ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/09

2012-10-10 09:01:07 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は昼前に久しぶりにバスで天神に出てパルコのアプバンクでiPad専用のキイボード付のケースを見た。非常に便利そう。昼食はパルコの地下食堂街で「究極の回転寿司寿司虎」を食べた。「究極の」と言われているだけのことはある。午後から関学創立125周年記念世界市民フォーラムに出席。歩きすぎたのと長時間固い椅子に座りっぱなしのため疲労困憊して9時前に就寝。5時15分に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:26:43

水草 修治 おはようございます。

安永 玲子 土曜日パルコの地下でで事故にあい、今日は何か良いものをもらえました・・ 不思議な出来事でした

文屋 善明 私の行ったパルコは博多・天神のパルコでした。

安永 玲子 私の行ったパルコは所沢・新所沢です^^

#losungenj 10.09(tue)
主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現された。(Ex15:1)
posted at 05:47:55
神はキリストによってわたしたちを神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちたたえるためです。(Eph1:5-6)
posted at 05:48:14
#losungenj 私の黙想:
出エジプトしたイスラエルの民が無事に紅海徒渉した直後に歌った感謝の歌。イスラエルの民はよく歌い踊る。大人も子供も、男も女も。「主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ」(2Sam6:16)。神の前で歌い踊れない人間は神の恵みを受け取れない。
posted at 06:02:09

「昨日のツイート 10/08」をブログにアップしました。 http://t.co/cp1POnLc
posted at 06:47:31

今日のこころ旅、大歩危峡、吉野川から高知の桂浜へ、太平洋を望む坂本龍馬の銅像。高知駅まで輪行、はりまや橋、市電、浦戸大橋の下を通り抜け岸に出る。無料の渡船で桂浜へ。見事な銅像だ。行きたいな。
posted at 08:00:18

門叶 国泰 またまた失念!夜は!

三浦 三千春 夏に見ました。巨きな像でした。波も高く、その音に魅せられました。

今日の名言:RT @meigenkakugen: 「顧客のために」ではなく「顧客の立場」で考える。(鈴木敏文)
<一言>さすがイトーヨーカ堂の社長の言葉だ。ボランティア活動も「~~のために」ではなく、「~~の立場に立って」が重要だ。助ける者が助けられる者に、助けられる者が助ける者にそれが真の絆である。
posted at 08:09:27

「今週のローズンゲン 09/23~09/29」をブログにアップしました。 http://t.co/FFpMTBxt
posted at 08:28:34

「今週のローズンゲン 09/30~10/06」をブログにアップしました。 http://t.co/hNFneE0I
posted at 08:37:14

FB<一参加者としての感想>
昨日のフォーラムを纏めることは非常に難しい。奥田知志牧師のホームレスの人々との出会いの中で彼らの声をしっかり聞いているし、藤井教授は学生たちの生の声を聞いている。奥田牧師は「生」の中に「死」を見ているが、藤井教授は「死」の中に「生」を見ている。したがって、お二人の視点は異なるのは当然のことであり、二人の話は噛み合っているようで噛み合っていない。それはやむを得ないことである。奥田牧師の言葉は、ビンビン聴衆の心に突き刺さる。ホームレスの問題との取り組みは死を共有すること、「誰も一人では死なせない」というところに原点がある。キズナ(絆)とはお互いにキズを負い合うこと。藤井教授の死生学の出発点は自分自身の「死の体験」にあり、死生学とは「『死』を含めて『生きる』を考える学問である」。
非常に実り豊かな会合でした。

塩澤 紀子 「しっかりと聞く」「誰も一人では死なせない」大切で、重いことばですね。三連休明け、路線情報で「人身事故のため・・・」無機質なアナウンス。こころが痛みます。

奥田 知志 なるほど、そうですね。この齟齬がいいところですね。ありがとうございます。

@rucat501 良かったね。
posted at 20:19:21

<補遺>咳・痰・鼻水の三点セットのためかなり強烈な薬を飲んでいるようだ。そのお陰で三点セットは治まったが何となく身体がだるくて眠気がする。まぁ、しばらくはが我慢しなければならないだろう。昨日は録画しておいた吉田茂の業績を描いた「負けるが勝ち」の第3巻を見た。今日は第4巻を見るとしよう。次の説教(テキスト:マルコ12:28-34)のため辻学『隣人愛のはじまり』を読み返している。マルコ福音書にルカ福音書が影響を与えているという部分がよく分からない。何か中間項が抜けているのだろうか。

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