ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 08/02

2016-08-04 09:16:16 | ツイッター
お早うございます。主の平和。リハビリ。『カール・バルト』読了。昼食前、30分昼寝。熟睡。昼食後また1時間ほど昼寝。C・S・ルイス『キリスト教の世界』を読み始めるが続かない。体温、36.4。その後、ダラダラ。テレビを見て小池百合子ばかりで面白くない。夜、7時から「葉加瀬太郎完全監修のQさま」(3時間SP )を見た、これは面白かった。10時に就寝。5時半起床。凄い寝汗。体温:36.1、血圧(131,72:69)・体調・良くない。チュン、チュン。

25川染 三郎さん、佐藤 静代さん、他23人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

藤木 冨士子 おはようございます。

清水 晴好 お大事に。

文屋 善明 暑さは高齢者には堪えます。

萩野 秀子 おはようございます。歯科クリニック、チラシ配りです。良き日となりますようにお祈りします。

萩野 秀子 癒やされますようにお祈りします。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪未だ微熱がある様で…。夏風邪は侮れません。どうぞ、くれぐれも、お大事になさって下さいませ。
それにしても、昨夜のQ様、面白かったですね!孫たちが入浴後もQさまを観たがって、なかなか寝ず…、大変でした。
先生ご夫妻が、お守りの内に、穏やかなよい時間をお過ごしになられます様にm(__)m

小貫 ツマ お大事になさってください。早い回復をお祈りいたします。

播 稔 葉加瀬太郎はさすが音大だけあって、良く知っている。


文屋 善明
8月2日 6:10 ·
お目覚めの花。「散歩の途中で見かけた『高い塀の中の花』です」「いっぱいに引き延ばして、これでやっと」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、空、自然、屋外

30木下 海龍さん、北村 良輔さん、他28人


文屋 善明
8月2日 6:27 ·
016 日々の聖句 08月02日(火)
人々が、代々に御業をほめたたえ、力強い御業を告げ知らせますように。(詩145:4)
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2:11)
私の黙想:
「告げ知らせますように」、聖書においては、信仰の伝承ということが一つの重要な課題として語られる。元々は親から子へ,子から孫へという民族内の伝承であったのが、いつの日か諸民族への「宣教」に変わっている。その中心メッセージは神の「力強い御業」である。彼らにとって信仰とは個人的な事柄ではなく、みんなが参加すべき公共の事柄であるという強い確信があったようだ。この伝統が,キリスト教にも受け入れられた。というよりも、信仰とはそういうものだという「前提」があった。
その点で現代のキリスト者はどうなんだろう。

20藤木 冨士子さん、播 稔さん、他18人


文屋 善明
8月2日 6:33 ·
今日の名言: @Jewish_proverb
もし、神が地上に住んでいるなら、人間は、神の家を壊しているだろう。(ユダヤの格言)
<一言>人間にとって一番邪魔な存在は神である。人間の心の奥底には、神さえいなければ、人間はもっと自由になれるという思がある。しかし、残念ながら神は人間の手の届かないところに居られる。

19川染 三郎さん、藤木 冨士子さん、他17人
コメント

藤木 冨士子 だから、人間は神を無視して生きる生き方を選択してるんですね。

文屋 善明 無視どころか「殺す」。


文屋 善明
8月2日 6:48 ·
「昨日のFB 07/31」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

7藤木 冨士子さん、播 稔さん、他5人


文屋 善明
8月2日 6:51 ·
イミタチオ・クリスチ(203):
多くの人の霊的進歩を妨げている一事がある。それは霊の戦いにおいて、自分の出会うであろう困難を恐れることだ。25:13

14藤木 冨士子さん、播 稔さん、他12人


文屋 善明
8月2日 10:15 ·
<昨日の読書から>(宮田光雄『カール・バルト』読了)
バルト神学におけるユーモア(226~228頁)
バーゼル大学の教室で
これらの章を読み進むにつれて、私には、バーゼル大学の教室の雰囲気がまざまざと思い出され、バルトの肉声や表情までよみがえってきた。とくに「地霊たち」を論じたくだりは忘れがたい。
政治・経済・思想の権力についで何が出てくるか——聴講者の意表をついて、『地霊」具体例として「流行(モード)」があげられたとき、教室中には軽いざわめきが起こった。やがて女性の衣装から男性のひげ——「カイゼルひげは、なかんずく威厳にみちています」——にいたるまで「自由世界においては」流行遅れになることは不可能である、といった諧謔まじりの講義に、教室はしばしば爆笑に包まれた。さらに「特別な地霊の遊び場」としてスボーツがあげられ、スウェーデンで開かれたサッカーのワールドカップをめぐる国際的な熱狂ぶりが詳細に説明される。 「大神学者」とすぐには結びつき難い蘊蓄の程に聴講者一同が感心していると「これは、最近、小さなサッカーの本で読んだのです」と種明かしをして、その悪戯っぽい微笑が一同の笑いをさそうという調子。
ちなみに、これらの引用は、残念ながら講義の遣稿には載っていないアドリブのユーモアであった。
バルト神学におけるユーモアの重要性に改めて注目させられる思いがした。実際、「御国を来たらせたまえ」の祈りをめぐって、バルトが再三にわたり「神の笑い」(詩2:4、註:「天に座するものは笑い、主は彼らを嘲られる」)について言及しているのは偶然ではない。バルトが「相対的可能性」の領域において、われわれ人間が「まったくの安らぎと晴朗さにおいて、自分たちのことを行なうように解放されている」というとき、バルトのユーモアのもつ政治的射程の大きさを、あらためて考えさせられるだろう。
バルトの諭文や著書を読んだだけでは、彼の活き活きした表情(ミミーク)に表われる発想の豊かさやその魅力は、十分に伝わってこないのかもしれない。これは、若き日にボンヘッファーやハインツ・E・テート教授がバルトの講義やゼミに参加したときに、すでに感知されていたものだ。「バルト本人は、その著書を超えている」と。
『和解論』の最終講義でも、全体としてみたとき、バルトが、じっに自由に、のびのびと語っているという印象を受ける。あたかも福音の喜びを語る説教のように。ここには、教義学という言葉にたいして抱かされる固さや謹厳すぎる悲壮惑といったものが、まったく認められない。それは、彼が別のところで語っている通りではなかろうか。「キリスト者は、根本的に言って、彼が喜びをもち、じっさい、自分の仕事にユーモアをもつときにのみ、よい神学を営むことができるのです。ただ不機嫌でない神学者が! ただ退屈でない神学を!」と(『公開書簡1945~1968年)。(宮田光雄『カール・バルト』228頁)
『カール・バルト』しめくくり
私の友人ゴットホルト・ミューラー(ヴュルツブルグ大学教授・故人)から、かつてバルト最晩年の面白いユーモア話を伝える手紙を貰ったことがある。彼は、当時、バーゼル大学神学部の若手講師として、いわばバルトの同僚になっていたのだ。それは、バルトが亡くなる2、3週間前のこと、ブルーダーホルツのバルト邸を最後に訪問した際に聞かされた話だという。
「私は、もうまもなくこの世を去ることになるだろうと思う。私は、いまから、こんな場面を想像できるのです。私が干し草を運搬する荷車を引いて天国の門に到着すると、例のペトロが笑いながらこう問いかけてくる。『カールさん、あなたのその荷車の上に何を載せているのかね』。私が自分の書いた『教会教義学』ですと答えると、ぺトロは腹をかかえて大笑いする。そのときの様子が今からわかるのですよ」。
これは、むろん、バルト特有の自巳アイロニーにほかならない。10数巻に及ぶ彼の「神学大全(スンマ)」の中で、バルトが心を砕いてきたのは、いっさいの人間の側からの自己主張的言説を——むろん バルト自身のものもふくめて——断固として退け、ただ神の恵みと栄光をのみ賛美するということではなかったのか。バルトは、未完こ終わったこのライフワークに打ち込んできた自分の生涯全体を笑いとばしているのだ。
すでに引いた『教会教義学』の『創造諭』の中で、「摂理」について論じた冒頭には、こう記されていた。 「信じると言うことは、福音書の意味では、疑いもなく、徹頭徹尾、まったくの子どもらしさと直接性の中で、神の摂理を堅く保持して手放すことなく、神の摂理を喜び、神の摂理に従うことを意味している」と。
神学者および同時代人としてのバルトの生涯を支えていたのは、この「子どもらしい」素直な神信頼にほかならなかったと言うことができるだろう。(宮田光雄『カール・バルト』、265頁)

17川染 三郎さん、藤木 冨士子さん、他15人


文屋 善明
8月2日 12:29 ·
今日の「折々のことば」。母親の「怒りに満ちた形相」を私は今も忘れられない。小学生の娘を「張り倒す」母親も立派だし、それを成人しても覚えている娘をあっぱれだ。近頃、こういう母子関係が見られなくなった。子どもを叱るときには「怒りに満ちた形相で子どもを張り倒す」ぐらいの真剣さが欲しい。

23川染 三郎さん、藤木 冨士子さん、他21人

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1078954332182027&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater


文屋 善明
8月2日 12:31 ·
心に涼しい風が吹きました。
大脇 友弘さんの写真

☆麦わら帽子の夏

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1106901456056416&set=pcb.1106907852722443&type=3&theater

猛暑日が続く福岡市、
仲間たちは今日もリヤカー行商で地域回り。

首には保冷剤をまいて麦わら帽子をかぶり、汗かきながらラッパをふいて地域のお得意さんを回る。

「暑かとに、よう来てくれたね!ありがとう!」
「おいしい豆腐を待っとったとよ!ありがとうねえ!」
「野菜も新鮮やけんね。」
と、声をかけ時には冷たいジュースの差し入れも。

ありがとうと言ってくれる人がいる、
待っていてくれる人がいる。

売上利益は少なく、商売というには、かわいいもんですが・・・。
精一杯働き、地域の人たちとつながる。
働くことは喜び・・・。

経済効率だけではない、働くことの本当の意味がここにがあります。

子や孫と一緒に暮らすこともなく、地域で年老いて買い物もままならない人たちが、こうして待っていてくれるのです。

そして、孫の面倒を見るように、やさしくゆっくりと「下手で時間のかかる計算」を見守ってくれるのです。

「役に立たない存在」などとは絶対に言わせません!!


13川染 三郎さん、藤木 冨士子さん、他11人
コメント

大脇 友弘 ありがとうございます。お体、おだいじに!

文屋 善明 高齢者の身体はしぶといです。ちょっとやそっとの熱ではへこたれません。もともと弱っているから。

大脇 友弘 その意気、その粋。その生き、活き!

藤木 冨士子 感動しますね。


文屋 善明
8月2日 12:46 ·
読書記録:宮田光雄『カール・バルト、神の愉快なパルチザン』(岩波現代全書)をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11川染 三郎さん、福永 澄さん、他9人


文屋 善明さんが内山 忠信さんの投稿をシェアしました。
8月2日 17:07 ·
そんな規定、即廃止せよ。

内山 忠信
8月2日 16:46 ·
Yahoo!ニュース
·
何という時代遅れの規定でしょうか?


大分の女子マネが甲子園のグラウンドに 大会関係者慌てて制止(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
第98回全国高校野球選手権大会の甲子園練習が2日、甲子園球場で行われ、大分の女子 - Yahoo!ニュース(デイリースポーツ)
HEADLINES.YAHOO.CO.JP

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160802-00000032-dal-base

26増野 真美さん、北村 良輔さん、他24人
コメント

櫻井 吉田 啓子 土俵かよ?ですね。危険と言うなら、男子の股間に硬球が「キーン!」の方が痛そうです。(笑)

加藤 道子 女子OKにすると、あっという間に、野球しか知らない草食系男子高校生を、AKB的肉食系女子が駆逐してしまうだろうから、コワイのではないでしょうか・・・。

安田 信夫 くだらない規則だね。即刻廃棄すべきですね。

新島広治 同意共感

藤木 冨士子 あほらし!

最新の画像もっと見る