ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 01/17

2017-01-19 10:48:14 | ツイッター
お早うございます。主の平和。朝9時頃(昨日の)、孫息子は無事に奈良の自宅に着いた様子。私たちは整骨院へ。昼食後昼寝1時間。結局、昨日は私の休脳日、読書はチラチラ断片的に、それとデスク周りの不要品の廃棄、特に山積みになっていた手紙やハガキ類をチェックしながら破棄する。夕食後はiPadでどれほどPCの代わりを果たせるかテスト。「信長協奏曲」を見たが疲れて10時に就寝。熟睡、6時45分に起床。体温:36.5、血圧(147:73、69)・体調・快調、チュン、チュン。

28 藤木 冨士子さん、佐々木 弘幸さん、他26人
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村田 多鶴子 おはようございます~♪ 寒い朝ですが、昨日一昨日のような雪による薄化粧は見られません。最高気温が久しぶりに?10度と二桁になるそうです。新幹線は、米原あたりの降雪により遅延していると報じられています。
孫息子さん無事に奈良のご自宅に着かれた由、何よりでした。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

東山 富昭 おはようございます。昨日は、心理検査を受けて、来週は、肝臓の診察を受けます。食欲はありますが、食事の量が少ないので、間食したい気分です。年金や家の売却益が入るまで、どのような生活をするのか、わかりません。今日も、よろしく、お願いします。

萩野 秀子 おはようございます。ホットしましたね。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。

藤木 冨士子 おはようございます。

文屋 善明
1月17日 6:58 ·

お目覚めの花。「今朝は温和しく、シクラメンのスタンダード」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外

26 播 稔さん、藤木 冨士子さん、他24人
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播 稔 シクラメンを2年咲かせるのは難しい。

文屋 善明
1月17日 7:00 ·

もう朝飯前の時間切れ、ローズンゲン以下は朝食後に。

15 播 稔さん、小貫 ツマさん、他13人

文屋 善明
1月17日 8:51 ·

2017 日々の聖句 1月17日(火)
いかに幸いなことか、ヤコブの神を助けと頼み、主なるその神を待ち望む人は。(詩146:5)
パウロの手紙:わたしは自分が信頼している方を知っており、わたしにゆだねられているものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。(2テモテ1:12)
私の黙想:
「主なるその神」、なんと仰々しい代名詞の使い方か。単に「主なる神」ではない。「主なるその神」である。旧約聖書中を探してもこんな表現は、ここだけである。口語訳では「おのが神、主」、フランシスコ会訳でも「自分の神、主」新改訳も「その神、主」、ヘブル語原文では、まず「その望みをヤハウェに置く者」と言っておいて、その後にそれを補強説明するように「彼の神」と付加されている。語順の並べ方で、どうでもいいようなものの、「詩」であるから気になる。そう考えると「ヤコブの神」という表現も気になる。そこでは「ヤコブの」という形容詞が、一種の言葉のリズムの役を果たしているようだ。何しろ日本は俳句の国である。こういう、どうでもいいような、単語のストレス、語順がその詩を生かすか殺すかに敏感でなければならないと思う。この聖句は裸で言えば「幸いだ、神を信頼している人は、ヤハウェを待ち望んでいる人は」ということであろう。ここまで割り切ってしまうと、神一般、ユニテリアンの信仰になってしまう。そこでその「神」についての特定化、その極みに「私の神」、「マイ・ゴッド」が強調される。イエスが十字架上で叫んだ「我が神、我が神」である。

25 北村 良輔さん、岸本 望さん、他23人
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門叶 国泰 確かに! 「彼の神」はかなり迫力がありますね。パウロの「わたしの福音」を思い出しました。

文屋 善明 門叶さんのローズンゲンを読んだ後に黙想すると、どうしても理くっつぽくなります。

門叶 国泰 何とも申し訳ありません。何分にも、ローズンゲンはヘブル語の勉強のために読み始めたので。指導教官石川栄一教授に、「一字一句書き出して、その形態を徹底的に分類するよう」と命じられたので、その習慣がついてしまいました。語根をBDBで確認した証しにそのページ数を記入することも求められたので。

文屋 善明 いえいえ、そういう意味ではありません。非常に参考になって、私の黙想がその向こうに行こうとするからです。

文屋 善明
1月17日 9:03 ·

今日の名言:@Michael_Ende_jp
小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか? (ミヒャエル・エンデ、『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」)
<一言>論説や論文で書けることなら、小説を書く必要はない。これが小説家の矜持というものです。聖研で語れることなら、わざわざ「説教」にする必要はない。

26 播 稔さん、佐藤 彰子さん、他24人

文屋 善明
1月17日 9:08 ·

イミタチオ・クリスチ(369)
絶望的な状況においてもなお、失望せず、さらに力を込めて「ああ、主よ、私はあなたを信じて祈っています」と言う。そしてその祈りが聞き入れられた時には、「主は私の祈りを聞き、私を憐れんでくださった」と賛美し、「主は私の嘆きを喜びに変え、あふれるばかりの喜びで満たして下さった」と言う。2:9:20~22

25 藤木 冨士子さん、大野 泰男さん、他23人
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平野 宏 シェアさせていただきます。

文屋 善明
1月17日 10:05 ·

◎パレスチナのアッバス議長が教皇と会談、トランプ氏を警戒か
  [SKJ]■世界キリスト教情報■第1356信
【CJC】パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長は1月14日、バチカン(ローマ教皇庁)で教皇フランシスコと約20分間会談した。世界各地のテロ・過激主義と闘う重要性や、イスラエルとの和平プロセスなどについて話し合った模様。
バチカンは世界に約13億人の信徒を擁し、国際的な影響力が強い。パレスチナ自治政府としては、親イスラエル路線を取るドナルド・トランプ氏の米大統領就任を控え、バチカンとの関係強化によって、次期米政権の動きをけん制する思惑があったと見られる。
バチカンは2014年にアッバス議長とイスラエルの故ペレス前大統領を招いて和平祈願の集いを開き、15年に「パレスチナ国家」を承認した。パレスチナ自治政府はバチカン駐在大使館の開設を進め14日、アッバス議長が会談後、大使館の開設式典に出席した。
アッバス議長は記者団に、米国のトランプ次期政権下で懸念されている米大使館のテルアビブからエルサレムへの移転について、「和平への妨げになる」と改めて反対を表明した。
トランプ氏は選挙戦で、エルサレムをイスラエルの首都と認め、米大使館を移すと述べている。イスラエルは占領地の東エルサレムを含めたエルサレム全域を「不可分の首都」とするが、米国や日本を含め多くの国はイスラエル最大の商業都市テルアビブに大使館を置いている。
バチカンの声明によると、教皇と議長は会談の中で、紛争の「公正かつ永続的な解決」のため、イスラエルとパレスチナの直接交渉が早期に再開されるよう期待を表明。相互の信頼醸成と和平促進に向けた取り組みを国際社会が支援するよう呼びかけた。 

19 播 稔さん、東山 富昭さん、他17人

文屋 善明
1月17日 10:09 ·

◎教皇、危険は承知だが「専用装甲車」での移動好まず
  [SKJ]■世界キリスト教情報■第1356信
【CJC】教皇フランシスコは、自分が攻撃の標的となる可能性があることを理解しているとしながらも、人々の近くにいたいとして今後も装甲車や厳重な警備を伴わずに移動するとの意向であることが1月9日からイタリアで発売される新刊書『途上で』(仮題・ピエンメ社)で明らかになった。
歴代の教皇は「ポープモービル」と呼ばれる専用車やリムジンを使用したのと異なり、フランシスコ教皇は海外での移動時に一般車両を使用している。
教皇は、バチカン専門記者のアンドレア・トルニエリ氏が著した同書で、「危険は承知している。無謀かもしれないが、自分についてはまったく恐れていない。ただ、同行する人々と、何よりも数々の訪問国で出会う人々の安全は絶えず心配だ。常軌を逸した人間による無分別な行為の危険は常にある。だが、主はいつも共におられる」と述べている。
2013年の就任以来、教皇はイタリア内のランペドゥサ島訪問から始まって、16年のスウェーデン訪問まで17回海外に渡航し、25カ国以上を訪問した。今年2017年は、ポルトガル、インド・バングラデシュと、2回の海外渡航が予定されている。

25 播 稔さん、佐藤 彰子さん、他23人

文屋 善明
1月17日 10:32 ·

「昨日のFB 01/15」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

16 播 稔さん、東山 富昭さん、他14人

文屋 善明
1月17日 10:50 ·

今日の「折々のことば」、大阪人の機微を突いておもろい。確かにその通りや。特に後半の「煙草ぐらいゆっくり吸わしてやれや」は大阪人やないとわからへんやろうな。自分のことを他人のようにつくろうたり「われ」なんと一人称を二人称的に使うなど、自他の区別が曖昧や。との点、九州のお人は違いまっせ。「まぁ、ヒトのことやさかい、かまへんものの」なんて考えもせえへんで、とにかくお世話してくれまっせ。親切がすごーい。大阪人にとって九州は住みやすいところや。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1234630226614436&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

44 加藤 治さん、播 稔さん、他42人
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Miyuki Kawahara 「言うたらなんやけど、みんなやってるやんか。ちょとぐらい見逃したったれや!」スピード違反した大坂人はこう言ってお巡りさんにアピールする

文屋 善明 確かにそうや、でも「大阪人」やで。

Miyuki Kawahara ほんまや

加藤 佑三 ほんまでんな、関西人は情が深く面白いですわ。でも、関東人の私には冷たかったですよ。

文屋 善明 ちゃうねん。関東人は笑いもんにされたんやと思う。決してそうではありません。親しみに表現です。それともう一つ、実はそれは大阪人特有のテストなんです。これからどの程度の付き合えるか、どうか。まぁ、大阪への入門テストみたいなもんやな。

糸原 由美子 あほ、と言われたら関東の人は激怒し、バカと言われたら関西人はショックをうけます。

加藤 佑三 実は、サラリ-マンの世渡り失敗でした。関西人のせいではありません。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
1月17日 14:13 ·

3年前の思い出
3年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2014年1月17日 ·
阪神淡路大震災の1週間後、未だ交通規制が厳し敷かれていた頃、私は園児たちのご家庭から集めた救援物資を車に詰め込んで被災地を訪れました。その情景を見たとき私は言葉を失いました。
その後、かなり日がたち落ち着きを取り戻した頃、私はエゼキエル書の「枯れた骨の谷」のイメージに重ねて、次のような文章を書いています。

<ここに描かれている「枯れた骨の谷」のイメージは、殺伐とした情景である。そのイメージは陰惨とか、残酷とかのイメージをはるかに超えて「生命」というイメージから最も遠く離れた情景である。この殺伐とした情景から見れば、「死」は生命と隣り合わせであるとさえ思う。ここに描かれている枯れた骨は「生命」を連想させる「死」とは全く無関係である。完全に生命というものと切り離された情景は、「死」をさえも連想させない。それが預言者エゼキエルが見た「枯れた骨の谷」のイメージである。
「それらは甚だしく枯れていた」(エゼキエル書37:2)と聖書は語る。その情景はわたしには、大震災直後の長田地区の風景と重なる。焼け跡は「黒」ではなかった。1週間たっていたとはいえ、煙すら立っていなかった。もはや燃えるべきものは全て燃えつくされ、煙すら立たない。ただ、真っ白な残骸だけがむなしく重なり合っていた。「消火」という作業がなされないで、燃えるがままに燃やした火事の後とはこういうものなのかということを思い知らされた。かつて賑やかに営まれていた人間の生活の匂いは全くかき消されていた。
さて、このような「枯れた骨の谷」を見せて、主は預言者エゼキエルに質問する。「これらの骨は生き返ることができるか」(同3)。預言者は「主なる神よ、あなたのみがご存知です」としか答えられない。これはもはや答えではない。預言者の目にさえそれは絶望しかなかった。しかし神は預言者エゼキエルに「これらの骨に向かって預言せよ」と命じられた。>

19 Miyuki Kawaharaさん、町田 勝彦さん、他17人

文屋 善明
1月17日 15:28 ·

今日の字良は押しの阿武咲に突き破れた。突き出し。残念。

16 小貫 ツマさん、東山 富昭さん、他14人
コメント

村田 多鶴子 1つの白星…、なかなかですね~♪(^^♪明日は十両のトップを共に走っている山口関が相手だそうで…。
明日こそは、勝ち越して欲しいです!

中尾香鶴子 うら、残念💨また明日頑張れ

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