ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

8月15日(水)のFB

2018-08-17 15:49:14 | ツイッター
8月15日(水)、主の平和。お早うございます。台風15号が間もなく福岡県に来ます。宗像でも午前中は台風が暴れるでしょう。
体温:36.3、血圧:118/79、心拍:81、血液粘度:0.37、血液酸素:96%。血液粘度が低すぎるのが気になる。体調・快調、今朝は鳥も飛んでいません。
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36Noriko Tama Corlさん、Minae Moriwakiさん、他34人

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Noriko Tama Corl 文屋先生、おはようございます!こちらもどんよりした雲が立ち込めていて、少し風が強めになってきています。台風早く熱帯低気圧になってほしいものです。雨ですが、今日も守られて、安全に、お過ごしになってください。主の平和!<(_ _)>♡♰

Mabune Tatsuo おはようございます。
大いなる主の御名を称えます。
今日も主を第一に主の教えを実践出来ますように!
アーメン。

藤木 冨士子 おはようございます。

Izumi Nara おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
こちらも不安定な空模様です。
槍ヶ岳登山から帰って来た息子が来ていて、老親は少々バタついています。
ご夫妻共々お守りとお支えの内に穏やかなよい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

文屋 善明
お目覚めの花。今日は「終戦記念日」、あの日、私はあの玉音放送をピョンヤン(平壌)市内の銭湯の二階で聞いた。小学3年の私には何のことか分からなかったが大人たちの泣いている姿から「負けた」ことはわかった。その翌日から在留日本人の保護という名目で旧兵舎跡に収容され、それから1年、鉄条網の中で生かされた。当初、約5千人が収容されたが、そのほとんどは婦人と子どもであった。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然
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52Noriko Shiozawaさん、Noriko Tama Corlさん、他50人

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髙橋 和廣 ご苦労さまでした。これからも時代の証言を伝えて下さるようお願い致します。

糸原 由美子 先日ジュニアの説教があたり、5000人を養うところだったのですが、ちょうどこの時期、文屋さんの収容所の中での食事の話をちらっと挿入させていただきました。私にとっては50年前にお聞きしたエピソードですが、忘れられません。

文屋 善明
2018 日々の聖句 8月15日㈬
主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる。(箴言18:10)
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(黙示録1:8)
私の黙想:
「力の塔」とは何か、考え込んだが、口語訳を開いて、なんだ「堅固なやぐら(櫓)」じゃないか。「主の名は堅固なやぐらのようだ、正しい者はその中に走りこんで救を得る」。素直に訳せばそういうことか。まぁ、結局同じことではあるが翻訳者たちはいろいろ工夫をしていて比較すると面白い。フランシスコ会訳は「主の名は堅固な櫓。正しい者はそこに避難して助かる」。新改訳は「主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である」。岩波訳はチョットキザに「ヤハウェの御名は、堅固な砦。義人はその中へと駆け込み、保護される」。
より取り見取り、どの訳もそれぞれいい訳だが「力の塔」だけは頂けない。私なら「正しい者」「義人」の部分を「賢い人は」としたいが、それでは翻訳にならない。
25永島大資さん、Noriko Tama Corlさん、他23人

文屋 善明
台風15号は、待ちくたびれてウトウトしている間に、静かに近寄り、そっと去って行きました。雨も打ち水程度で工事中のむき出しの地面を湿らせてくれました。今は海に出て対馬方面とか。(09:40) やはり台風は宗像大社に気を使っているようです。
26Noriko Tama Corlさん、Minae Moriwakiさん、他24人

文屋 善明
「8月12日(日)のFB」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11Yoshinori Fujiiさん、宮田 真也さん、他9人

文屋 善明
今日の名言:@God_meigen
神は自惚れ屋を憎む。(セネカ)
<一言>セネカはローマの哲学者で65年4月12日にローマで逝去。使徒パウロとほとんど同時代。皇帝ネロの家庭教師。著書『生の短さについて』(岩波文庫)
20Noriko Tama Corlさん、宮田 真也さん、他18人

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岸信介の大罪をアベは継承している

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1816019245157976&set=a.1638769949549574&type=3&theater

Yoshihito Hashimotoさんがアルバム「日本軍」に写真を追加しました。フォローする
8月15日 7:29
「敗戦でとてもニヒルになりました。
大人の言うことなんて、
信用するもんかと思っていました」。
自分は安全な場所にいて
青少年を戦地へと駆り立て、
敗戦後は手のひらを返したように
「民主主義」を唱え始めた。
そんな「信用のならない大人」の一人として、
日本のかいらい政権・満州国の
総務庁次長として辣腕(らつわん)を振るった
岸信介元首相を挙げる。
「満州では、
自分たちに都合よく法律を作り、
東条英機内閣では
商工相として戦争を遂行した人物です。
それが戦後になって『民主主義者だ』という。
ウソつけ、ですよ」
この国はどこへ行こうとしているのか
 平成最後の夏に… 俳優・鈴木瑞穂さん
2018-8-14 毎日 夕刊

憲法は戦死者の遺言

長年の演劇界への貢献が認められ、昨年、第45回日本新劇製作者協会賞に選ばれた。東京都内で開かれた授賞式で、小説「ドン・キホーテ」で知られるスペイン人作家セルバンテスの言葉を引用しながらスピーチした。憲法9条が掲げる非戦の理想を引き下ろし、改憲を目指す勢力への激しい批判である。「夢だけを見て現実を見ないやつは度し難い。現実だけを見て夢を見ないやつはもっと度し難い。だが、救いようのないほど度し難いのは現実を夢に近づけようと努力しないやつだ」

俳優としてのキャリアを66年積み重ねてきた。

「俳優は、常に時勢に敏感でなければいけません。犯罪者の役をやれば、なぜ、罪を犯したかを問い続ける。ただ、台本に書かれたものを言葉にするのではなく、役を通して社会や時代を見なければ」

 この季節の晴れた夏空を見ると、あの日を思い出す。73年前の8月6日朝、広島湾に浮かぶ江田島から7・5キロ離れた広島市内の光景だ。海軍兵学校で学ぶガチガチの軍国少年だった。

「あの日も快晴でした。朝の海軍体操を終え、モールス信号を送る通信の授業が始まって間もない頃、突然、真っ白な光に包まれ、まるでもう一つの太陽が照ったようでした。地鳴りのような音に続き、震度3ほどの揺れ。最初は、対岸の呉市にある連合艦隊の火薬庫が直撃弾を受けたのでは、と思いました」

学校近くの古鷹山(標高394メートル)の中腹からは、海を隔てた広島市内が見えた。ダークオレンジ色をした巨大な泡のようなものが市内を包んでいた。「砂糖菓子のカルメ焼きのような形」にたとえる。それが、どんどん上昇して、やがて白いきのこ雲へと変わっていった。

空からは乳児の産着の燃えかすや新聞紙がひらひらと舞ってきた。教官からは、降ってきた物に触ったり、雨に打たれたりしてはいけないという注意があった。「教官たちは、何が落とされたのか、すぐにわかったんでしょう。でも、ラジオの発表は『新型爆弾』でした。当時の私の日記を見ると、『人間が人間をこれほどおとしめることができるのか』と、米国への怒りを書いています」

日本統治下の朝鮮半島で育った。中朝の国境沿いに住み、父親は朝鮮人の水産専門学校で教える教員。通った旧制中学は国境を越えた旧満州(現中国東北部)にあった。1943年に海軍兵学校に入るまで日本の地を踏んだことはなかった。

「敗戦でとてもニヒルになりました。大人の言うことなんて、信用するもんかと思っていました」。自分は安全な場所にいて青少年を戦地へと駆り立て、敗戦後は手のひらを返したように「民主主義」を唱え始めた。そんな「信用のならない大人」の一人として、日本のかいらい政権・満州国の総務庁次長として辣腕(らつわん)を振るった岸信介元首相を挙げる。「満州では、自分たちに都合よく法律を作り、東条英機内閣では商工相として戦争を遂行した人物です。それが戦後になって『民主主義者だ』という。ウソつけ、ですよ」

復員後に身を寄せた岩手県陸前高田市の伯父の勧めもあり、京都大経済学部に進学した。そこで新憲法に出合った。質の悪いザラザラの紙に印刷されていた条文を読むと強い衝撃を受けた。「日本は戦力を放棄する。もう二度と戦争をしない、と書かれている。なぜこんなに優しい言葉で、一人一人の人間に愛情を注げる憲法が生まれたのか。感動したというより、未知のものを見た驚きがありました。兵学校の2、3期上は戦地に赴き、無残に死んでいった。この憲法は、戦争で死んだ人たちの遺言に思えたのです」

京都大在学中の冬のある日、京都で見た「劇団民芸」の公演。上演されていたのはロシアを代表する劇作家、チェーホフの4大劇の一つ「かもめ」だった。芸術に翻弄(ほんろう)される人々の、愚かだがいとおしい営みを描いた作品だ。「登場人物がみんな生きる目的を持っていて、人間というのは、こんなにも色彩豊かに生きるものなのかと思いました。一人でも多くの米兵を殺し、立派に死ぬんだというそれまでの自分は何て貧しい考え方だったのか。人間はもっと豊かに一人一人が生きている。そう思うと涙がボロボロ出てきました」

公演後、劇団の創設者の一人で俳優の宇野重吉さんを楽屋に訪ねた。大学を中退し、演劇の道を歩んだ。

「演劇は人間に対する一つの賛歌なんです。人間のあり方に敏感であってほしい。ただ、『感動した』『つまらなかった』という感想だけでなく、自分がなぜそう思ったのか、この演劇は自分にとって何なのかを問いかけてほしい。そうした『問い』を支えるのは知性や理性です。それがなくては、私たちも芝居ができなくなってしまう」

人間の尊厳を踏みにじるヘイトスピーチにはかつての自分を見るようで心が痛むという。「差別意識が生まれる根源は、どこにあるのでしょうか。どこに理性があるのでしょうか」

朝鮮半島で暮らした少年時代。「当時の僕の中にも、日本民族というのは『世界第一級の民族だ』という意識があった」と振り返る。朝鮮の人たちは、神社の前で整列し、「皇国臣民ノ誓詞」を毎朝言わされていた。「我等は皇国臣民なり、忠誠以(もっ)て君国に報ぜん」と。朝鮮語を使うと殴られる。それが日常だった。

芝居を通じて「本当に人間らしく生きることとは何か」というテーマを掲げる「劇団銅鑼(どら)」を創立したのは72年だった。しかし、現代はポピュリズム(大衆迎合主義)や、知識や教養を軽視する「反知性主義」が幅を利かせている。「国会を見てください。質問に対し、正面から答弁しない。演劇では、相手に対して、心に響くせりふを返さなければ、ストーリーが成り立ちません」。やがて、演劇が時代にのみ込まれて理解されなくなる日がくるのではないか。それが怖いと言う。

大学時代の師は、財政学の権威の島恭彦氏だった。「当時は、島さんと喫茶店でコーヒー1杯で何時間も議論しました。島さんが言っていました。『マルクスの資本論は壮大なドラマなんだ』と。搾取はどこから生まれ、貧富の差はどう生じるのか。そして人間とは何かをドラマチックに解説してくれるというのです。資本論の講義はドイツ語で受けました。マックス・ウェーバーやケインズも勉強しましたね」

家には授業で使ったドイツ語の原書が残っている。「引っ張り出して、もう一度読んでみたいなと思っています」【庄司哲也】
27Noriko Tama Corlさん、Yoshinori Fujiiさん、他25人

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およそのことは知っていましたが、ここまできちんと整理された資料はめずらしいです。

坂井 貴司
8月15日 14:23
 今日2018年8月15日は、太平洋戦争が「終戦」を迎えてから73年になります。

 私は「終戦」とは言葉のごまかしであると思いますので、使いません。「敗戦」と呼びます。

 さて、1945年8月15日正午の昭和天皇の玉音放送を持って、太平洋戦争は「終わった」とされています。これは大きな間違いです。日本に無条件降伏を迫ったポツダム宣言を受諾すると昭和天皇が発表したに過ぎません。

 実はこの放送の間にも、「満州」、中国、沖縄、南サハリン、東南アジア各地では戦闘が繰り広げられていました。特に「満州」と南サハリンでは、日本軍とソビエト軍が激しい戦闘を行っていました。組織的戦闘が終わった沖縄では北部(やんばる)山岳地帯でゲリラ戦の訓練を受けた少年兵が、アメリカ軍と戦っていました。フィリピンでも散発的な戦闘が続いていました。

 8月15日以降も戦い続けた日本軍の生存者は口をそろえて

「ポツダム宣言受諾を知らせる玉音放送は聞かなかった。だいぶ後になって知った」

と言いました。

 放送の後も銃声は止みませんでした。

 玉音放送の直後、大分県大分市にあった海軍大分飛行場から、爆撃機『彗星』が沖縄へ向けて飛び立ちました。司令官だった宇垣纏が乗り込んだ爆撃機は、沖縄のアメリカ艦隊に突入しました。最後の神風特攻でした。

 同じころ、海軍の潜水艦ロ500号がウラジオストックを攻撃するために出撃しました。

 8月18日には、横須賀へ偵察に来たアメリカ軍機を、海軍横須賀航空隊の戦闘機が迎撃し、空中戦を行いました。米軍兵士が死亡しました。

 9月に入ると、千島列島最北端の占守島にソビエト軍が上陸しました。これを陸軍守備隊が迎え撃ちました。激しい戦車戦を行いました。ソビエト軍は日本軍以上の損害を受けました。

 本当に戦闘が終わったのは、玉音放送から1ヶ月以上が経った9月中旬過ぎでした。日本本土では各地に闇市が建ち並び、混乱の中で戦後の再建に人々が立ち上がろうとしていました。

 太平洋戦争は1945年8月15日に終わったのではありません。1ヶ月過ぎてから終わったのです。

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20永島大資さん、Noriko Tama Corlさん、他18人

文屋 善明
【素粒子】朝日夕刊、8.15 
敗戦から73年。戦後生まれが8割を超えた。それでも、語り継がねばならない。戦争の惨禍を繰り返さぬために。
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35Noriko Shiozawaさん、Noriko Tama Corlさん、他33人

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中尾 ケトラ 香鶴子 父親は海軍で佐世保から台湾に戦争に行き、台湾で終戦を迎えました。7ヶ月、収容所にいて帰国したそうです。20歳の時です。父親が元気なうちに戦争体験をしっかり聞いておこうと思います。二度と戦争を起こさないように、平和でありますように。祈ります。

文屋 善明
リツイート:小沢一郎(事務所)@ozawa_jimusho
ソロモンニューギニア25万人、インドビルマ17万人、中部太平洋25万人、フィリピン52万人、沖縄19万人、満州中国71万人、空襲56万人、広島原爆14万人、長崎7万人、日本人戦没者総数310万人。歴史の評価は歴史家に任せるという総理。政治家こそ歴史と向き合わなければ必ずいつか来た道を辿ることになる。
<一言>今日は「終戦記念日」(実は「敗戦記念日」)。今日のマスコミから「終戦記念日」という言葉が著しく減っている。これも戦争を美化したいアベ首相への忖度か。その中でのNHKスペシャルの「ノモハンの真実」はヒット。
21Noriko Tama Corlさん、宮田 真也さん、他19人

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