ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 09/23~09/29

2012-10-09 08:19:01 | ローズンゲン
今週のローズンゲン 09/23~09/29

losungenj 2012.09.23(sun)
見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。(Jer32:27)
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(Rev1:8)
私の黙想:
神の自己宣言、これを啓示という。イスラエルに対しては「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(Ex20:2)と、宣言された。この神の自己宣言に対して人間はどう反論できるのだろうか。このことについての真偽を知る能力を人間は持っていない。それを受け入れる前に、それを知りたいという誘惑にかられる。人間は常に神の前にあって神を知りたいという誘惑に誘惑されている。

losungenj 2012.09.24(mon)
見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、お前たちはわたしの手の中にある。(Jer18:6)
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。(Phi2:13)
私の黙想:
「イスラエルの家よ」という言葉を省略すると(事実ローズンゲンは省略している)、この言葉は全ての人、物に当てはまる。信仰者・非信仰者の区別さえなく、全て「神の手中にある」。私も間違いなくそうだ。問題はその事実をどう受け止め方ているかである。

losungenj 2012.09.25(tue)
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なりわたしの道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。(Isa55:8)
イエスはシモンとアンデレに、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。彼らはすぐに網を捨てて従った。(Mk1:17-18)
私の黙想:
神の思いは人間の思いをはるかに超絶している。要するに「親の心子知らず」ということであろう。親の思いは子供が成長して自分が親になってから初めて分かる。でも人間が成長しても神にはなれない。従って神の「思い」を人間は永遠に知り得ない。ただ、「私を思って」全てのことをしてくださるという信じるのみである。

losungenj 2012.09.26(wed)
それゆえ私は多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人(強者たち)を受ける。彼が自らをなげうったからである。(Isa53:12)
キリストの言葉:全てのことは父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。(Mat11:27)
私の黙想:
ユダヤ人には理解不能な謎の言葉であった。語られている言葉を聞く者が全て理解しているとは限らない。聞く者が理解出来ないからと言って語る者がデタラメを言っている訳ではない。今は理解出来なくても、後になって理解出来ることもある。弟子たちはイエスと出会い、特にその生き方を親しく見て、十字架で死んだという謎にぶっつかって、謎と謎とが重なり合いって、やっとイザヤの預言を理解した。

losungenj 2012.09.27(thu)
命を得させ、御名を呼ばせてください。(Ps80:19)
イエスはバルティマイに言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」彼はすぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。(Mark10:52)
私の黙想:
捕囚の地から、祖国への帰還と神殿の復興を願う。それはいい。当然の祈りであろう。しかし、この祈りには欠けているものがある。それは彼ら自身の罪の自覚と悔い改めである。何故イスラエルの民は神から見捨てられたのかという反省の言葉が見られない。

losungenj 2012.09.28(fri)
主はわたしたちを、罪に応じてあしらわれることなく、わたしたちの悪に従って報いられることもない。(Ps103:10)
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(1Joh4:10)
私の黙想:
ここで言う「わたしたち」の範囲が問題である。私は「神に対するわたしたち」ということで全人類を含め、この言葉を「神の原則」として理解する。そうすると詩103の視野が断然広がる。

losungenj 2012.09.29(sat)
空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。しかし、わが民は主の定めを知ろうとしない。(Jer8:7)
イエスの言葉:「わたしを「主よ、主よ」と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。(Luk6:46)
私の黙想:
空の鳥たちは定められた季節に従って棲むべき場所を移動し、生き方を変える。神の民も歴史(=神の意志)の移り変わりに従って生きる。鳥の季節感と人間の歴史観との対比が面白い。歴史に対する感覚が鈍くなっている神の民はどうしようもないな、と預言者は嘆く。歴史を注意深く見ていれば神の意志は分かる筈だ。今がその節目だ。


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