ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 07/05 息子による映画「ノア」の評論。

2014-07-08 20:01:56 | ときのまにまに
お早ようございます。主の平和。歯科医に行く。『長生き競争!」続読。昼前に博多に出て川端通の二三家で昼食、天神に回ってヤマハで楽譜を買う。夜は船越英一郎主演「外科医、鳩村周五郎」を見て11時就寝、5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

野間 悦三さん、小杉 義信さん、東山 富昭さん、他18人が「いいね!」と言っています。

萩野 秀子 おはようございます。コンサートに行きます。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:25:24

文屋 善明
今日の名言:@KatsuKaishuBot
いくら戦争に勝つても、軍艦が出来ても、国が貧乏で、人民が喰へなくては仕方がない。やれ朝鮮は弱いの、支那人の頭を叩いたのと言つて喜んで居ても、国家の生命に関する大問題がそつちのけにせられるやうでは、まだ鎖国の根性が抜けないといふものだ。(勝海舟)
<一言>明治人の心意気。さぁ、この言葉をどう解するのか。(不快語、お許し下さい)

野間 悦三さん、金井 由嗣さん、東山 富昭さん、他31人が「いいね!」と言っています。

播 稔 今日の言葉といっても、全くおかしくない。 進歩がないのか、もとに戻ってしまったのか???
<一言>彼はこう言う。
posted at 06:32:40

「昨日のツイート 07/02 憲法9条の解釈改憲に対する日本聖公会の反対声明」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/5bcfece5d5c57fa9b9775ef03da2f29…
posted at 08:33:18

「昨日のツイート 07/03 西原廉太氏によるWCC中央委員会の実況報告」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/1845054c3a6ca5189f19ed8ee6120bd…
posted at 17:14:49

文屋 善明
お目覚めの花。「もう、朝顔の季節ですかね」「ちょっと早いかな」「それにしても、あなたの魅惑的な色、まるで造花みたい」「変な事言わないでください。私は正真正銘の生花ですよ」。(昨日、街場の花屋さんにて)
文屋 善明さんの写真

野間 悦三さん、金丸 勝彦さん、加藤 治さん、他27人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 美しいですね~♪

播 稔 これはきれいだ。

染井順子 今日歩いた緑道公園でも、10時半過ぎていましたが、きれいな朝顔が咲いていました。この青紫と言うのかしら、この色がきれいで好きです。

文屋 善明
2014日々の聖句 07月05日(土)
どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない、心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。(詩19:15)
イエスの言葉:まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネ4:23)

私の黙想:
言っていることと、思っていることとは必ずしも同じではない。その事自体は罪でもないし、ウソでもない。むしろ人間とはそういう存在であり、いわばそういう在り方によって社会は平穏に維持されているという側面も否定出来ない。しかしそこに欲が絡み、憎しみが加わると、不信、諍いの原因となる。個人間の、あるいは個別的な問題はさておき、政治的な選挙における「匿名性」は、選挙結果が選ぶ者の本音であるという保証である。いわば選ばれた者(権力者)の正当性の保証である。つまり選挙行動(言っていること)が選挙人の「思っていること」とが一致していることによって、その権力は真実なものとなる。従って選挙制度に欠陥があったり、投票行動、あるいは投票結果に不正があると、その権力は弱体化する。
究極の権力者である神は人間の「誠」を要求する。人間は神の前に「口の言葉」と「心の思い」とを捧げる。実はこの姿勢は神の権力の強化ではなく、人間の誠実さの強化になる。ここが宗教の持つ不思議さである。人間は神に対して真実である時、隣人に対しても誠実な者となる。

野間 悦三さん、金丸 勝彦さん、くわ なぎささん、他29人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、おはようございます。今朝は早く起きたので、「他者」の存在について、考えを整理しました(^_^)

播 稔 文屋神父の黙想は、短い文章のなかに良くまとまっています。究極の権力者・・以降がまたよい。感謝。

石井 昭 人間は誰もが罪人でありますが、「人間は主なる神に忠実である時、隣人に対しても誠実な者となる。」信仰の原点はここにあると思います。

文屋 善明 「人間はだれでもが罪人でありますが」という枕詞は不要です。

文屋 善明
ただ今、毎日系のテレビで宗像市の「沖ノ島」が取り上げられています。

野間 悦三さん、北村 良輔さん、舟田 譲二さん、他13人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんが大井 和明さんのリンクをシェアしました。
確かに、こういう視点も成り立ちますね。日本は沖縄に甘えている。甘えすぎている。

知念ウシ(ちにんうしぃ)の日本自立論 - 三上のブログ

http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/touch/20100828/p5
沖縄核密約もあることだし、池澤夏樹に噛み付いたことでも知られる知念ウシ(ちにんうしぃ)さんの「...

野間 悦三さん、北村 良輔さん、亀山 宏さん、他25人が「いいね!」と言っています。

松下 光雄 ありうる選択と思います。

文屋 善明さんが文屋 敬さんの近況をシェアしました。
面白い映画評論です。ノアの葛藤、わかる気がします。私はまだ見ていませんが、ぜひ見たいと思います。

長文です。
昨日、念願だった「ノア」を見てきました。エンドロールを見ながら頭の中によぎったこと・・・「聖書確認しなきゃ」でした。
 一応、私も神学を大学院まで学んだ研究者(といってもいいかもしれない人間?)。聖書の知識も周辺の知識や情報もあります。そういう知識を動員して考えることはいろいろあります。でも、印象として「最後の誘惑」が想起されました。
 学生の頃、マーティン・スコセッシ監督、そして大好きなウィレム・デフォー主演で「最後の誘惑」という映画が公開されました。主イエスが性欲に負け、十字架上で悪魔の誘惑に負けたというように描かれていたため、教皇が「批判」。カトリック教会が上映禁止運動を展開した作品です。
 細部にわたって歴史考証が正確になされ、イエスが生きていた当時の様子、社会がうまく描かれていました。聖書正典には描かれていない内容があり、物議を醸すということは理解できました。でも、実は私自身もほとんど同じことを考えていたので、深く感銘をうけ、共感しました。

 「ノア」も同じです。この作品は旧約聖書「創世記」の5章から10書までを原作としています。ネタバレになりますから、深くは立ち入りませんが、確かに正典としての聖書に書かれている内容とは異なった部分があります。特に「ハム」の葛藤。これはストーリーを動かす重要なトピックですが、聖書には描かれていません。またセムの子どもの話も重要なトピックですが、これも聖書には深く書かれていない部分です。しかし洪水という特殊な状況を信じてしまったノアとその周辺でこのような葛藤がなかったということはありません。聖書はこのあたりの描写がさらりと流されています。
 イエスが魂の叫びとして「善悪の両面と葛藤した」ように、ノアだってそういう葛藤があったはずです。一人の作家が自分の信仰、あるいは欧米の文化の基板となっている聖書の物語について真剣に想像を巡らしたとき、こういうストーリーが生まれる可能性はたぶんにあります。
 「創世記」にはよく理解できない描写も断片的に挿入されています。なぜこのプロットがここに入っているのか? というものです。本作ではそうした疑問に対する解答が提示されていました。なるほど・・・堕天使! また方舟をつくるレバノン杉・・・。あれだけの大量の材料をどのようにして入手したのか。このあたり・・・うまいなぁ~と思いました。

 納得できない部分が多いという人もいるだろうし、これは「聖書の話じゃない」という人も多い。そうだと思います。でももともと断片的なプロットの挿入、理解できない描写、簡素な表現、想像力を発揮できる要素満載の物語です。
 私はぜひ一度鑑賞して、自分なりに考えていただきたい作品だと思いました。もう1回見てもいいなぁ~と思います。息子やツレと一緒に観に行って、感想を話し合いたい、そしてきちんと聖書を読み込みたい、と。

竹本 耕造さん、野間 悦三さん、亀山 宏さん、他21人が「いいね!」と言っています。

Kinue Itou 私も「ノア」を拝見しましたが、聖書に書かれていない細かい描写が興味深かったです。これまで、神様から選ばれた人間としてのノアとその家族として捉えてきた自分には、やや衝撃的な内容ではありましたが・・・。

石井 昭 私も「ノア」を見ました。見方によっていろいろ批判もありますが、私はあの映画は聖書が示す人間と信仰の本質をかたっていると思います。人間と言う者は誰でも本当に罪人です。主なる神への信仰のかたいノアは、「お前を除いてすべての罪深い人類を滅ぼす。」という主の御告を聞いて、最後まで忠実に主なる神の命令に従います。そして最後に、自分の息子の最愛の赤子の命を自ら絶とうとします。その時主なる神は、それだけはしてはいけないとノアを押し止めます。そこで彼は『主なる神の愛の本質』を悟るのです。そして主なる神は、自分の最愛の息子イエス・キリストの命を救いようの無い罪人である人類に与えるのです。私は、映画に描かれた光景は色々と異論もあろうとは思いますが、作者の語る本質はここにあると思います。

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