ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

火野葦平『盲目の暦』(創言社)

2009-05-16 16:47:34 | ときのまにまに
先日、近くの図書館から次の3冊を借りてきた。
○ ピター・シャビエル『イエスの涙』(アートヴィレッジ)
○ 火野葦平『盲目の暦』(創言社)
○ 東野圭吾『手紙』(毎日新聞社)

特にこの3冊を借りようと思ったわけではないが、何かしら心に引っかかるものがあったのだろう。東野さんの作品は何でもよかったが、この本しか残っていなかっただけのことである。『イエスの涙』はやはりキリスト教関係だし、ぱらぱらめくってみると「推理小説風」なので借りだした。わたしとしてはこの種の作品は玉石混淆であるができるだけ読むことにしている。
家に帰ってきて、先ず初めに取り上げたのが『イエスの涙』であるが、読み始めると、初めはこの種の作品に多く見られる「眉唾物」かと思ったが、なかなか読み応えがある。「十字架嫌悪シンドローム」などというオカルト的な事件を取り上げる推理小説に仕上がっているが、それはあくまでも筋の展開のための虚構であって、問われている内容はキリスト教の本質に関わる重要な問題提起である。途中まで読んで、これは「読み捨て」にできるような代物ではないと思い、本格的に座り直して読まねばならないと思い、早速アマゾンに注文した。この書については改めて取り上げるつもりである。
次に取り上げたのが『盲目の暦』(創言社)で、火野葦平の作品を読むのは初めてであるが、北九州市の若松出身の作家といことで読み始めた。非常に面白い。本の内容は、太平洋戦争の末期、米軍が激しく沖縄を攻撃している頃、それに対抗するため鹿児島県の知覧基地から連日、神風特攻隊が出発していた。物語は、従軍記者である主人公が知覧基地を訪れ特攻隊員の状況を視察する場面から始まる。そして、戦時下の民衆の悲哀、福岡大空襲の描写、北九州市若松地区への爆撃の状況や戦争末期の弛緩した軍隊の状況などが克明に描かれている。この作品は1952年に発表され始めたが、途中で出版社が倒産し、未完に終わっている。その後、発表から54ねん、著者の没後46年に生誕百年記念として初出版された。戦後、出版された「戦争物」には反戦的な作品が多いが、火野葦平氏の作品はそれらとはかなり違った視点をもっている。
この書名の「盲目」という言葉については、適不適について議論のあるところであるが、作品の中でただ一カ所でだけ使われているが、そこがこの作品の要であろうか。
「自分の力ではどうにもならないこと、巨大な盲目の意志によって、視野という視野がことごとく遮られているとき、どんな言葉も裏づけを失っていて、いつか、哀れな気休めばかりが、わずかに人々の不安を安定させる時代になっていた(147頁)」。
ここで述べられている「巨大な盲目の意志」は単純に考えると当時の軍部、あるいは軍国主義を指すのであろうが、もっと普遍的なものとして、「個々人の意志が集団化して凶暴化したもの」というように定義づけることもできるであろう。それはまさに現代の閉塞的な状況そのものでもある。
この視点が火野氏の戦争に対する「反省と悔い」であろう。別のところではこうも言う。「8月15日を境とする世相と人心のあまりの急変は、私に歯がみさせた。私は暗愚蒙昧、多くの誤謬を犯したけれども、祖国の勝利を願い、これに殉ずる気拝は戦争中も戦後も変らなかった。多くの兵隊たちもその純粋の愛国心で戦った者が大部分であったと信じている。ところが、敗戦と同時に、兵隊は罵倒され、哀れな復員の兵隊たちは乞食扱いされた。敗残の心を抱いて、故郷にかえっても、戸を閉して入れぬ父親があったり、冷い眼で見る村人、はては面罵する知人などもあった(『九州千早城』270頁)。この文章はいつごろ書かれたのか不明であるが、おそらく『盲目の暦』と同じ頃と思われる。つまり、敗戦後7年たった1952年頃であろう。それから約8年後の1960年1月24日自死した。

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