ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 06/04

2017-06-06 08:14:42 | ツイッター
お早うございます。主の平和。もっぱら読書、「神道の虚像と実像」、国家宗教としての神道に対する批判者としての柳田国男。昼食後、30ほど昼寝。息子のところから遅ればせながらのお誕生日祝いにゼリーが届いた。聖霊降臨後の主日の断想の枠組のチェック。夕方釣川散策。夕食後、「マイノリティ・レポート」、近未来の危なさ。11時半に就寝。6時半起床。体温:36.3、血圧(127:83、87)。体調:快調。チュンチュン

34 辻本 昌弘さん、永島 大資さん、他32人
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村田 多鶴子 おはようございます~♪
ペンテコステ礼拝が豊かに祝されますようにm(__)m
先生ご夫妻が祝福の内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。礼拝にいきます。守られますようにお祈りします。

東山 富昭 こんにちは😃、教会の礼拝を終わってから、教会の仕事をしています。今週も、よろしく、お願いします。

久保和男 朝忙しくて、こんにちはです。主の平和

文屋 善明
6月4日 6:46 ·
お目覚めの花。今日はペンテコステ。この日に教会が誕生したと言われている重要な祭日だ。この日の基調は「赤」、教会暦では赤は「殉教者の血」を示す場合と、「聖霊の働き」を示す場合とがある。この花は、散歩途中の百姓さんの庭の花。わざわざ呼び止めてくださり、この花の写真を撮らせていただいた。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、木、屋外、自然

39 中尾香鶴子さん、川田信子さん、他37人

文屋 善明
6月4日 7:18 ·
2017 日々の聖句 6月4日(日)
わたしこそあなたの神、主。エジプトの地からあなたを導き上った。わたしのほかに、神を認めてはならない。わたしのほかに、救いうる者はない。(ホセア13:4)
神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。(1ヨハネ4:13~14)
私の黙想:
今日の聖句の鍵は「わたしのほかに、神を認めてはならない」であろう。何と嫉妬深い神だろう。私はあなた以外の神を信じないし、愛さない。だから、他の人が他の神を信じているのを認めてもいいじゃないですか。私は私、他人は他人。それを「認めてはならない」なんて、あまりにも狭量過ぎますよ。「私の神」としてはあなた以外の神を認めません。
ところで、この「認めない」とはどういう意味だろう。口語訳では「あなたはわたしのほかに神を知らない」と訳されている。フランシスコ会訳、新改訳でも「知らない」。岩波訳は一寸ひねって「知らないはずだ」。関根先生の訳でも「私以外の神を君は知らない」である。何故、新共同訳だけが「認めない」なのだろうか。認めないという場合には、他の神も「知っている」と言うことが前提となる。確かに、出エジプト以来、カナンの地に定着するまでは、「他の神を知らなかった」に違いないが、カナン以後は「知っている」だから、「認めない」なのか。この方が実態には即している。私だって聖書の神(キリスト教の神)以外の神を知っている。いや、よく考えるとホントウに知っているのだろうか。頭では知っているし、認めていると思っているが、よく考えて見ると、それは「知っている」と言えるのだろうか。隣の息子は隣の大人を自分の親として信じているが、彼らは私の親ではないし、考えて見るとどんな親なのか知らない。
神を神として知るとは、そういうことなのだろう。単に戸籍上の「親権」を認めているというのとは異なった次元の話だ。場合によっては「親として認めない」としての、親だということを知っている。この「知る」は「認める」よりももっと根源的なことなのだ。その意味では岩波訳の「知らないはずだ」という訳語は意味を持っている。

23 辻本 昌弘さん、安井 郁夫さん、他21人
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門叶 国泰 今日も同じですね、何とも!

文屋 善明
6月4日 7:21 ·
今日の名言:@seigi_meigen
人間判断の場合には、それを法律機能的にだけ考えてもダメだし、中途半端なところで倫理観を入れたり正義感を入れたり、良心の問題を入れると、まちがっちゃうよ。(吉本隆明)
<一言>「根源を問う」とはそういうことだろう。

20 安井 郁夫さん、永島 大資さん、他18人

文屋 善明
6月4日 7:23 ·
現代文イミタチオ・クリスチ
第46章 神の恵みと世俗の知恵(A)
キリスト:
愛する者よ、私が君に与えた恵みは、この世が与えてくれるいかなる慰めとは比べものになりません。だから私の恵みの妨げとなる一切のものを取り去り、恵みが君のうちに注ぎ込まれることを熱心に求めなさい。
ひとりでおることを選び、人との談話を求めず、熱い祈りを神に注ぎ出し、そうすることによって悔いた心と清らかな良心とを保つようにしなさい。
全世界を無であると思いなさい。あらゆる世俗のものにまさって、君の心を私に向けなさい。君は私と共にいながら、同時に世俗のものを愛することはできません。知人や友人からあなた自身を遠ざけ、世俗の慰めから君の心を解き放たねばなりません。
聖なる使徒ペトロはキリストに忠信な人々に、君たちは異邦人また巡礼者としてこの世に処すベきであると警告している。この世のものに執着しない者は、死に臨んでいかに大きな確信をいだくことであろう。 (2:46:1~9)

18 西川 和子さん、安井 郁夫さん、他16人
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辻本 昌弘 最近は、独身もまた、主の恵みと思うようになりました。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
6月4日 7:25 ·
5年前のローズンゲン。
5年前
この日の思い出を見るchevron-right

文屋 善明
2012年6月4日 · 福岡県 宗像市 ·
losungenj 2012.06.04(mon)
あなたは食べて満足するとき、主を決して忘れないよう注意しなさい。(Deut6:11-12)
こう祈りなさい。「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」。(Mat6:9,11)
私の黙想:
その日の糧にも困る程の貧困においてもその人の本性はが現れるが、ある意味で、それなりに納得できる。しかし豊かさにおいて現れるその人自身の本性は醜い。生活保護の不正受給は許せるが、それを追求する国会議員や高級官僚等の不労所得に近い高給には腹が立つ。

7 越山 香菜子さん、安井 郁夫さん、他5人

文屋 善明
6月4日 8:47 ·
春嵐聖霊降り生き返る 善明

23 越山 香菜子さん、安井 郁夫さん、他21人

文屋 善明
6月4日 9:42 ·
今日は聖霊降臨日。聖霊降臨日になると思い出すのが、「マザーグースの歌」です。
  Whitsun bright and clear
  Will bring a fertile.
  Whitsun rain, blessing for wine.
  Whitsun wet, Christmas fat.
※ Whitsunとは聖霊降臨日という意味です。Whitsun-tideといえば聖霊降臨日の週、特にその最初の3日間を意味します。また、Whitmonday といえば、聖霊降臨日の翌日を意味します。教会暦では、これほど聖霊降臨日を大切に守っています。
参考に、訳文を掲載しておきます。
<聖霊降臨日が晴れると豊年、
聖霊降臨日の雨はワインを祝福し、
聖霊降臨日がじめじめすると、
クリスマスは盛大になる。>
御承知のようにマザ-グ-スの歌は、イギリスの子どもから老人まで全ての人々に親しまれている民俗的な歌で、彼等の歴史、生活等が歌い込まれています。この歌でもイギリス人が一年のうちのこの季節に何を考え、何を心配しているかが、聖霊降臨日に因んで語られています。
これは日本でも同じことで、やはり今年の収穫やワインの出来が心配なのでしょう。とくに、農村では天候に支配される要素がおおく、しかも天候は自分たちの能力をこえ、どうしても「あなた任せ」つまり神様次第ということなのでしょう。
日本でも梅雨の季節に雨が少ないと心配ですし、ダムの水が減りますと、私たちをはらはらさせました。ですから新聞などでもこの時期になりますと、天候の長期予報などを発表したりなどいたします。
天候が私たちの日常生活を支配している度合いは非常に高いのに、日本のキリスト者たちはそのことと信仰とを結び付けて祈るということに、私たちは何か抵抗を感じます。天地万物をお創りになった神様は今日の天候などには関わらないのだろうか。
このマザ-グ-スの歌には天候を支配し、その年の収穫を決め、さらには私たちの日常生活を采配する神様として聖霊が歌われています。聖霊とは「生活の中の神」なのです。日常生活の中で最も基本的なことでありながら、しかも私たち自身でどうにもならないことを支配している神、私たちがなにか重要な事を決断しようとする時に、私たちの思いをいろいろと指導する神、それが聖霊なのです。

43 西川 和子さん、中尾香鶴子さん、他41人
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コメント

糸原 由美子 マザーグースの中には解説を要するものがたくさんありますが、これは初めてお目にかかりました!こんなのもあったんですね!

文屋 善明 藤野紀男著『マザー・グースの英国』(朝日イブニング・ニュース)p.79に出てくる、私の好きな言葉です。

石田 聖実 生活の中の神、この言葉が私の感覚を見事に言い表してくれました。
典礼色は赤なのになぜ whitsun dayなのかとおもったら、
今はクリスマスやイースターに洗礼を受ける人が多いですが、昔はペンテコステに洗礼式が行われ、白い服を着た受洗者たちの行列ができたので white sunday → whitsun day となったそうです。

文屋 善明 解説、ありがとうございます。

Kouko Egasira シェアさせていただきます。

文屋 善明
6月4日 10:11 ·
「今週のローズンゲン 2017/05/28~06/03」をブログにアップしました。

今週のローズンゲン 2017/05/28~06/03 - ぶんやさんち
あなたは必ず御覧になって、御手に労苦と悩みをゆだねる人を、顧みてくださいます。(詩10:14) イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。(ルカ9:11)【ぶんやさんち】
BLOG.GOO.NE.JP

11 安井 郁夫さん、永島 大資さん、他9人

文屋 善明
6月4日 10:31 ·
「昨日のFB 06/02」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

12 安井 郁夫さん、永島 大資さん、他10人
コメント

Kouko Egasira お誕生日おめでとうございます。

文屋 善明
6月4日 17:46 ·
今日の「折々のことば」、何となく手の付けようがなくて、ズッと持ち続けていた。実際の話なのかドラマの中のセリフなのか、はっきりしないが、何となく、このセリフに引っかかる。そうだ、この言葉、私の体験の中では「聖書の中のセリフ」と神学との関係のようなものだ。聖書の中の生々しい、荒々しい、未整理な言葉は私の心に響くものがある。そこに「神学」が入ってくると、「整理整頓されて」納得のいくものになってしまう。しかし、それは何かしら、誰でもいいような言葉になってしまう。牧師の説教って、結局、「取り繕った」スッキリした「大人の言葉」になってしまっているのじゃないだろうか。

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25 岩城 真紀子さん、安井 郁夫さん、他23人

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