ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 09/02 萩原朔太郎の小説『猫の町』

2013-09-03 06:24:52 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午後3時40分、教会から帰宅。昼寝。詩人、萩原朔太郎の小説『猫町』について菅野覚明著『神道の逆襲』から抜き書きする。「反転」の思想および本居宣長の神観。夜、「八重の桜」、新島襄と八重とのラブシーンが面白い。「半沢直樹」、銀行に対する金融庁の役人の横柄さ、どれだけ現実的なのだろう。こういうシーンに対して金融庁からクレームがつかないのだろうか。入浴。11時就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。

こーる のりこさん、金丸 勝彦さん、藤井 衞さん、他29人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます。雨の朝です~♪今日も、お守りの内に、充実の時間をお過ごしになられます様お祈り致します~m(__)m

萩野 秀子 おはようございます。今日から学校です。上の子供は一ヶ月間の実習に行きます。雨が降っています。頑張って下さい。
posted at 05:23:18

今日の名言:RT @wisesaw:
過失をひとつも犯さない人間は、常に何事もしない人間である。(エドワード・ヘルプス)
<一言>過失を犯さない人間は観念の中にだけ住んでいる。現実の人間は疲れるし、腹も経るし、眠たくなるし、感情も持っている。だから、必然的に過失を含んでいる。この必然が自然科学者には分からないらしい。彼らは観念の中の人間を想定してモノを作る。理論的にはそれで成立するが、現実においては必ず「想定外」の欠陥が出てくる。

こーる のりこさん、金丸 勝彦さん、金井 由嗣さん、他30人が「いいね!」と言っています。

濱 和弘 本当にそう思います。そしてその観念を絶対視て現実の想定外を許容する幅を失ってしまっている。そういう事態に巻き込まれるとき、本当に、精神が疲れてしまう感じがします。
posted at 06:20:47

「昨日のツイート 09/01」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/39dc8c3fe70113e9a2edb46db01d5e1…
posted at 10:15:48

文屋 善明
日々の聖句2013 09月02日(月)
わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞いた。(出エジプト3:7)
パウロの手紙:わたしたちは苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。(ロマ5:3-5)
私の黙想:
本日の黙想は本日の聖句に続く次の言葉について。「その痛みを知った」。あれっ、そうだったかなと思い、口語訳を見直すと、やはり「わたしは彼らの苦しみを知っている」とある。フランシスコ会訳も新改訳でも同様「わたしも彼らの痛みを知っている」である。「知っている」というのと「知った」というのとでは雲泥の差がある。彼らの叫びを聞いたから「知った」のか、彼らの叫びを聞くまでもなく「知っているのか」。どちらが正しいのかわたしには判定する能力はない。しかし、それによって「叫び」の意味が根本的に異なってくる。
ヤハウェは弱者の「叫び」を待っている。ヤハウェは「叫び」を聞いて行動する。ヤハウェは私たちが置かれている情況をご存知でないのではない。神は私たちが祈る前から私たちの必要をご存知である。しかし神は私たちの祈りを待っている。祈りが事態を変えるのではない。神は私たちの祈りを聞き、行動を起こされる。それが聖書が語る「人格神」である。

金丸 勝彦さん、金井 由嗣さん、藤井 衞さん、他24人が「いいね!」と言っています。

佐藤 清一 文屋先生、おはようございます。聖書の語る人格神、とてもよく伝わってきます。

門叶 国泰 マソラ原文は「完了形」ですから、「過去」とも「現在完了」とも訳せますね。KJ&RSVが「見る」「聞く」を現在完了形で訳してきて、「知る」だけを現在形(know)で訳していることに興味を覚えます。文屋先生の問題提起に何らかの答えを出しているのでしょうね。

Yutaka Tanabe いいですね。今日の説教と、同じ内容で感謝です。

文屋 善明
お目覚めの花。「みなさん、昨日は良い日でしたか」「はーい」「やはり白の効果でしょうね。というわけで今日も白い花を」

こーる のりこさん、金丸 勝彦さん、Su Suさん、他40人が「いいね!」と言っています。

細野 清明 文屋先生、Selamat pagi ! 何だか、大神宮の神紋みたい Bagus! 今日の、月曜日が微笑み豊かな一日となりますように。Peace begins with a smile!他1件のコメントを表示

細野 洋子 文屋先生、おはようございます。今日から学校です。宿題少し残ったけど、学校楽しんできます。

文屋 善明 行ってらっしゃーい。ニコニコと笑顔を忘れず。

山本 耕之 文屋先生、うちの近所に何種類もの野の花が、咲き誇っています。温暖化の所為でしょうか。

山本 耕之 この間、幼稚園の夕涼み会の日、大雨のため借りたバルーン照明を返却する途中の農道で見た、前線の雲です、地上から雲が発生しているのが判る、景色でした。
山本 耕之さんの写真

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
反転の思想  菅野覚明『神道の逆襲』(講談社現代新書)
昨日の説教で「反転の思想」に触れました。ルカ福音書16章の「金持ちとラザロ」の譬えでは、毎日贅沢に遊び暮らしている金持ちとその家の前に横たわっている貧しいラザロとの関係が日常性と世界として描かれ、死後の世界においてはアブラハムと共に宴席に着いているラザロと灼熱の地獄で苦しんでい風景とが死後の世界の風景として描かれているが、実はこれは生前と死後と云うよりもコインの表裏のように日常性と反転の世界としてが解釈されるのではないかと語った。私に「反転の思想」を教えてくれたのが、この書である。(以下、全文はブログ「ぶんやさんち」にて)
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/cc1c2a3ebd6d16e1dfec94801d89f05d

濱 和弘さん、Yutaka Tanabeさん、金井 由嗣さん、他12人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 私がこのテキストで強調した点は、日常性の中で金持ちは出入りする度にラザロを見ているが、あたかもそこにラザロがいないかのように振る舞い、無視して生きている。そのことによって金持ちは人間としての大切なものを何も失っていないが、実は反転された世界においてはラザロを見る度に人間としての重要なものを失っているのである、ということでした。そのことが現実的に毎日起こっている。其れは決して死後に報いられると云うことではない。

文屋 善明さんが野知 潤一さんの写真をシェアしました。
ただ黙ってシェアをする。

写真: please share

加藤 治さん、後藤 喜美江さん、安部 勉さん、他24人が「いいね!」と言っています。

上野 博志 世界が狂っているのを黙認、放置している人間が狂っている。

文屋 善明さんがOccupy Wall St.さんの写真をシェアしました。
子供の目は澄んでいます。

写真

加藤 治さん、水草 修治さん、後藤 喜美江さん、他15人が「いいね!」と言っています。

Yutaka Tanabe 面白い。するどい。

<補遺>
最後の段間で、6分か8分かでたしょうごたごたしましたが、俊樹は無事Nコンの映像作品を提出しました。私と家内との目(祖父祖母の目)では最高の作品に仕上がっています。何しろこのためにのみ、スペイン・ギリシャに取材旅行をしたのですから。本格的なドキュメンタリー作品です。

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