ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

<パン屑> ヨハネ7:6 

2008-05-04 20:55:39 | バン屑
わたしの時はまだ来ていない。 しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。  ヨハネ7:6

ここで用いられている「時」はギリシャ語のカイロスである。カイロスとは特定の時、それ以外のほかのどの時点とも区別される、「まさにその瞬間」、絶好のタイミングを意味する言葉である。イエスが「わたしのカイロスはまで来ていない」というとき、それはイエスに対して神が定めた時を意味する。 「わたしのカイロスはまだ来ていない」とはっきり言えるということは、イエスがただ者ではないということを示している。なぜなら、わたしたちは誰も「わたしのカイロス」と言えるタイミングを知らないからである。イエスの生き方は完全に神のカイロスに縛られていた。
ところが、イエスは「あなたがたのカイロスはいつも備えられている」と言う。これは言葉の正確な意味でカイロスではない。どの瞬間もOKということは、カイロスに生きていないということ、その意味では時間に関しては完全に自由であることを意味する。いつ、何をしてもOKである。
定年後の今、わたしは時間に関してはまったく自由である。「天下の浪人」とはそういう状況に置かれているということを意味する。しかし、そういう環境の中で、時々、「約束」がある。その約束はわたしにとって「喜びのカイロス」である。
イエスがわたしたちに対して、「しかし、あなたがたの時はいつも備えられている」というとき、時間に関しては、あなたがたは完全に自由だということを意味していると共に、とてつもない責任を指し示している。自分自身で「わたしのカイロス」を決めなければならない。

最新の画像もっと見る