ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

端午の節句

2008-05-05 14:38:43 | ときのまにまに
今日は「こどもの日」。何と味気ない命名でしょう。昔の「端午の節句」という名称も、厳密に解釈しますと、ただ単に5月の5番目のという名称で、意味論的にはほとんど無意味です。しかし、「端午の節句」と聞けば、「鯉のぼり」や「よもぎ餅」を思い出しますし、あるいは、菖蒲湯を思い浮かべる人もいるでしょう。その意味では、昔の表現には非常に豊かなイメージが伴っています。それが日本語というものです。
わたし自身は、端午の節句と聞きますと、海野厚作詞、中山晋平作曲の「背くらべ」を思い浮かべ、メロディーが口元からもれてきます。

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
計つてくれた 背のたけ
きのふくらべりゃ 何(なん)のこと
やつと羽織の 紐(ひも)のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背伸(せのび) してゐても
雪の帽子を ぬいでさへ
一はやつぱり 富士の山

我が家にも、そういう「柱」があった。あの「傷」は今はどうなっているのだろうか。
この詩の「おととし」が、なぜ「去年」でないのか。研究者たちがいろいろ議論している。この詩は大正12年に発表されました。この詩は、弟の視点から描かれていますが、その頃作詞者海野は静岡から上京し、早稲田の学生で、おそらく病気のために帰郷できなかったものと思われます。大正14年、海野は結核のため28年の生涯を閉じました。「一はやっぱり富士の山」という句に静岡県人としての故郷への思いが込められています。

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