ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 07/20

2017-07-22 10:26:46 | ツイッター
お早うございます。主の平和。7月20日、木曜日。宗像市は気温26度、最高33度、晴れ。涼しい朝。10時半就寝、熟睡。6時起床。体温:36.1、血圧(122:80、79)。体調:快調。チュンチュン

24 辻本 昌弘さん、安井 郁夫さん、他22人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
そちらも暑い日になりそうですね。どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻が、お守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

東山 富昭 おはようございます😃ございます。昨日の夜は、大阪で、雨が降っていたようです。私は、どのように、動くのか、わかりません。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。

藤木 冨士子 こんにちは。

文屋 善明
7月20日 6:16 ·
午前:整形外科で薬の処方とリハビリ。私の帰宅後、家内は辛子明太子を買いに出かけた。私はブラブラ。
午後:読書「ヘーゲル」、あまり進まず。
夕方:釣川堤防散策。
夜:「7人の刑事」、報ステを見て10時半に就寝。

21 丹羽 一二さん、岩城 真紀子さん、他19人

文屋 善明
7月20日 6:26 ·
お目覚めの花。「見事に咲いていますが、周囲に邪魔物が多く、アングルとトリミングとが難しい」。マンション向かいのお宅の庭を外から望む。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、木、屋外

30 小貫 ツマさん、丹羽 一二さん、他28人
コメント

村田 多鶴子 見事な木槿(ムクゲ)ですね。 確か、韓国の国花です。
気になって花言葉を調べました:「信念」「新しい美」とありました~♪

水草 修治 信州の教会の庭に三本ありました。苫小牧では見かけませんね。

藤木 冨士子 むくげというんですか。近くにあります。

文屋 善明
7月20日 6:48 ·
2017 日々の聖句 7月20日(木)
親を失った者は、あなたにこそ憐れみを見いだします。(ホセア14:4)
最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの苦難(や貧しさ)を知っている」。(黙示録2:8~9)
私の黙想:
さて、今日の聖句、どのように調理しようか。文脈から切り離して、独立した「聖句」として読むか、イスラエルの歴史的状況の中での言葉として黙想すべきか。迷うところである。それによって「親を失った者」の意味が変わってくる。
「親を失った者」、単純に考えると孤児であるが、ここでは「子ども」ではないだろう。成人にだって「親を失う」ということはある。むしろ、その方が一般的であろう。成人した者にとって「親」とは何か。依存する相手というより、むしろ依存される相手かも知れない。「親」になり「祖父・祖母」になった者にとって「親」とは何か。変な存在だ。もう既に死んでしまっている者にとっても「親」は「親」として存在するし、むしろその存在は生前よりも大きい。やはり「親」は「私」から、いや「私の人生」から切り離せない。その意味では「重い存在」だ。その意味では、「親を失う」という意味は別次元のことになる。はっきり言って、「親」は「カミ」である。だから、「親を失った者」にとって、「親に代わる相手」はヤハウェしかない。そこまで、黙想を進めると、4節全体が深い意味を持ってくる。「アッシリアはわたしたちの救いではありません。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを再びわたしたちの神とは呼びません。親を失った者はあなたにこそ憐れみを見いだします」。また、今日の黙示録の言葉も、全然違う意味を持ってくる。

24 丹羽 一二さん、小貫 ツマさん、他22人

文屋 善明
7月20日 6:55 ·
今日の名言:@Hegelbot
義務は自由の制限ではなく自由の抽象的観念の制限、不自由の制限に過ぎない。義務とは倫理的本質への到達、肯定的自由の獲得なのである。(ヘーゲル)
<一言>ヘーゲルのどの作品からの引用か分からないが、今呼んでいる『キリスト教の精神とその運命』の山上の垂訓の解釈、ユダヤ教の律法に対するいわゆる「イエスの戒め」の核心部分を示す定義である。

文屋 善明
7月20日 6:57 ·
現代文イミタチオ・クリスチ
第1章 敬虔な心で聖餐を拝受すベきこと(K)
キリスト教徒:
主なる神よ、聖餐式に秘めらこの莫大な賜物を十分に理解もせずに、毎日それを受けることによってかえって、マンネリ化して、その有り難さが減っていく人間の愚かさと頑固さには呆れてしまいます。
もし聖餐式が世界のただ一個所だけで、ただ一人の司祭によって執行されているとしたら、世界中の人々がどんなに犠牲を払っても、そこに集まり、その聖餐にあずかろうと努力することでしょう。
主なる神よ、実際には多くの司祭たちがいろいろな場所でキリストを捧げ、厳かな聖餐式が執行され、神の恵みと愛とを示しています。あなたは哀れな私たちを御身体と御血とをもって養いたもうことを深く感謝いたします。
誰でも苦労している者、重荷を負う者は、私のもとにいらっしゃい、私はあなた方を養いかつ健やかにしてあげようとの、御口から出る御言葉をもって、私たちをお招きくださることを感謝します。(3:1:43~46)

19 丹羽 一二さん、福澤浩子さん、他17人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
7月20日 7:04 ·
5年前の「今日の名言」です。今も、ますますそう思っています。キリスト教が語るべき中心的なメッセージは「赦し」ではなく「許し」であると思っています。
5年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明
2012年7月20日 ·
今日の名言:「キリスト教は人々に悔い改めを命じ、かつまた赦しを約束する。したがって、悔い改めなければならないようなことはやった覚えのない、また赦してもらう必要を感じない、そういった人々に対しては、キリスト教は語るべき言葉を全く持っていない」。(C.S.ルイス)
<一言>全く同感。そこにキリスト教における救済論の根本問題がある。

14 福澤浩子さん、永島 大資さん、他12人
コメント

文屋 善明 創世記の物語を読んでも、罪や罰について拘っているのはサタンの方で、神さまの方は淡々としています。

文屋 善明
7月20日 9:01 ·
「昨日のFB 07/17」をブログにアップしました。

昨日のFB 07/17 - ぶんやさんち
お早うございます。主の平和。7月17日、月曜日。宗像市は気温27度、最高31度、ところにより曇り。それにしても朝から暑い。10時就寝、熟睡。5時45分起床。体温:36.4、血圧(125:83、84)。体調:快調。チュンチュン 29 丹羽 一二さん、岩城…
BLOG.GOO.NE.JP

14 丹羽 一二さん、越山 香菜子さん、他12人

文屋 善明
7月20日 9:20 ·
「昨日のFB 07/18 日野原重明先生逝去」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

17 丹羽 一二さん、越山 香菜子さん、他15人

文屋 善明
7月20日 11:24 ·
ただ今、午前11時20分、九州北部の梅雨明けが宣言されました。

文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
7月20日 14:25 · 福岡県 宗像市 ·
今日の「折々のことば」。しばらく取り上げていなかったが、決してサボっていたわけではない。毎日、必ず読んでいる。ただ、私の問題意識に引っかからなかっただけである。ところが、今日の「折々のことば」はまさに私の問題意識そのものであり、私自身もこれを取り上げて論じたいと思っていたところであった。要するに「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」は違う。それが漢字制限その他の理由により、「世論」があたかも「輿論」のような顔をして威張っている。「輿論」が形骸化した理由でもあり、また逆にジャーナリズムがその使命をただ「宣伝・広告」に矮小化してしまった結果でもある。
ジャーナリズムとは本来「輿論」の形成という社会的責任をになっていた。ジャーナリズムが政権の宣伝機関になったとき、社会は危険水域に入る。戦前がそうであったし、今もそうである。新聞は、盛んにアンケート調査をしているのは「世論」であって、決して輿論ではない。本の内容については、各自で読んで貰うしかない。以前に、「芥川龍之介の『猿蟹合戦』」というタイトルで、私のブログでも取り上げたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/jy…/e/7446b4a1c8e6e9a08b9305f38c419cf6

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32 小貫 ツマさん、丹羽 一二さん、他30人

文屋 善明
7月20日 17:05 ·
今日の宇良の対戦相手は、逸ノ城だ。右足に力が入らないらしい。寄り倒しで敗け。6勝6敗。

18 小貫 ツマさん、藤木 冨士子さん、他16人
コメント

村田 多鶴子 右膝の状態が悪そうで、心配です…。

鎌野 健一 足を痛めたのが辛いですね。高安が力いっぱい倒したからね。

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