ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/02

2013-04-03 09:23:18 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。朝食後、八幡に向かい信徒たちと合流して赤村に向かう。「村の肉屋」に立ち寄って肉を買い、果樹園に行く。桃畑を見て「りんごカレー」を食べ、直方の多賀神社に行き、花桃を見て帰宅。復活日の説教を発送。10時半に就寝。5時半起床。体調快調、チュン、チュン。
posted at 05:35:01

今日の名言:RT @wisesaw:
質問は、質問する人を表現するんだ。 それに対する返答なんかとは無関係にね。(森博嗣『夏のレプリカ 』)
<一言>工学博士(名古屋大学工学部)という肩書きを持つ異色の小説家。だからこの言葉には重さがある。質問はその人の頭の程度を示している。
posted at 06:37:08

「2013年復活日説教 イースターの卵 ルカ24:1-3」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/7504e456a410ecb762dd9b281459456…
posted at 09:44:45

日々の聖句2013 04月02日(火)
主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。(エレ20:11)
わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリ4:13)
私の黙想:
最悪の国際関係。周辺諸国はすべて敵、八方塞がり。彼らの共通の言葉は「復讐」。バビロン捕囚という現実が目前に迫る。その中で、預言者は「しかし」と言う。この「しかし」は現実に逆う。神から見離されたという現実認識に対して「そうではない」という「しかし」である。と同時に、この「しかし」は、現実に逆らい、現実から逃避する「しかし」ではない。敗北という現実を受け入れてもなお、そこに「神が共にいる」という「しかし」である。たとえバビロンに敗北し、捕囚ということが現実化しても尚、失われないもう一つの現実、「神が共にいる」という現実は貫かれるという「しかし」である。

塩谷 常吉さん、Yasuo Hiroseさん、岸本 望さんが「いいね!」と言っています。

ここ数日(いつからか不明)、投稿の対象が限定されていたので(公開でなかった)、ご迷惑をおかけしたかも知れません。今、気付きましたので訂正しました。

野間 悦三さん、加藤 治さん、塩谷 常吉さん、他13人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 4月1日、2日のローズンゲン(のみ)が??(3月31日は読みましたが)

文屋 善明 ありがとうございます。やはりそうでしたか。それではローズンゲンだけでも「公開」でもう一度投稿します。

<再投稿>
日々の聖句2013 04月01日(月)
主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩37:4)
言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。(2コリ9:15)
私の黙想:
欲望と願望との区別がつけにくい。両者とも私の中から出てくる願いである。その願望が「善いこと」、信仰者の立場から考えて「御心に適っている」と思うことの場合、それを実現するために、相手を強制したり、自分を犠牲にしたりする。動機も良し、方法も悪くはない。その願望は欲望ではないと確信する。本当にそうか。本当にそれは良き願望であり、決して欲望ではないと言えるのだろうか。その方法は「私の謀」ではないだろうか。ここに決定的に欠けていることがある。「主に委ねる」ということ、「あなたの道を主にまかせる」ことである。そうでなければ、その願望が実現したとき「私の謀」が成功したと思うであろう。伝道とか奉仕などという「善き願い」も 「主に委ねる」ということが欠けると、「私の願い」の実現に変わってします。欲望と願望とを区別することは本当に難しい。

野間 悦三さん、葛井 康子さん、小杉 義信さん、他21人が「いいね!」と言っています。

Yasuo Hirose もう一度、いいね!

文屋 善明 前の時は「日本聖公会」限定でした。

文屋 知明 「委ねる・ゆだねる」・・いいね!比較にはならないが・・私のオルガン曲集の最終曲(25番)は「ゆだねて」です。

橘 智 ありがとうございます!シェア、させてください!!

<再投稿>
日々の聖句2013 04月02日(火)
主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。(エレ20:11)
わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリ4:13)
私の黙想:
最悪の国際関係。周辺諸国はすべて敵、八方塞がり。彼らの共通の言葉は「復讐」。バビロン捕囚という現実が目前に迫る。その中で、預言者は「しかし」と言う。この「しかし」は現実に逆う。神から見離されたという現実認識に対して「そうではない」という「しかし」である。と同時に、この「しかし」は、現実に逆らい、現実から逃避する「しかし」ではない。敗北という現実を受け入れてもなお、そこに「神が共にいる」という「しかし」である。たとえバビロンに敗北し、捕囚ということが現実化しても尚、失われないもう一つの現実、「神が共にいる」という現実は貫かれるという「しかし」である。

野間 悦三さん、安永 玲子さん、清水 晴好さん、他19人が「いいね!」と言っています。

門叶 国泰 早速に有難うございます。

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
「<講釈> ルカにおける復活物語 ルカ 24:13-35」
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/260d36f69c1b27a8300c6b8b2dd0c07e

<講釈> ルカにおける復活物語 ルカ 24:13-35 - 落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈>
blog.goo.ne.jp
S13R02(L) 2013年 復活節第2主日 2013.04.07 <講釈> ルカにおける復活物語 ルカ 24:13-35

小野 周一さん、野間 悦三さん、文屋 知明さん、他12人が「いいね!」と言っています。

豊田 滋に投稿しました文屋 善明

何時も、楽しいい内容を感謝します。先生にお尋ねしたいことがあります。菊池黎明教会におられた、秋山司祭について、ご存知でしたらお尋ねしたいと思いますがご存知ですか?古い方なので先生ならばと思っております。

文屋 善明 名前だけは伺ったことがありますが、・・・・

文屋 善明さんが小池 貴子さんのアルバムをシェアしました。
Deutschland, Salzburg & Helsinki (写真297枚)

文屋 知明さんと松井 貴志さんが「いいね!」と言っています。

文屋 善明
教皇のコンクラーベに先立ってなされたベルゴリオ枢機卿の演説の概要
カトリック教会の信徒である友人から貴重な資料が送られてきました。非常に重要な問題を提起していますので、私のFB友人たちにもシェアしたいと思います。
この演説が切っ掛けになって、ベルゴリオ枢機卿が教皇に選出されたと言われています。コンクラーベでは投票に先立って多くの枢機卿が5分間程度の演説をすることになっているとのことです。
それが回り回って日本語に翻訳されて私の手元に届けられたと言うわけです。
文責上、筆者がさらに短くまとめました。

「福音化とは使徒的熱意である」

1.福音化のためには、教会は自分自身から飛び出し、辺境に達しなければならない。この場合、辺境とは地理的な意味だけではなく、実存的な辺境でもある。それは罪、苦しみ、不正義、無知、宗教への無関心、知的潮流、そしてすべての悲惨の神秘である。
2.教会が自分自身から飛び出すことをためらう時、自己目的化し、病める存在となり、教会組織が時代のなかで変質する。教会の病の原因は、自己目的化と一種の神学的ナルシシズムである。
黙示録において、イエスは門の前に立って扉をたたくと書かれている。明らかに、このテキストはキリストが中に入るために外から叩くと述べているが、私は同時にイエスは中から扉をたたき、外に出ようとしているように思う。自己中心的な教会はイエスを独占し、イエスを外に出さない。
3.教会が自己中心的になる時、教会は自分自身が「光の神秘」であることをやめ、精神的世俗性という非常に重大な悪に屈することになる。これこそ教会が陥る最大の悪である。それは中で互いに栄光を与え合うだけになってしまう。
4.要するに、二つの教会像がある。
一つは福音化のために自分から飛び出す教会。つまり、神の言葉を信仰的に聞き、それを外に向かって語る教会である。
もう一つは世俗的な教会であり、教会の中に閉じこもり、教会が教会自身のために活動する教会である。
この二つの教会像は、魂の救いのためになすべき変革と改革を明らかに示している。
5.次の教皇はイエス・キリストを観想し崇敬し、教会を実存的な辺境へと飛び出させる人でなければならない。これにより教会は実り豊かな母となり、「福音化の甘い心地よい喜び」から生命を得るのである。

多少分かり難い点もありますが、ベルゴリオ枢機卿は教会の現状を病気だと診断し、教会は教会という殻から飛び出さねばならないと語ったのである。この演説の故に、彼は自らこの厳しい現状を打破しなければならない責任を負ってしまったのです。

多少分かり難い点もありますが、ベルゴリオ枢機卿は教会の現状を病気だと診断し、教会は教会という殻から飛び出さねばならないと語ったのです。この演説の故に、彼は自らこの厳しい現状を打破しなければならない責任を負ってしまったのです。

小野 周一さん、澤木 俊和さん、真鍋 祐子さん、他34人が「いいね!」と言っています。

有澤 慎一 なかなか鋭い指摘だと思います。深く考えさせられます!自分の教会はどうかと。

朴 栄子 ですね。ドキッとします。

北村 良輔 シェアさせてください。

森田 美芽に投稿しました文屋 善明

文屋善明先生
 はじめまして、大阪キリスト教短期大学学長の池田美芽と申します。文屋知明元学長先生には大変お世話になりました。
 いつも深い御言葉の黙想に感謝します。私もローズンゲンを用いていますが、こんなふうな意味が示されるのかと感謝です。ご健康とお働きの上に、神さまのますますの祝福がありますように。
 どうぞよろしくお願い致します。

あなたと大野 泰男さんが「いいね!」と言っています。

文屋 善明 よろしく。

<補遺>
投稿のミスは4月1日分と2日の朝の分だけのようです。

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