ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 03/16 渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ

2014-03-18 15:17:15 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『痴愚神礼讃』を続読。いろいろな物書きがいるが、「最も賢いのは他人の作品を自作として公刊してしまう手合です。人様が粒々辛苦の末に得る栄光を、ちょっとばかりことばを書き換えただけで横取りするのですが、早晩剽窃だと厳しく看破されるにしてもその間は利得がある」p136。「愉快極まりないのは、愚か者が愚か者を、無学な輩が無学な輩を、互いに大いに褒め合っていることです」p137。まるで現代批判そのままではないか。
佐賀大和桃園、金立公園訪問。夜は「戦力外捜査官」最終回を途中まで見て10時半就寝、5時起床。体調快調、チュン、チュン。

播 稔さん、松井 守さん、木下 海龍さん、他22人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。聖日礼拝です。祝されますように。お祈りいたします。
posted at 05:14:19

文屋 善明
今日の名言:RT @Bonhoeffer_jp:
気分の高揚した瞬間においてでなく、均衡のとれた堅固な日常生活と定期的な礼拝の中で、教会の真面目が理解される。(ボンヘッファー『聖徒の交わり』)
<一言>福音は美しい音楽とローソクの光による高揚した気分の中で聞かれるのではない。

野間 悦三さん、金井 由嗣さん、濱 和弘さん、他18人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 気分の高揚した瞬間の信仰は気分とともに冷めてしまいますね。
3月16日 7:55 · いいね! · 1

文屋 善明 私は「麻薬」みたいなものだと思っています。
posted at 06:14:36

「昨日のツイート 03/14 今朝の巨大地震は、伊方原発と上関原発」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/be4d36d3b0de5df4da9a713b254c841…
posted at 06:51:18

文屋 善明
お目覚めの花。「私は九州自動車道の脇(金立公園)に咲くハクモクレンです」「毎日、24時間こうして高速道路を見ていますが、わざわざここまで登って来られる方は珍しいです」「いえいえ、高速道路を走っていて、あまりの美しさに惹かれてやって来ました」。 (写真4枚)
写真

Su Suさん、木下 海龍さん、鎌野 健一さん、他39人が「いいね!」と言っています。

糸原 由美子 純白ですね。

増野 真美 きれいですね~ 春になりましたね

矢野 寛子 やはり、季節が早い

文屋 善明
2014日々の聖句 03月16日(日)
わたしに尋ねようとしない者にも、わたしは、尋ね出される者となり、わたしを求めようとしない者にも見いだされる者となった。(イザヤ65:1)
どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェソ6:18)
私の黙想:
本日の聖句はマタイ7:7~8(ルカ11:9~10)よりも進んでいる。あまりにも進みすぎているので、「現在の倫理」ではなく、「狼は小羊と共に宿り豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみその子らは共に伏し獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ幼子は蝮の巣に手を入れる」(イザヤ11:6~8)と同程度の「終末論的理想」としてしまっている。まさにユートピア化してしまっている。しかしイザヤのメッセージは未来のことではなく現在のことを語っている。今日の聖句に続く次の言葉がそれを指し示している。「わたしの名を呼ばない民にもわたしはここにいる、ここにいると言った」。
私は「求めよ、さらば与えられん」というイエスの言葉はこのイザヤの言葉の「裏返し」で、神は私たちの必要をすべてご存知なのだから、求めないでも与えてくださるのであるが、神は私たちが「求めること」「門を叩くこと」「祈ること」を求めておられるだということを語っていると思う。決して「求めたら、与えられる」とは言えない。それは一種の「商取引」である。しかし親と子との関係けっして取引ではない。その意味では福音は申命記を超えている。

小林 由紀子さん、播 稔さん、野間 悦三さん、他18人が「いいね!」と言っています。

増野 真美 ありがとうございました

文屋 善明
写真: 今朝は、宗像の聖ザビエル教会のミサに出てきました。やはり、花のない礼拝は寂しいです。

加藤 治さん、播 稔さん、矢野 寛子さん、他28人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが溝田 悟士さんのリンクをシェアしました。
この人たちが脱原発の起爆力にならねばならない、と思う。

東電本店前で原発作業員らデモ - ライブドアニュース
【AFP=時事】都内の東京電力(TEPCO)本店前で14日、福島第1原子力発電所の事故処理に当たってきた作業員らが、劣悪な労働環境の改善を訴えるデモを行った。約100人の作業員らは、拳を宙...

http://news.livedoor.com/article/detail/8633231/

渡邊 宣博さん、藤井 衞さん、寺田 由志子さん、他28人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが兼井 浩さんの写真をシェアしました。
3月16日
「事件」と「事件でないこと」との区別がつかないジャーナリズムは腐っている。
『渡辺謙がダボス会議で脱原発を訴えたことを報じたのは東京新聞だけだった』

国民的な俳優が、全世界が注目する会合で渾身の訴えをしたのに、国民にそれを知らせないとは。大変な情報操作ができる国だ。
それにしてもマスコミ、公平性客観性に著しく欠けている。

東京新聞 【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】
渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える
2012年1月26日

スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。
渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

・・・・・

スピーチ全文は次の通り。

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、
メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。

皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。
日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。

さらには近代の軍人や一般の町人たちも。
その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。

役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。

ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。

そう、映画「ラストサムライ」の時代です。
260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。

そのころの日本は貧しかった。
封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。
人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。

私は教科書でそう教わりました。

しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。

人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。

しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。

世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。

まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。
冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。

しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。

携帯電話、インターネット、本当に子供のころの
SF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。
物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。

文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。
そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。

それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。

電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。

そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。

しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。
それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。
それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

「絆」、漢字では半分の糸と書きます。
半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。

困っている人がいれば助ける。

おなかがすいている人がいれば分け合う。
人として当たり前の行為です。

そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。

多くの外国から支援者がやって来てくれました。
絆は世界ともつながっていたのです。

人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。

私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。
しかし度を超えた成長は無理を呼びます。

日本には「足るを知る」という言葉があります。
自分に必要な物を知っていると言う意味です。

人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。

こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。

「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、
子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。

がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。

今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。

しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、
皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。

そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。
写真: 『渡辺謙がダボス会議で脱原発を訴えたことを報じたのは東京新聞だけだった』

国民的な俳優が、全世界が注目する会合で渾身の訴えをしたのに、国民にそれを知らせないとは。大変な情報操作ができる国だ。
それにしてもマスコミ、公平性客観性に著しく欠けている。

東京新聞 【渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文】
渡辺謙さん、ダボス会議でスピーチ 原子力からの転換訴える
2012年1月26日

スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。

渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。

スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。
渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。

・・・・・

スピーチ全文は次の通り。

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、
メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。

皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。
日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。

さらには近代の軍人や一般の町人たちも。
その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。

役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。

ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。

そう、映画「ラストサムライ」の時代です。
260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。

そのころの日本は貧しかった。
封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。
人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。

私は教科書でそう教わりました。

しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。

人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。

しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。

世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。

まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。
冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。

しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。

携帯電話、インターネット、本当に子供のころの
SF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。
物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。

文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。
そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。

それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。

電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。

そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。

しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。
それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。
それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

「絆」、漢字では半分の糸と書きます。
半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。

困っている人がいれば助ける。

おなかがすいている人がいれば分け合う。
人として当たり前の行為です。

そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。

多くの外国から支援者がやって来てくれました。
絆は世界ともつながっていたのです。

人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。

私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。
しかし度を超えた成長は無理を呼びます。

日本には「足るを知る」という言葉があります。
自分に必要な物を知っていると言う意味です。

人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。

こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。

「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、
子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。

がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。

今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。

しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。
心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、
皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。

そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

山代 寛さん、山名 正彦さん、Yutaka Tanabeさん、他23人が「いいね!」と言っています。

播 稔 40年前の新聞は、ここまでひどくなかった。 記者魂の欠落、新聞社の政府とくみした姿勢が問題。

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