ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 10/04

2016-10-06 08:38:54 | ツイッター
お早うございます。主の平和。二人で整骨院へ、つづいて私だけ整形外科へ。昼食後、1時間昼寝。佐高信『黄沙の楽土』を読む。私の石原完爾像をズタズタに引き裂く作品。彼が掲げた理想は限りなく美しいが、それを実現するために彼が行った戦力は徹底的に汚い。多くの人は彼の理想に騙された。夕食後、「ぶっちゃげ寺」(3時間SP)を途中まで見て10時に就寝、5時半起床。体温:36.5、血圧(135,72:77)・体調・快調、チュンチュン。

35 小柳定治郎さん、藤木 冨士子さん、他33人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。午前中から、自宅の整理をしに行きます。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りです。台風接近していますが守られますようにお祈りします。

辻本 昌弘 おはようございます。今日は。先生の血圧が少し高いような気がします。私も、これ以上、血圧が高くなると薬を飲まなければなりません。

藤木 冨士子 おはようございます。


文屋 善明
10月4日 6:01 ·

お目覚めの花。「免許証を返納してから、花を見に行く機会がないのが残念だ」「電車やバスで行けばいいのだが、それが億劫です」。(これは京都の街角にて)
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、屋外、自然

32 辻本 昌弘さん、竹本 耕造さん、他30人


文屋 善明
10月4日 6:35 ·

016 日々の聖句 10月04日(火)
深い地の底も御手の内にあり、山々の頂も主のもの。(詩95:4)
世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。(使徒17:24)
私の黙想:
この詩は聖公会の祈祷書で毎朝の祈りの時に唱えられる。毎朝唱えるために、かえって一句一句を味わって読むということが為されない。ほとんど無意識のうちに唱えている。「地の深みは主の御手に、山の頂もまた主のもの」。ここでいう「深い地の底」は決して、地獄とか「陰府」ではない。崖っぷちから見た「谷底」であろう。同じく「山の頂」もそこから見た高い山の頂上であろう。あそこにも神が居られるのだ、という実感がこもっている。毎朝の祈りにおいては、この「実感」が大切である。
ところで、詩人はこの詩を何処で詠んでいるのだろうか。山中とも考えられるし、海辺かも知れない。いや、恐らく豪壮な神殿の中で唱えているのであろう。その意味では、深い谷底も、高い山の頂も、広大な海も、すべて実感から遠い。むしろ、8節以下の部分を読むと、ここで詩人は遠い先祖のことを思い起こしている。とくに「先祖の罪」を思い返し、私たちはそうなっていないかどうか、反省し、「今日こそ」という。

34 辻本 昌弘さん、竹本 耕造さん、他32人


文屋 善明
10月4日 6:46 ·

今日の名言:@KatsuKaishuBot
人には余裕といふものが無くては、とても大事は出来ないヨ。昔からともかくも一方の大将とか、一番槍の功名者とかいふ者は、たとへどんな風に見えても、その裏の方から覗いて見ると、ちやんと分相応に余裕を備えてゐたものだヨ。(勝海舟)
<一言>西鄕を切ってしまった連中の余裕のなさを嗤った言葉であろう。大将には大将に相応しい器でないと勤まらない。

24 辻本 昌弘さん、小柳定治郎さん、他22人


文屋 善明
10月4日 6:48 ·

イミタチオ・クリスチ(265):
誰があなたに味方するか、あるいは反対するかを気にするな。ただあなたがすること全てに神が共におられるか、どうかだけを考えよ。2:2:1
註:ここから「第2章 謙遜な服従について」に入る。

20 辻本 昌弘さん、藤木 冨士子さん、他18人


文屋 善明
10月4日 8:12 ·

「昨日のFB 10/02」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

13 辻本 昌弘さん、文屋 知明さん、他11人

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