ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 01/14

2015-01-16 05:38:00 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。朝食は卵かけご飯に試作ダゴ汁。『帰ってきたヒトラー』続読。昼は「元祖ちきんR」、やはり元祖は元祖だ。あれから全然別物に成長している。自宅に来訪して生活環境の調査をするんだって。夕食はとと市の握り寿司とダゴ汁。夜は「ゴーストライター」を見て10時就寝、4時起床。体調、快調。チュン、チュン。

Luke Etsuzou Nomahさん、播 稔さん、岡 輝美さん、他15人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
今日も、ご夫妻共々、守られてよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

播 稔 したくの環境を見てくれる病院は、しんせつな病院です。
posted at 04:11:28


文屋 善明
1月14日 5:18 ·
今日の名言:RT @Michael_Ende_jp:
磁針が常に北を指すようにする力は針にあるのでしょうか、それとも地球にあるのでしょうか?((『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」)
<一言>さすがにミヒャエル・エンデ!目の付けどころが違う。ええでー。

水草 修治さん、宮脇 温子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他18人が「いいね!」と言っています。

播 稔 両方です、と言ってしまえば実も蓋のない。

水草 修治 このごろ、磁場の極点がずいぶんずれてシベリアの北の端あたりになっているそうですよ。

文屋 善明 磁場も動くんですか。それでは「北極」という言葉も「南極」という言葉もダメですね。
posted at 05:18:00

「昨日のツイート 01/12 『帰ってきたヒトラー』について」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/9394213cc8a5086300625e4cf5c4dac…
posted at 05:34:39


文屋 善明
1月14日 5:12 ·
お目覚めの花。「ヤブの中から、お早うございます」。

竹本 耕造さん、金井 由嗣さん、豊田 滋さん、他38人が「いいね!」と言っています。
シェア1件

藤木 冨士子 ワォ、美人! シェアします。


文屋 善明
1月14日 5:01 ·
2015日々の聖句 01月14日(水)
主よ、お話しください。僕は聞いております。(サムエル上3:9)
ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。(使徒言行録16:14)
私の黙想:
変なことに気が付いてしまった。今日の聖句は少年サムエルの言葉ではない。サムエルの先生である祭司エリの言葉である。サムエルの言葉は10節の「お話しください。僕は聞いております」である。どこが違うか。サムエルの言葉には「主よ、」という言葉がない。著者が不用意に書き落としたのだろうか。そうかもしれない。そう思って、ここを注意深く読む返すと、ここでは「サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった」ということが強調されている。それでは、サムエルは何時「主」を知ったのだろうか。この時か?このことが起こった次の朝、祭司エリは昨晩のことを少年サムエルにいろいろ尋ねる。サムエルは無邪気に答える。そしてエリは言う。「それを話されたのは主だ。主が御目にかなうとおりに行われるように」(18節)。そして著者は「サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」(19~20節)。しかし、それは解説者の言葉であって、少年サムエルに何が起こったのかということについては何も記されていない。わたしは、そこからサムエル記上を注意深く読んだ。どこで「主」がサムエルに現れ、語るのか」。不思議なことに、話題は全然違う場面に移っている。4章で祭司エリの死のことが記されているがサムエルに関しては何も記されていない。いろいろなことがあって、7章になってやっとサムエルが登場する。著者は注意深く、もう「20年を経た」(7:2)という。この20年は、少年サムエルの「あの時から」ではない。おそらく「あの時から」考えると20年以上、おそらく30年はたっているのかもしれない。サムエルが登場する直前の状況を著者はこう記している。「イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた(7:2)。この状況の中で、やっと預言者サムエルが登場し、彼は演説する。「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる」(7:3)。これがサムエルの預言者としてイスラエルの民衆の前に立って行った最初の演説である。私たちは、ここで初めて「主」を知り、成長したサムエルの姿を見る。あの時から「20年以上」たっている。この20年がサムエルにとっては必要な20年であった。サムエルは堂々と人々に「命じる」。 「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう」(5節)。感動の一瞬である。
今朝は少々長すぎて、スミマセン。時間が十分あったものですから、ゆっくり黙想しました。

竹本 耕造さん、丸山 順子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他27人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 質問です。サムエル記上の記者、解説者はどなたなんですか?

文屋 善明 本当のところ、分かりませんね。多分、神さまでしょう。

藤木 冨士子 そうですね。

門叶 国泰 何でまたまた!

清水 行雄 おはようございます。サムエルに神が呼びかけるこの挿話は、聖書の中でも(全部読んではいませんが)胸打たれる箇所です(^^)

文屋 善明 サムエルは「主よ」という一言を自分のものにするために、20年以上の歳月が必要だったのだ。まして私なんかがやすやすと「主よ、主よ」と言えるもんじゃない。

播 稔 ただ素直に読んでいました、しかし20年という年月の話なのですね。

最新の画像もっと見る