ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 08/15

2017-08-17 08:14:39 | ツイッター
お早うございます。主の平和。8月15日、火曜日。終戦記念日。宗像市は気温26度、最高29度、ただ今室温28度。曇り。
10時半に就寝、熟睡、6時起床。体温:36.4、血圧(124:83、83)。体調:快調。チュンチュン

28 石井 昭さん、宮田 真也さん、他26人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはようございます😃。今日は、雨☂️が、降っていますが、15日は、終戦記念日で、年金支給日なので、堺市の区役所に税金を支払いに行きます。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。

小貫 ツマ お早うございます。主の平和。
今日は東京は雨で涼しいです。

村田 多鶴子 おはようございます~♪小雨の降る蒸し暑い朝です。
先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

藤木 冨士子 こんにちは。

文屋 善明
8月15日 6:09 · 福岡県 宗像市 ·
昨日の日誌
午前:読書、ヘーゲル『精神現象学』。
午後:昼寝1時間。読書続き。
夕方:家内だけ散歩に出かける。私は家で読書。
夜:8時からNHKスペシャル「樺太地上戦、終戦後7日間の悲劇」。うかつにもこの悲劇のことほとんど知らなかった。アメリカとソ連との密約にからむ悲劇だ。報ステを見て10時半。

19 丹羽 一二さん、越山 香菜子さん、他17人

文屋 善明
8月15日 6:26 ·
お目覚めの花。今日は終戦記念日だ。天皇の終戦詔勅を日本人はどう受けとめ、世界はそれをどう解釈したのか。考えさせられる。天皇が「打ち方止めい」と仰れば、日本人は素直に攻撃は止める。しかし「世界の常識」は敗戦の調印(ポツダム宣言の受け入れ調印、9月2日)で敗戦となる。戦艦ミズリー号の戦場で調印されたということが一つのサインだ。この間隙を突いたソ連軍の樺太侵攻。いわゆる「武装解除」はいつなされたのだろうか。疑問が残る。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外

34 丹羽 一二さん、中尾香鶴子さん、他32人
コメント

杉浦 紀明 旧日本軍の指揮下で辺境に住む人々は「満蒙開拓団」も実際にはそうでしたが、民間人と云えども本土防衛のための「国境警備兵」の役割を担わされていたと思います。沖縄然り、満州然り、そして、樺太もまた然り、ではないでしょうか。いわゆる「玉音」=勅令による「終戦」はもちろん国内だけしか効力が無かったと思います。

徳善 義和 国民は泣いたと言われるが、敗戦に泣いたのではなく、終戦を決めた天皇のことばに泣いたのだったろう! 今日は敗戦が決まった日!

文屋 善明 私はいわゆる玉音放送は、平壌(今のピョンヤン)の風呂屋で聞きました。風呂屋で正午に不思議に思うでしょうが、8月9日の深夜、無蓋車に枝などで偽装した特別し立ての列車で満州の新京を脱出し、多分、翌日には平壌に入っていたと思いますが、関東軍の接収により日本人が経営する風呂屋を仮の宿舎にしていたと思う。そして15日、そこで玉音放送を聞き、直ちにソ連軍の支援の元朝鮮人の支配下に入り、一時は日本人は皆殺しという噂を聞きましたが、とにかく自由行動は禁止され、「保護」という名目で、強制的に旧日本軍の兵舎に収容されました。それから約1年収容所生活をさせられ、多分最初は5000人ほどいた日本人も約3分の2はそこで死亡したと思う。何しろその頃数えで10歳、9歳に成り立てでしたので細かいことは分かりません。

Mizota Michael Satoshi 細かく書いていただきありがとうございます。

文屋 善明
8月15日 7:03 ·
2017 日々の聖句 8月15日(火)
わたしは苦難の中から呼び求めるあなた(お前)を救った。(詩81:8)
さて、ハンセン病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちま病は去り、その人は清くなった。(マルコ1:40~42)
私の黙想:
「日々の聖句」の編集者は「あなた」を思い切って「お前」と訳し変えている。日本では「苦しい(困った)ときの神頼み」という、信仰を揶揄した言葉がある。普段はほとんど宗教などに関心がないのに、苦しいときにだけ「神さま」という姿勢を批判する言葉である。日本人の潔癖症からでた格言であろう。そういう風に茶化されたときに「人生に苦しくないときがあるのか」と開き直っても空しい。私たちの神さまはそんなけち臭いことを仰らない。「苦しいときに私を呼び求めるなら、いつでも助けるよ」と仰る。それで良いではないか。詩人はここで面白いことを言う。ここで語られる神の言葉は「思いがけない言葉」だという。口語訳では「まだ知らなかったことば」と訳し、フランシスコ会訳では「耳にしたことがない言葉」だという。翻訳者によっていろいろに訳しているが、「苦しいときに神が助けてくださる」ということはイスラエルの民にとっても「意外なこと」なのだ。もっと面白いのは、この事実は「雷鳴に隠れて」なさるということである。やや、ややこしいので、整理すると、私たちが苦しさの中から神さまに「助けて」と呼びかけたら、神さまは助けてくださるが、それは「雷鳴に隠れて」なさるのだ、というのである。要するに、周囲の人たち意は気が付かれないような形で神さまは私たちを助ける。ひょっとすると、ご本人も気が付かないような仕方で神さまは助けてくださるのだろう。要するに「苦しいことがあれば神さまに呼びかけたら」、神さまがなんとかしてくださる。「苦しいときの神頼み」、いいじゃないか、と神さまは意外なことを仰る。

28 越山 香菜子さん、齋藤篤さん、他26人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
8月15日 7:09 ·
3年前のローズンゲンです。
3年前
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文屋 善明
2014年8月15日 · 福岡県 宗像市 ·
2014日々の聖句 08月15日(金)
主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。(詩9:11)
キリストの言葉:わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている。(黙2:2)

私の黙想:
イスラエルの誇りは「わたしたちは御名を知っている」ということに尽きる。わたしたちは神の本名を知っている。つまりわたしたちと神との関係は「知り合い」なんだ、ということが自慢である。何か、困ったことがあれば、何でも相談し、助けてくれるのだ。何か、その辺りにいる「大物政治家」の自称「友だち」みたいな関係を思い起こす。コネの強さというか。こういう関係はあまり好きになれないが、こういうところにイスラエル民族のいやらしさが見える。いや、イスラエル民族だけのではなく、一般的にいわゆる「信仰者(=宗教家)」特有のいやらしさかもしれない。神に対する「特権者意識」というか、こういうところが、癇に障る「主体性」を強調する哲学者がいる。

10 宮田 真也さん、安井 郁夫さん、他8人

文屋 善明
8月15日 8:55 ·
今日の名言:@wisesaw
女達は、なぜとか、どうしてとかいう事を抜きにして愛されることを願う。 可愛らしいとか、善良だとか、上品だとか、頭がいいとかいう理由ではなく、 彼女らは彼女自身でありたいからだ。(アミエル)
<一言>へ〜、そんなものかと思って、アミエルという人どんな人か調べてみたら19世紀のスイスの哲学者だって。その理論21世紀の日本でも通じるのかなぁ。

20 文屋惠さん、福澤浩子さん、他18人
コメント

西堀 俊和 好きに理由はないが、嫌いにははっきりとした理由があるとか申します。

文屋 善明
8月15日 9:04 ·
現代文イミタチオ・クリスチ
第7章 良心の吟味と改善の決意とについて(B)
キリスト:
愛する者よ、君が嘆くべきことは次のことである。
(1)君が今でもまだ世俗的で即物的なことだ。
(2)君は君自身の悪い性質を軽く見ていることだ。
(3)君の心の中に悪い思いや情欲に満たされていることだ。
(4)君が感情に不注意なことだ。
(5)君がしばしば妄想にとらわれることだ。
(6)君は新奇なことや美しいものに惹かれることだ。
(7)君は人がいやがる仕事を厭うことだ。
(8)君は語る言葉に無頓着なことだ。
(9)君は沈黙を守れないことだ。
(10)君は君自身の思いに固執し、何が何でも通そうとすることだ。
(11)君の行動が行き当たりばったりなことだ。
(12)君は君のなすべきことをさぼることだ。
(13)君は気が多すぎることだ。
(14)君には心の奥に沈潜することがほとんどできないことだ。
(15)君は短気で、常に不満たらたらなことだ。
(16)君は隣人に対して怒りすぎることだ。
(17)君は事態が上手く運んでいるときには調子に乗りすぎることだ。
(18)君は事柄がうまくいかないと落ち込み、心の中で傲慢になることだ。
(19)君は決心はするが、それに行動が伴わないことだ。(3:7:5~22)

17 宮田 真也さん、永島 大資さん、他15人

文屋 善明
8月15日 11:44 ·
なかにし礼さん、私より二つ年下。私とよく似た体験ですね。
画像に含まれている可能性があるもの:テキスト
田中 隆夫
8月15日 11:05 ·
「過去を忘れるのが早すぎないでしょうか」 なかにし礼さんインタビュー 2017年8月15日 07時11分

 戦後72年の終戦記念日の特集は、作家で作詩家のなかにし礼さん(78)のインタビューです。創作の原点であり、生と死そして国家と個人を考える端緒となった戦争の闇を語り、その闇の深さから生まれた憲法を「最高の芸術作品」と呼びました。 (聞き手=編集局次長・瀬口晴義)
◆幼少期に引き揚げ
 -せい絶な引き揚げ体験がおありですね。
 僕の人生の幕開けは爆弾の音でした。昭和二十年八月で、当時は六歳。交響曲「運命」の第一楽章のようにジャジャジャジャーン!と目が覚めました。
 満州へ両親が北海道の小樽から渡ったのは昭和八年です。酒造りで成功し、私は十三年に生まれました。揺籃(ようらん)の穏やかな時が流れていたのに、にわかにソ連軍が侵攻してきました。
 八月十一日の午前十時ごろです。わが家の庭にいると、ソ連軍の爆撃機がものすごいごう音で飛んできました。目の前で、腹がぱかっと開いて爆弾がぽろりぽろりと落ち始めて。道一本隔てた陸軍の兵器庫を大爆撃したわけです。僕は吹き飛ばされ、家は爆風でガタガタになりました。
 父は長春に出張中で留守でした。母は「一日も早く逃げるべきだ」と即断します。関東軍に掛け合い、軍人とその家族を避難させる列車に自身と私、七歳上の姉を潜り込ませました。
 夜陰に紛れて牡丹江駅を出発した列車には千何百人も乗っていました。国を守るべき軍人がいち早く国民を捨てて逃げるのです。翌朝、列車が横道河子(おうどうかし)駅の辺りで機銃掃射を受けます。僕たち家族も一般居留民を出し抜いて軍用列車に乗った後ろめたさは感じていましたが、われ先に逃げたのはふんぞり返っていた少佐らしき軍人でした。
 機銃掃射の時、母は「おまえは小さいんだから座席の下に隠れなさい」と僕を座席の下に押し込み、外へ飛び降りて逃げた。僕は、親から見捨てられた気分になりました。生まれて初めての残酷な体験です。列車に戻ってきた母は「これからは自分の意思で逃げて、自分の意思で生きなさい」と。母の名言で、僕ががんになった後、生きる力につながりました。
 -なかにしさんは、がん治療の方法を自らの考えで選択されました。その原点ですね。ハルビンまでの逃避行では、ご著書に印象的なシーンがあります。
 はい。珠河(しゅか)(現・尚志)の駅の手前で、列車が大きな川にさしかかると、鉄橋は今にも壊れそうです。全員下車して川を渡り、貨車だけを通しました。ぬれた体で向こう岸に着き、列車に乗ろうとすると、長野県からの開拓民たちが押し寄せてきました。病人だけでも乗せてくれと、無蓋(むがい)列車の箱枠にしがみついてきます。
 将校は「離れないと、指を切り落とすぞ」と軍刀をかざし、私たちに「その手を振り払え」と叫びます。僕は最後尾の貨車だったので、彼らの手の指一本一本をもぎとるようにはがしていきました。
 その指を離せば彼らはそこで餓死するか、歩いて疲れ死ぬか、中国人の暴動で死ぬかです。指をはがしたのは僕たちの意思というより、兵隊の意思でです。逆らえば、僕たちも殺される。見殺しという言葉がありますが、見殺しに加担したことが僕の幼年期の第一の罪の意識です。はがされる人の指の感触も、顔も覚えています。
 満州で敗戦を迎えた私たちは三度にわたり、国家から見捨てられたわけです。一度目は、関東軍によって棄民されます。二度目は、「居留民はできるかぎり現地に定着せしめる」という外務省からの訓電です。そして三度目は、引き揚げ政策のGHQ(連合国軍総司令部)への丸投げでした。
 -引き揚げ船に乗ったのは翌年ですね。
 そこでも大人たちの姿に幻滅しました。満州でソ連兵の女狩りに協力した避難民へのリンチ劇…。夜には大人の男女がもぞもぞと重なり合い、うめき声をあげる。
 少年心にも、生きていてもしょうがないと。夜の暗い甲板から姉と一緒に死のうとした時、船員さんに止められます。『リンゴの唄』を聞かされ、「君たち、死んではいけない。今、日本では皆この歌を聞きながら、焼け跡から立ち上がろうとしているんだ」と。
 僕は、なぜ平気でこんな明るい歌が歌えるんだろう、と思いました。僕らは玄界灘の真っ暗な海の上をさまよい、まだ戦争は終わっていない。なのに日本人はもう新しい出発をしている。悲しくて。僕にはとても残酷な歌でした。
 中国残留孤児が日本人の生活を見たらどう思うでしょうか。自分たちの戦争はまだ終わっていない。国にも帰れない。やっと訪れたら、自分たちのことなんて忘れて、裕福に生活している。ものすごい悲しい状況でしょう。日本人の得意技ですが、過去を忘れるのが早すぎないでしょうか。私たちはいまだにそうした『リンゴの唄』を歌い続けているわけですよ。
 今年の七月の終わりごろ、生まれ育った旧満州を訪れました。帰国の拠点だった葫蘆(ころ)島には当時の駅舎や鉄道のレールが保存されていました。当時がよみがえり、たまらない気持ちになりました。
◆憲法は最高の芸術
 -日本国憲法を「芸術作品だ」と表現されていますね。
 地獄の底でも落ちる深さが深いほど、跳躍する高さは高くなるでしょう。あの戦争でアジア全体で二千万人以上が亡くなった。大変な犠牲を払い、ついに手に入れた最高の憲法ですよ。
 米国の押しつけだとか言いますね。けれど、これは戦後日本の再出発の宣言書なんです。世界に向けた宣言書。各国が認めて、反対しませんでした。世界が希望する国の形を与えてくれたとも、われわれが選んだとも言えます。大きな歴史のうねりの中で生まれた。本当に奇跡的な、最高の芸術作品だと思います。
 その憲法のもとでとにかく戦争しないで七十数年やってきました。一体これの何が不都合なのでしょうか。国民は誰ひとり戦争が起きて幸福にはならないのに、なぜ政治家のまねをして改憲に賛成しなきゃならないのか。政治家とつるんで金もうけでもたくらんでいるのでしょうか。
 「美しい日本」「取り戻す」。そうした抽象的な言葉で何に回帰したいのでしょうか。日本の理想はまだ実現されていません。この憲法の名の下にこれから実現するべきなのです。なのにその努力を怠り、反省すべきを反省せず、戦前の軍国主義を勘違いして、そこに「美」を求めるのはとんでもない反動です。
 昭和二十年までの軍国主義によってどれだけの人を悲しませ、苦しませ、犠牲にしたか。そして愚かな戦争によってどれだけの若者たちが無駄死にし、犬死にし、飢え死にしたでしょうか。そして、中国人や韓国人に対してどれだけの過ちをしたか。そうしたことを本当はもっと国民に知らせるべきなんです。
 それなのに若者はそれを知らないし、今、それを言おうとすると大変です。小泉政権のころから「日本は悪くなかった」という国民意識の改革のようなものが始まり、そうした洗脳が十年近くかけて実を結んできたわけです。国民意識の変化は怖いですよ。
 自民党は改憲を言うとき、「対案を出してくれ」と求めます。それには各党が「反対なんだから対案なんて出す必要はない」と言えばおしまいなんです。もともと改正の必要がないわけだから。そうすれば国民の目も覚めますよ。
 自民党の改憲草案は、発想が国家ありき。憲法は国民ありき、個人ありきなのに、逆転の発想がしたくてしょうがないようです。棄民思想をずっと日本はやってきたわけですが、少しも進歩していません。
◆個人が抹殺される
 -現代の「棄民」についてどうお考えですか。
 福島の原発事故が起きて、当時は民主党政権でしたが、あのときの情報を開示しない状況から思い付いたのは「棄民」でした。今も事故によって故郷を追われ、避難民生活を余儀なくされている。
 戦前、国策で満州へどんどん人を入植させました。戦争でやばくなったら、さあ帰ってらっしゃいというのが普通の国家です。今は除染されたから帰れ、帰らないと補助金はあげられないなんて棄民を絵に描いたようなものです。
 国という一つの組織となると、人格を失うというか。まさに戦争とは非常事態宣言です。個人がいかに抹殺されても国家の正義だというものが論理の上では成り立つわけですから。それでは個人がたまったものではない。犠牲になるのはすべて個人です。そう経験した人たちがだんだん減り、戦争を知らない人たちが戦争を云々(うんぬん)しているのは危険だなと思いますね。
(東京新聞)

19 あなた、木村 栄子さん、安井 郁夫さん、他16人

文屋 善明
8月15日 13:50 ·
BuzzFeed.com
·
村上さんは私より2歳上、もし、あの時、新京を脱出していなかったら、恐らく私もほとんど同じ経験をしていたかも知れない。というより、家族の中で一番病弱だった私が一番先に死んでいたと思う。この体験談は他人事には思えない。

あの夏、僕は母と妹を殺した。70年間、語ることのできなかった戦争の記憶
旧満州から引き揚げた人たちの「戦後」とは。
BUZZFEED.COM|作成: 籏智 広太
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/remember-fumiko?utm_term=.mcmL821Ya&ref=mobile_share#.sbzwB7R8N

30 安井 郁夫さん、井澤常和さん、他28人
コメント

嶋津 雅彦 村上さんには、時々お目にかかることがありますが、このような体験をされたというのは、初めてうかがいました。
恐らく、本学の平和ミュージアムの関係者には、このエピソードを聞いている人もいると思います。
次にいつお会いできるか分かりませんが(来年になるかしら?)、私もゆっくりとお話をうかがえたらと思っております。

文屋 善明
8月15日 14:43 · 福岡県 宗像市 ·
金子流俳句、社会性俳句

「自由な俳句は平和な時代だからこそ」古老・金子兜太が語る - Yahoo!ニュース
俳人の金子兜太(かねこ・とうた)さんは今年9月で97歳。ずっと「社会性俳句」を詠んできた。「アベ政治を許さない」の字も揮毫。原動力を尋ねると「戦争です」と即…
NEWS.YAHOO.CO.JP
https://news.yahoo.co.jp/feature/715

文屋 善明
8月15日 14:57 ·
戦争は始めるよりも終わり方 仙明

20 安井 郁夫さん、永島 大資さん、他18人
コメント

藤木 冨士子 日露戦争ですね。

文屋 善明 いいえ、太平洋戦争です。勝ち戦さは簡単だが、負け戦さの終わり方は難しい。日論戦争では一応勝ったことになっており、事実勝ったのですが、その勝った後が悪い。図に乗って、満州進出までいってしまった。日本は国際関係における戦争の負け方の手続きが分かっていなかった。

藤木 冨士子 戦争のしかたもわかってた人は少ないんじゃないですか?

文屋 善明 国内戦争と国際戦争とが区別できなかった。

藤木 冨士子 そこでしたか。

文屋 善明 もっとはっきり言うと、国際関係は騙したり、騙されたりの関係で、例えば「平和条約」というのも、実は相互に利益が一致しているから売ったり、買ったりするのであり、「日ロ不可侵条約」というのも、お互いが国境を挟んで睨み合っていることで、相手が隙を見せたり、どこかに行ってしまったら、「攻めますよ」という条約なんです。

藤木 冨士子 日本人は言葉の通りにしか受け取らないばか正直なところがありますから。

文屋 善明 それは国内だったら通じたのでしょうね。

藤木 冨士子 日本人同士なら。

杉浦 紀明 文屋 善明 横から失礼します。その感覚の違いは、国同士が国境を接している国と、海を隔てている国との感覚の違いだと思います。国境を接している国は国境紛争が絶えないので慣れていますが、日本は「国境」という感覚が分からない。とても大きな違いだと思います。

文屋 善明 これ国際関係の常識。

文屋 善明
8月15日 15:24 ·
多田くん頑張っているね。
画像に含まれている可能性があるもの:2人、屋外
https://www.facebook.com/KwanseiGakuinUniversity/photos/pcb.1798391586841790/1798391493508466/?type=3&theater


関西学院大学 / Kwansei Gakuin Universityさんが写真5件を追加しました。
8月15日 15:20 ·
【KGニュース】多田選手が力走!世界選手権400mリレーで日本が銅

英国ロンドンで開かれている第16回世界陸上競技選手権大会で12日(現地時間)、男子400mリレーがあり、陸上競技部の多田修平選手が第一走者として走った日本は、世界選手権で初のメダルとなる銅メダルを獲得しました。多田選手は第一走者として見事なスタートを切り、後続の3人にバトンをつなぎ、その結果、日本は英国、米国に次ぎ、3位でゴールしました。

14 文屋 知明さん、宮田 真也さん、他12人

文屋 善明
8月15日 17:02 ·
みなさん騙されているようですね。そもそも「美人」ですか。そこいら辺に何人で転がっている普通の女性でしょう。爺さんや、ばあさんの間でチョロチョロしているから美人だと、これも誤魔化されているだけ。この人の先生が、アベさんと一緒に飯を食ったということで有名になった東京大学の藤原帰一教授で、アベ友の一人。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってる
Hiroshi Matsuura
8月15日 4:58 · 東京都東京都 練馬区 ·
*【正論】「小林よしのり氏『三浦瑠璃は詭弁を弄して〝共謀罪〟を肯定している』」

… 8月14日付の小林よしのり氏のブログより。

三浦瑠麗が、8月12日の東京新聞で、「共謀罪」法の成立などによって「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問いを全面否定している。

三浦瑠麗は、「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)-四五年のせいぜい二年間ほどでした」と言い切っているが、わしはこの無知にあきれ果てた。

三浦瑠麗は、小林多喜二が治安維持法違反の容疑で逮捕され、特高警察の拷問によって惨殺されたのが1933年(昭和8)だったことも知らないのか!?

治安維持法は1925年(大正14)に制定された。

当初は革命をめざす共産主義者やアナキストが対象であり、一般の人には関係ないと言われていた。

しかし恣意的に対象はどんどん広げられ、革命を目指していたわけでもない小林多喜二までが逮捕され、殺されたのである。

「共謀罪」法が、いまは対象者が「組織犯罪に関わり得る人間」や、確率的に低いが「テロリスト」だけであり、一般の人には無関係と説明されるが、いつ歯止めのない拡大解釈が起こるか分からないというのが、歴史に学んだ真っ当な感覚だ。

「共謀罪」法が治安維持法に似ているという意見を「誤った分析」と言い切る三浦瑠麗は、歴史を全く知らないとしか言いようがない。

さらに三浦は、戦前のような拷問や弾圧が起こることはないとも保証する。その根拠は、「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が効いて」いるからだという。

なぜそこまで、警察官を手放しで信用できるのだろう!?

つい最近だって、警視庁高井戸署の警察官が、万引きの容疑をかけられた中学生に「発言次第じゃお前の首を取るぞ。てめえ高校なんか行かせねぇぞコラ」などと脅しまくっていたことが問題になったばかりじゃないか。

何の力もない中学生に(しかも冤罪だった)、平気でこんな恫喝ができる警察官はいるのである。自白を迫るこの恫喝自体が拷問だと言ってもいい。

岐阜県大垣署の警察官は、風力発電施設建設に反対する住民らの個人情報を、中部電力の子会社に漏洩するという不祥事を起こしている。中には、反対運動にほとんど無関係の住民の情報まで含まれていたという。

こんな警察官に「共謀罪」という武器を与えれば、そのうち起こる冤罪事件を予期せぬわけにはいかない。

三浦瑠麗は、新聞も読んでいないのだろうか?

要するに三浦瑠麗は、歴史も知らず、現代社会も知らない、過去も知らなければ現在も知らない、そして想像力もない、尊大なエリート主義者にすぎないのである。

「リベラル」を自称していたから、ずっと騙されていた。結局、安倍政権の擁護者だったと気づき、権力の側に付き、権力のやることを「詭弁を弄してでも正当化する」言論人だと気づいた。

「美人」と「リベラル」、この二枚看板に騙されていた己を恥じる。

https://yoshinori-kobayashi.com/13781/


14 安井 郁夫さん、小貫 ツマさん、他12人
コメント

髙橋 和廣 小林もアホやなぁ、ま、気づいただけよしのりとするか。

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
8月15日 19:21 ·

河野外相なぜ認めた 森友疑惑キーパーソンが海外“高飛び”|日刊ゲンダイDIGITAL
 “忖度しない男”も牙を抜かれてしまったのか――。 今月3日に行われた内閣改造で外務大臣に任命された河野太...
NIKKAN-GENDAI.COM
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/211485

15 木村 栄子さん、越山 香菜子さん、他13人

文屋 善明
8月15日 19:34 ·

終戦日空しい言葉繰り返す善明

18 岩城 真紀子さん、櫻井吉田啓子さん、他16人

文屋 善明
8月15日 19:44 ·
NHKスペシャル「戦慄のインパール(旧ビルマ)」、最も空しい作戦の犠牲者たち。3万人の日本軍。戦死者の6割が作戦中止後の饑餓、病死。3ヶ月でインパール占領の作戦が結局無謀であった。牟田口中将司令官。意志決定が曖昧であった。結局、司令官の名誉心だ。

28 岩城 真紀子さん、安井 郁夫さん、他26人
コメント

杉浦 紀明 テレビが無いので、動画で見ました。
牟田口中将司令官、最晩年まで「インパール作戦は成功だった」と言いつつ、イギリスに対しては、責任は自分ではなく上層部の意向だという。
この間の国会閉会中審査の参考人招致での証言を思い出してしまいました。

徳善 義和 徳島の山奥の本家の一人の息子は大学を出て、士官となり、この作戦で死んだようです。知らせだけで結局なにも残されて、本家に届けられることはありませんでした。先年尋ねたら、フィリピンで戦死した長男と並べて、大きな石の墓が二つ並んで建立されていて、年老いていった親の切なさを象徴していました。

文屋 善明
8月15日 21:30 ·
「昨日のFB 08/13」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

8 宮田 真也さん、安井 郁夫さん、他6人

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