ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 08/01

2016-08-03 10:44:02 | ツイッター
お早うございます。主の平和。再臨について考える。『カール・バルト』続読。昼食後、1時間昼寝。熟睡。起きたときの体温35.5、やっと平熱になったと思ったが夕方、また36.6まで上がった。夜8時に東京都知事選の開票速報で即、小池百合子の当確が出た。結果、圧倒的に当選。増田、鳥越の順。ショック。「仰げば尊し」、「初耳学」を途中まで見て10時半に就寝。6時起床。凄い寝汗。体温:36.6、血圧(149,74:70)・体調・悪くない。チュン、チュン。

28播 稔さん、堀 俊明さん、他26人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪平熱より1度上がれば、しんどいだろうと想います。
どうぞ、お大事になさって下さいませ。先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されます様にm(__)m

早乙女 実 おはようございます。東京は、残念でしたネ。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。良き日となりますようにお祈りします。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

播 稔 わたしは8時ジャストに当選者が出ると思っていました。


文屋 善明
8月1日 6:26 ·
お目覚めの花。「今日から8月だ」「さぁ、どんな8月になるのか」「安倍首相と小池知事との関係が明らかになるだろう」。
文屋 善明さんの写真

28堀 俊明さん、藤木 冨士子さん、他26人
コメント

櫻井 吉田 啓子 …あれ、絶対裏では、安部がすぐ増田を捨てて(勝てなさげだから)、小池をこっそりバックアップでしたね。

文屋 自民党では「勝てば官軍」の論理がまだ生きている。


文屋 善明
8月1日 6:46 ·
016 日々の聖句 08月01日(月)
(主は、)孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。(申命記10:18~19)
お前たちは、見知らぬ旅人であった私をもてなしてくれた。(マタイ25:35)
私の黙想:
チョット無理な解釈だと思うが、前半の言葉を後半の言葉とつなぐと、「主が孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる」。だから、あなたたちも寄留者を愛せよ。そうすれば衣食住が与えられる、と関連づけることが出来るであろう。「権利と衣食住」が保証されているのは弱者なのだ。弱者を「愛する」ことによって、そのことによって、ただそのことによってのみ、あなた方の「権利と衣食住」が保証される。あなたたちが弱者を養っているかのように思っているが、実はあなたたちは弱者によって養われているのである。ここに「神」が介在している。ここに「愛しなさい」という言葉の重みがある。普通ならば「養いなさい」であろうが、そのことを「愛しなさい」ということによって、私たちの生き方が問われている。

25播 稔さん、藤木 冨士子さん、他23人
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藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
8月1日 6:52 ·
今日の名言:@Voice_YOSHIMOTO
普通に生きている人、あるいはそういう生き方を既にやっている人の生き方が、一番価値ある生き方だと、理想としています。(吉本隆明)
<一言>「普通が一番」。「当たり前が当たり前」。これからもズーッとそういう生き方をしたい。私たちの「普段の生活」が潰されそう。

21播 稔さん、藤木 冨士子さん、他19人


文屋 善明さんが神戸金史さんの投稿をシェアしました。
8月1日 6:57 ·
神戸金史さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1226968977336009&set=a.102502019782716.5870.100000687565043&type=3&theater

私は、思うのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
あなたはもっと、普通の生活を送れていたかもしれないと。

私は、考えてしまうのです。
長男が、もし障害をもっていなければ。
私たちはもっと楽に暮らしていけたかもしれないと。

何度も夢を見ました。

「お父さん、朝だよ、起きてよ」
長男が私を揺り起こしに来るのです。
「ほら、障害なんてなかったろ。心配しすぎなんだよ」
夢の中で、私は妻に話しかけます。

そして目が覚めると、
いつもの通りの朝なのです。
言葉のしゃべれない長男が、騒いでいます。
何と言っているのか、私には分かりません。

ああ。
またこんな夢を見てしまった。
ああ。
ごめんね。

幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。
想像すると、
私は朝食が喉を通らなくなります。

そんな朝を何度も過ごして、
突然気が付いたのです。

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、
人をいじめる人にはならないだろう。

生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、
この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。

それから、私ははたと気付いたのです。

あなたが生まれたことで、
私たち夫婦は悩み考え、
それまでとは違う人生を生きてきた。

親である私たちでさえ、
あなたが生まれなかったら、
今の私たちではないのだね。

ああ、息子よ。

誰もが、健常で生きることはできない。
誰かが、障害を持って生きていかなければならない。

なぜ、今まで気づかなかったのだろう。

私の周りにだって、
生まれる前に息絶えた子が、いたはずだ。
生まれた時から重い障害のある子が、いたはずだ。

交通事故に遭って、車いすで暮らす小学生が、
雷に遭って、寝たきりになった中学生が、
おかしなワクチン注射を受け、普通に暮らせなくなった高校生が、
嘱望されていたのに突然の病に倒れた大人が、
実は私の周りには、いたはずだ。

私は、運よく生きてきただけだった。
それは、誰かが背負ってくれたからだったのだ。

息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。

老いて寝たきりになる人は、たくさんいる。
事故で、唐突に人生を終わる人もいる。
人生の最後は誰も動けなくなる。

誰もが、次第に障害を負いながら
生きていくのだね。

息子よ。
あなたが指し示していたのは、
私自身のことだった。

息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。

あなたが生まれてきてくれてよかった。
私はそう思っている。

父より

25あなた、播 稔さん、福永 澄さん、他22人
コメント

糸原 由美子 だれでもいつなんどき障害を負うかわかりません。また高齢になれば、障碍者になります。見えにくくなり、聞こえにくくなり、言葉はでてこなくなり、歩きづらくなり、そして、感情のコントロールもむずかしくなり、思考も鈍くなります。程度の差はあっても。

藤木 冨士子 生まれつき障がいを負って生きる人がいるからこそ、このような詩が生まれ、それを読む私たちを気づかせてくれるのです。私ももっと優しくなれると。健常者ばかりの競争社会ではなく、ぎすぎすした世界ではない優しさの溢れる社会になれると。


文屋 善明
8月1日 8:23 ·
「昨日のFB 07/30」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

8播 稔さん、藤木 冨士子さん、他6人
コメント

藤木 冨士子 それで結局核武装で、憲法記念日をなくす小池さんになったんですね。有名ってだけの選択に見えます。


文屋 善明
8月1日 8:25 ·
イミタチオ・クリスチ(202):
預言者は言った、主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国で平安に生きることが出来る。25:12

17播 稔さん、藤木 冨士子さん、他15人


文屋 善明
8月1日 13:32 ·
<昨日の読書から>
『教会教義学』遺稿を読む(212~226頁)
ここでは著者は、バルトの『教会教義学』の遺稿となった部分から、
「主なき諸権力」の支配
「レヴィアタン」=政治的絶対主義
「マモン」=財神
「イデオロギー」
「地霊たち」=「地上的なもの」
の5項目を取り上げ、最後に「御国を来たらせたまえ!」で締めくくっている。
これらの遺稿については『バルト全集』の編集者エバーハルト・ユンゲルは「本書の断片的性格の故にそれを過小評価してはならないといましめ、むしろ、『教会教義学』全体の理解を促進するものがあると評している」(226頁)。
それらの中から,ここでは「レヴィアタン」と「マモン」の項を取り上げている。
「レヴィアタン」=(政治的絶対主義)
「政治的なもの」のデーモン化を論ずるために、ホップズの「リヴァイアサン」との対論が試みられている。冒頭でバルトは、ホップズの「預言者的な炯眼」について高い評価をあたえている。ホップズが「最高の哲学者的沈着さをもって語り、しかしまた予言者の抑制された情熱をもって、現実性としてのみならず、真理として、否、唯一の真理として宣べ伝えたのは、まさに古代・中世.・(とりわけ)近代の政治史全体の背景を成しているところの現実性なのであった」。
そこには、ホップズ以後、数世紀にわたって出現した多様な政治支配が「近似値的形態」において記述されているのだという。それは、ついに20世紀の「いわゆる全体主義国家もしくは独栽制国家」、すなわち,ファシズム、ナチズム、スターリニズムにおいて「自己啓示」されているものである。その典型例としてヒトラー支配を引いておこう。
「次のような政治組織体、すなわち、その構成員にとっては、「指導者たちと」同様その狂気じみた原理に酔い痴れ興奮するか、さもなくば、その構造と営みとに(すくなくとも)事実として自己を均制化するか、あるいは反対に、それに抵抗しつつ犯罪者(国事犯)となり、そのような者としてその車輪の下敷きになって轢かれて仕舞うか、いずれかしか残されていないような政治組織体という観念(イデー)。まさに以上のょうな観念こそが、あの「指導者(フェーラー)たち」を魅了、彼らに悪霊的力を吹き入れるところ権力(ゲヴァルト)であり、また、この「指導者たち」を通して、無数の人びとを魅了し、この人びとに悪霊的力を吹き入れるところ権力である。それは、すなわち、ひとつの主なき権力である。なぜなら、実にあの「指導者たち」自身がこの権力の主では全然なく、むしろ、この権力によって取り憑かれてしまっていたからである」。
ホップズは、たしかに、こうした政治的絶対主義を肯定し、また要求する思想家だった。しかし、バルトは、断同として言い切っている。ホップズとは「逆の立脚点に立ちつつ」、彼が見ていたもの 知っていたものを同じく見、かつ知ることこそ、キリスト者としての「物見の役」でなければならない、と。
バルトが国家制度の問題を法の形成とそれにもとづく統治と規定し、権力行使が法との結びつきを失うならば「政治的なものの魔性」が生じ、「人間を助け、人間の生を守り、平和をもたらす秩序」ではなくなる、と語り、「権力を規定し限定する」必然性に言及するとき、それは、「バルメン宣言」第5テーゼを思い起こさせるであろう。(216頁)
「マモン」(財神) <主なき諸権力>の第2の形態としての「マモン」が取り上げられる。
この「マモン」という言葉の語源は定かではない。しかしバルトによれば、これは「政治的なものの魔性」と同様に「神話化」し語られつつ、人間の偶像となり、その「最高に活発な悪霊どもの一つ」となった物質的資産=財産のことである。財産というものは、元来、人間の生計を保障・確保するための人間の力である。しかし、それが神から解き放たれた人間によって用いられるとき、「マモンが生まれ、その王座に就き、マモンヘの崇拝が始まる」。
経済学的に言えば、物の使用価値から交換価値が独立して、財産を貨幣として確保し、蓄積し、拡大する過程が自己目的化する。そのとき、人間は、貨幣を所有するのではなく、貨幣に所有されるという逆転が生ずる。バルトは、ここで、簡潔ながら、驚幣、さらに商品の「物神化」というマルクス的経済学の理論を要約しているのである。
貨幣は、 その媒介的機能にもとづいて——紙幣の発明から信用にる口座取引にいたるま で——抽象的な形態でも出現する。バルトは、「マモン」の現象と限界性、さらに社会過程の導管としてのその権力の展開を正面から見定めている。彼は、ますます無形態となりながら、いっさいの人間的価値を象徴する貨幣の自立化と『主なき権力性」を正確に批判する。
「この道具は、ある時は景気を上昇させ、ある時は同じ景気を下降させる。ある時は恐慌を食い止め、ある時はこれを引き起こす。ある時は平和に奉仕し、だがしかし平和の只中ですでに冷たい戦争を遂行し、流血戦争を準備し、ついには引き起こす。この道具は、ここではあらゆる種類の一時的な楽園(パラダイス)を造り出し、かしこではそれらの楽園にただあまりにも対応した地獄を造り出す」。
この引用の最後の文章には、「主なき権力」と化した貨幣の支配によって、ますます富を集積する「北」とますます貧困化していく「南」へと分極化されつづける世界の窮状が鋭く言い当てられている。しかも世界を分断し、できるだけ広く地球の各地を隷属させようとする経済的権力は、その力をいつまでも保持しつづけるために、世界支配的な政治的権力をも手中にしようと互いに競争するのを止めない。
「もしもマモンがたとえば別の悪霊、すなわち、レヴィアタン、あの政治的絶対主義と出会い、競合し、結託するようなことにでもなるとしたら、一体、そこから何が生まれるのか、見極め難いほどである!」。(218頁)

15播 稔さん、藤木 冨士子さん、他13人

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