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ぶんやさんの記録

断想:聖霊降臨後第21主日(T23)の福音書

2016-10-08 09:01:49 | 説教
断想:聖霊降臨後第21主日(T23)の福音書
新しい人生への決断  ルカ17:11-19

1. ルカ福音書におけるサマリア人
ルカ福音書において「サマリヤ」という言葉が出てくるのは次の4個所(9:52、10:33、17:11、17:16)のみである。因みにマタイでは10:5のみでイエスの言葉として「サマリア人の町に入るな」と語られている。マルコにはない。ヨハネではサマリアの婦人の出来事で出てくる(4:4,5,7,9,39,40)。それ以外では8:48のみである。ここでは、イエスが差別的に「サマリア人」と呼ばれている。
つまり、マタイとヨハネは何らかの意味で差別的、あるいはユダヤ人と敵対的に描かれている。ルカ9:52ではイエスがサマリア人の村で歓迎されなかったという記事である。10:33では、「善いサマリア人」の譬えであり、17:11、16は本日のテキストである。このように見てくるとルカ福音書ではユダヤ人とサマリア人との敵対的な関係は暗示的である。ただ、本日のテキストではその点で微妙な描かれ方をしている。この記事はルカ独自のものであるが、ルカに伝承される以前に差別的な影響を受けたのかも知れない。基本的には、ルカは非ユダヤ人であり、サマリア人との敵対関係や差別から一応自由な立場に立っている。

2. 「重い皮膚病」
聖書から「らい病」という言葉を無くそうという要望が1996年4月に日本カトリック司教協議会から日本聖書協会に寄せられ、続いて同年5月に日本聖公会総会の決議により、同じく7月には日本基督教団宣教委員会等からも訳語の変更要望が提出された。それらの要望に応えるという形で、1997年4月以後日本聖書協会から発行される聖書について、「らい病」という言葉は「重い皮膚病」に改められた。
「らい病」という表現が暗い歴史を背負っているということは事実である。その場合に、「らい病」という病気に対する間違った認識が、多くの人々に不条理な人生を強制してし、そのことによって「らい病」と呼ばれた人々も、あるいはその家族や、さらには全ての人々にも不快な思い出になっていることも事実である。その意味では「らい病」という言葉は不快語であり、その病気を正しい認識に基づいて新しい表現が要求された。「ハンセン病」というのが、その新しい表現である。
聖書で使われているハンセン病を示す言葉は、旧約聖書では「ツァーラト」というヘブル語で、新約聖書では「レプラ」というギリシャ語である。これらの言葉が指し示している事柄は今日でいうハンセン病とは重なる部分もあるが、異なる要因も含んでいる。その意味ではこれらの言葉を単純に「ハンセン病」と翻訳するわけにも行かない。同時に、これらの言葉を「重い皮膚病」と翻訳してしまうことにも問題が残る。そもそも旧約聖書においても、新約聖書においてもこれらの言葉には差別的な意味合いが強い。それを「重い皮膚病」と翻訳してしまったら、人間が根源的にもっている差別構造が見えなくなってしまう。イエスに対して「あいつはサマリア人である」と批判した連中に対して、「イエスはサマリア人ではない」と反論したとしても、差別する人間の本質は告発したことにはならない。また、サマリア人という言葉を別の言葉に言い換えても同様である。結論として、現在のところ「重い皮膚病」という翻訳でよしとしておき、解釈によってその不備を補うしかしょうがないであろう。

3. 「ガリラヤとサマリアの間」
10人の「重い皮膚病」を患う人々が「ガリラヤとサマリアの間」で共同生活をしていた。「ガリラヤとサマリアの間」とはガリラヤでもなく、サマリアでもない区域を意味する。このことは重い皮膚病を患っている人々は、ガリラヤ地区にもサマリア地区にも住むべき場所がないことを意味している。彼らは人間の住む区域から外れた場所にしか居場所がなかった。彼らの生活の実態がどのようなものであったのか、語り手は何も語ろうとしない。ただ一点、この集団はユダヤ人とサマリア人とが共存していることを示している。そのこと自体は非常に珍しいことであり、普通ではあり得ないことである。彼らはガリラヤにもサマリアにも住めないということで、境界線上で共存するしか生きることができなかった。ともかく、彼らは自分たちの社会的立場をよく理解していた。健常者に近づいてはならないのである。それでイエスに対しても遠く方に立ち止まって、「声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言う」(17:13)。声を張り上げなければならないほど遠くからイエスに頼んでいる。

4. 出会いと癒し
イエスは彼らを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」という。ここでのイエスの行動についてルカはこれ以上のことを語ろうとしていない。ただ「見て」「言う」だけである。それも遠くから言ったのか、彼らの身体に触れるほど近づいて言ったのかどうかも語ろうとしない。ルカはそのことには全く関心がない。祭司の元へ行って身体を見せるということは重い皮膚病が癒されたという証明書を貰うことを意味している。イエスがその言葉を口から発したときには、彼らの病はまだ癒されていない。イエスは何もせず、ただ「見た」だけで、重い皮膚病が癒されたという手続きを取れと語る。語られた方はどんな気持ちだろうか。ルカはそのことについても何も述べない。ルカは注意深く、彼らはイエスの言葉に従って祭司の方に向かって歩き始めたという。その途中で彼らは病気が癒されたことを経験する。10人は喜び勇んで祭司の方に向かって歩く。
ところが、ここでその内の一人だけが立ち止まり、方向転換し、イエスの方に向かって歩き始める。何故だろう。ルカは彼が「大声で神を賛美しながら戻って来た」と語る。大声で神を賛美したのは10人とも同じことであったと思う。彼らはすべて「大声で神を賛美しながら」歩き、9人は祭司の元に、その内の1人だけがイエスの元に戻ってきた。何故だろう。イエスの元に帰ってきた人は「外国人」であったとルカは言う。おそらくサマリア人であろう。彼は他の9人と共に祭司の元に歩きながら、「ハッ」と気づく。サマリア人がユダヤ人の祭司の元に行って何になる。無意味なだけではなく、「汚れた者」として追い払われるだけであろう。今度は重い皮膚病だからではなくサマリア人だからという理由によって。その時、彼は自分が帰るべきところはどこか気づく。それがイエスの元であった。

5. 帰るべきところ
イエスは帰ってきたサマリア人を見て言う。「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。この言葉を非ユダヤ人だけがイエスに感謝するために戻ってきたと解釈し、感謝の心を大切にする教訓物語にしてしまってはならない。ここでは触れられていないが、他の9人だって神に感謝することには変わりはない。
ルカが語ろうとする重要な点は、感謝の心があったかどうかということではなく、サマリア人だけがイエスの元に戻ってきたがほかの9人は戻ってこなかったという点である。イエスは問う。「ほかの9人はどこにいるのか」。他の9人は重い皮膚病が癒されれば、元のユダヤ人社会に戻ってしまった。彼らには戻る場所があった。元の場所が自分たちの居場所だと考えた。そこは重い皮膚病の者を差別し、サマリア人を排除する社会である。今まで自分自身が差別されていた社会である。彼らはそこに戻ってどういう生活をするというのだろうか。他の人々共に差別する側の人間に戻るというのだろうか。しかしサマリア人はそこには戻らなかった。正確には戻れなかった。そこには自分の居場所はなかった。彼は新しい生き方を求めた。そこがイエスと共にいる場所であった。イエスと共にいる場所が自分の本来いるべき場所だと決断した。

6. イエスとの出会い
イエスとの出会い方はいろいろある。こうでなければならないとか、こうであると断定できないのがイエスとの出会いである。生まれたときからという出会い方もあれば、死に間際での出会いもある。哲学的な問題意識を通して出会うこともあれば、病気を通して出会うこともある。学校の教師を通してとか、友人に誘われてということもある。非常に打算的な切っ掛けもあれば、偶然とか何かの間違いを通して出会うこともある。問題は出会い方ではなく、その出会いを通して起こった何かに対する私の決断である。私の決断がなければ、その出会いはそのまま消えてしまい、私の人生には何も残らない。今日の物語の9人はそのような人たちであった。しかし一人だけは違った。その出来事が単に皮膚病が治るというだけのことに留まらず、人生そのもの、生き方そのものを変えてしまった。そこから新しい人生が始まった。これがキリスト教でいう新生、生まれ変わりの経験である。

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