亡くなられた時、形見にいただいた大島紬の着物は、義母が聖書カバーとして作り変え、その一つは私の口語訳聖書のカバーとして今も大事に用いています。
山本 不二樹さんの写真

村田 多鶴子さん、金丸 勝彦さん、松沢 直樹さん、他22人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 すばらしいですね。もし、息子が兵隊になるような事態になったら、そのように言えるでしょうか?どういう事態にあっても、真摯な態度でいれば、道が備えられると信じます。

石松 周 兵隊に行かせる国にしてはいけないのでは。まずは。

糸原 由美子 もちろんです、ぜったいやです。殺されるのもいやですが殺させたくないです。いろんなことを消去してもなお、単純にそう思っています。

本田 すみ子 · 共通の友達: 大脇 友弘さん
素敵なお話!一日も早くこの世から戦争を無くしたい!

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