ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 11/03

2014-11-06 06:16:15 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『ユダの弁護人』を続読。ユダを福者にする請願書と添付資料とはローマの礼部聖省の報告官枢機卿に送付された。本書の「わたし」によるその後のローマにおける経過説明。練習1時間、外出なし。夜は「軍師官兵衛」を見て10時に就寝、5時起床。体調、快調。チュン、チュン。

Satoshi Mizotaさん、濱 和弘さん、松井 信一さん、他17人が「いいね!」と言っています。
posted at 05:32:33

文屋 善明
今日の名言:RT @wisesaw:
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい (フリードリヒ・フォン・シラー、ドイツの詩人、思想家、というよりも、ベートベンの第9(合唱)の原詩を書いた詩人)
<一言>誠におこがましいことですが、幸福を繋いでおこうと思うことが間違い。幸福の翼の上に乗ってしまえ。

竹本 耕造さん、Yutaka Tanabeさん、東山 富昭さん、他25人が「いいね!」と言っています。

播 稔 文屋先生のおっしゃるとおりです。どうやったらのれるのかな、難しく考えないで、ともかく乗ってしまえばいいのでしょう。
11月3日 18:36 · いいね!

文屋 善明 ヒョイッと乗ってしまえば、大丈夫。
posted at 06:45:29


文屋 善明
NHKこころ旅。今週は福岡県、櫛田神社、畑の中の冷泉、神社と大楠、熊ケ畑小学校、志賀島、天神・博多座、鷹取山から見た筑後平野、 川端通り、庭から出ないから鶏、名島の海岸から見る風景、生姜焼き。

濱 和弘さん、Luke Etsuzou Nomahさん、藤岡 秀興さん、他13人が「いいね!」と言っています。
posted at 07:59:37

「昨日のツイート 11/01 陶友祭に出かけました」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/f39aa5f91e10534f13eb8e201848d8d…
posted at 08:41:34


文屋 善明
お目覚めの花。「信仰の神秘」「ミサの中でこの言葉を聞くと、身が震えます。あなたを見ていて、それを思い起こしました」。

竹本 耕造さん、岡 輝美さん、Yutaka Tanabeさん、他48人が「いいね!」と言っています。

若月 新一
おはようございます。晴れました。


文屋 善明
2014日々の聖句 11月03日(月)
大いなる集会で神をほめよ。(詩68:27、口語訳)
彼らは毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた。(使徒2:45~47)
私の黙想:
さぁ、困った。今日の聖句は何故口語訳なのか。その答えは冒頭の「大いなる集会で」にあることははっきりしている。新共同訳では「聖歌隊によって」とあり、新改訳、フランシスコ会訳では「相つどうて」、文語訳では「すべての會(つどい)にて」である。さて困った。原語の直訳では「合唱隊によって祝福せよ(ベマクヘロット バレフー)」らしい。マクへロス(集会)という単語はここでしか用いられていない。岩波訳では「諸々の集会場で」とあり、次の「イスラエルの源」の「源」を70人訳では「諸々の集会」に置き換えているらしい。つまり、この句だけを切り離して読むのではなく、次の句と組み合わせねばならない、ということか。まぁ、今朝はつまらないことにひっかかってしまったようだ。とにかく人が集まったら神を、ヤハウエを賛美せよ、それがイスラエル人の集まり方だということであろう。神を賛美するために集まり、集まればヤハウエを賛美する。それが神の民(=イスラエル)である。キリスト教会もそれを受け継いでいる。仏教の特徴が黙想(禅)であるとするならば、キリスト教の特徴は賛美である。今でこそ日本人はよく歌うようになったが、昔の日本人は、特に大人の男は歌など歌わなかったものであるが、その時代に日本に入ってきたキリスト教は大人の男に歌うことを教えた。琴と三味線の文化の中にオルガンを持ち込んだ。

竹本 耕造さん、Yutaka Tanabeさん、東山 富昭さん、他26人が「いいね!」と言っています。

望月 克仁 琴と三味線の文化の中にオルガンを持ち込んだ。お供にルターの歌詞やJSバッハを先頭に、大きな隊列を引き連れて。その隊列の後方は霞んで見えないほど・・・・・いつも豊かな黙想への導きを有難うございます。

門叶 国泰 「集会」とは? という観点から考えてみました。

文屋 善明 私は「集会」の方はややこしすぎるので投げ出し、「歌う」の方に焦点を置きました。

播 稔 確かに「集会」のほうが難しい、ややこしい。私は単純に、集会の大小は問わずみなでパンを裂き、神を賛美することではないかと・・・。

播 稔 ああ、その先がややこしいのか。もうしわけない。


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