ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

クリスチャンジャーナリズムの提案

1995-06-28 17:29:24 | 講演
京都教区教役者修養会発題(1995.6.28)
クリスチャンジャーナリズムの提案
「21世紀に向けて、新しい教区のヴィジョンを」という主題の中で、文屋の提案を出せという、主催者の要請について、いろいろと考えてみました。先ず、私自身の年齢についてです。21世紀を迎える2000年に私自身は64才を迎えることになると思います。「思います」というのは、生きていればという予想に立っているからです。そうすると、それから定年まで約5、6年ということになります。21世紀がどういう世紀になるのかということについては、いろいろ予想することは出来ますが、結局私自身は、その初めの部分をかすめるというだけのことになるだろう、と思います。
主題は、むしろ21世紀がどういう世紀になるのかという点にあるのではなく、21世紀に向けて、残りの4、5年をどうするのか、また21世紀をどういう世紀にするために、わたしたちはこの4、5年という非常に短い期間に何が出来るのか、ということにあるだろうと思います。
ただ、私自身は京都教区に限らず、日本聖公会全体についてかなり絶望的な感じを抱いておりますので、率直に言って「何も出来ないだろう」、「何をしてもたいしたことにはならない」という諦めのような心境にあります。従って、私自身としては何も期待せず、私自身に与えられているパリッシュでの働きを怠りなく、しようと思っています。
しかし、折角この様なチャンスを与えられたので、1995年の教役者修養会で文屋はこんなことを話していたなぁ、という記憶に留めておいていただきたいことを話しておきます。そのことが皆さんの記憶に留まり、その中から何か出てくれば幸いだという気楽な気持ちで一つの提案をいたします。もう一度、断っておきますが、私自身はこの事のために今更何も苦労する気持ちはありません。
現在の日本聖公会の状況を見ていて、決定的に問題なのは、あるいは欠けているものは、「世論の形成作用」ということであると思います。これは日本聖公会だけではなく、日本のキリスト教界全体にも言えることですが、キリスト者の世論が形成されない。いろいろな意見は出されるが、それが「世論」という形でエネルギーにならない。
聖公会の場合は、聖公会全体の意志決定の機関は総会であり、総会において主教会というか、主教たちと代議員の協議によって、重要な案件が決定されます。そのことについては主教制度と民主制度の「両輪」というようなことがよく話題にされます。機構的にはその通りでありますが、実は主教制度と民主制度とをつなぐ非常に重要な働きが「世論」であります。どんなに絶対的といわれる「王権」も世論の前には歯が立たないのであり、代議員たちを選出する力は世論です。
ところがこの世論が形成されないとき、代議員は「利益集団」のぶつかりあいということになり、意見は限りなく細分化いたします。主教さえもそのような利益集団の妥協により選出されるというような事態が生まれることになります。
さて、世論の形成作用ということのためになければならないものがジャーナリズムです。ジャーナリズムの存在しないところでは、個々の意見は個々のままであり、その集団を形成する全ての構成員の意見はばらばらであり、一つの「意思」になりません。そこでは馬鹿な意見も、賢い意見も全く同等です。つまり、普遍的な正義とか、愛とか、公正というものが作用いたしません。むしろ、感情的な噂とか、個々の利害の対立による相手の非難誹謗が競い合い、金のあるもの、権力のあるものの意見が支配する。つまり、衆愚政治の典型です。(これは一般論であり、日本聖公会のことを言っているのではありません。)
日本聖公会の場合には、利害の対立とか、意見の相違というものがそれほど深刻ではないので、問題は深刻化いたしませんが、現状を見ているとそういう事態は明白です。
ジャーナリズムというものは、「報道」と「論説」という2つの働きを持っています。日本聖公会の場合、この2つとも決定的に欠けています。流されてくるものは、管区や教区からの伝達と、聖公会新聞の「間の抜けた情報」(月刊では仕方がない)だけです。わたしたちが得られるほとんどの情報は「噂」です。つまり、「ロから口への伝達」です。当然「早耳」や私設「報道部」というものが発生いたします。それらの情報の危険性は「偏っていること」「伝達されないこともあること」、最も恐ろしいことは「知る権利」が奪われていることです。知らなければならないことと知らなくてもいいこととが、非常に無責任な形で一方的に決定されていることです。例えば、聖職のスキャンダルなど、わたしたちは知らなくてもいいのだろうか。それを知らなければ、正しい判断や、意見が形成されるはずがありません。
日本聖公会においては、ジャーナリズムにおけるもう一つの重要な「論説」という働きはほとんど皆無です。(わたしの知る限り、中部教区の主教選挙のとき、名古屋学生センターが出版している「ときのこえ」が唯一の面白い読みものであった。しかし、これに対する「風当たり」はかなり強かったらしいが、わたしには非常に面白かった。)
例えば、教区の人事という重要な事件にしても、そのこと自体の通達は来る。しかし、それについての説明がない。確かに、人事に関して主教や常置委員会の「解説」は不用であるし、必要ないであろう。しかし、ジャーナリストの「分析」や「批判」があってもいい、と思う。そのような論説を通して、論争が始まり、一人一人の意見が世論へと収赦される。その様な世論は理性に裏打ちされ、民主的な社会を形成する力となる。当然のことながら、ジャーナリズムというものは権力者にとってはいやなものである。無い方がいいと思っているに違いない。権力者が必要とするものは「御用新聞」です。全てのジャーナリズムは「御用新聞」に堕落する危険性を持っています。従って、本当のジャーナリズムを育て、守るものは権力の側にはありません。
現在のところ、日本において真のクリスチャンジャーナリズムが生まれる地盤はないと思います。しかし、日本におけるキリスト教の歴史を見るとき、それは皆無であったとは思われません。参考までに、いくつかの資料を提供しておきます。

日本のクリスチャンジャーナリズム
●「七一雑報」(しちいちざっぼう)1875年(明治8年)12月27日創刊
組合教会のスポンサー 編集長 村上俊吉
これが1886年(明治16年)「福音新報」と改題、さらに3年後、日刊新聞となり「太平新聞」と改題されたが、1カ月で廃刊となる。
●「六合雑誌」(りくごうざっし)1880年(明治13年)創刊
小崎弘道等により警醒社から発行。1899年安部磯雄が主筆となる。
●「束京毎週新報」1986年(明治16年)小崎弘道、植村正久等により創刊
1987年「基督教新聞」と改題
1900年(明治33年)「東京毎週新誌」と改題
1903年(明治36年)「基督教世界」と改題され、組合教会の機関誌となる。
日本基督教団の成立により、他派の機関誌を総合して「日本基督新報」となる。
しかし、「基督教世界」は旧組合教会系(同志社)の非公認新聞として現在も続いている。
●内村鑑三の文筆活動
彼は1887年(明治30年)まず一般紙「萬朝報」の英文覧の主筆に選ばれ、翌1988年(明治31年)「東京独立雑誌」を創刊、1890年(明治33年)「聖書之研究」と改題、盛んに社会批判を展開する。
1926年(大正15年)The Japan Intelligenncerを創刊する。
●日本聖公会では
「基督敦週報」を1900年(明治33年)に機関誌として発行、それまでの「愛の泉」「公会月報」「信仰の友」「教会評論」「道(ことば)」を統合する。
1943年(昭和18年)「基督公報」と改題。1944年(昭和19年9廃刊

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