ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 11/28

2016-11-30 06:27:31 | ツイッター
お早うございます。主の平和。八幡聖オーガスチン教会の聖餐式にさんか。昼食後、教会四方山話。K夫妻が自宅まで送ってくれた。感謝。相撲をみて、夕食。「教会用語豆事典」を読み直し、字句訂正。自分で書いたものであるが、なかなか面白い。ブログに挙げようと思う。風呂に入ってテレビを見始めたが鼻水が出はじめたので9時半に就寝。5時半起床。熟睡。体温:36.5、血圧(147:73、75)・体調・快調、チュン、チュン。

39 鈴木 ゴリ 宣仁さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他37人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪鼻水は治まりましたか? どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻がお守りの内によい一日をお過ごしになられますようにm(__)m

文屋 善明 どうやら、わたしの「鼻水」は、もう寝なさいという身体からの信号(命令)のようです。

村田 多鶴子 それを聞いてひと安心いたしました~♪(^^♪

萩野 秀子 おはようございます。癒されますようにお祈りします。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。

東山 富昭 おはよう😃ございます。一昨日の家の物を、業者が処分しましたが、母の後見人と私が立ち会いました。まだ、私は、そのときの、疲れが取れていません。今週も、よろしく、お願いします。


文屋 善明
11月28日 6:00 ·

お目覚めの花。「さぁ、新しい年の新しい週の始まり」「今週はどんなことがあるのかな」「11月も後3日。12月から新しいことが始まりそうな予感。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、自然、屋外

31 小貫 ツマさん、藤木 冨士子さん、他29人


文屋 善明
11月28日 6:36 ·

2016 日々の聖句 11月28日(月)
いかに幸いなことか、主を畏れる人、主の戒めを深く愛する人は。(詩112:1)
(だが)あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。(この)書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。(2テモテ3:14~15)
私の黙想:
この聖句、ツッコミどころが幾つもある。「幸い」(アシュレー)、「懼れる」(ヤレー)、「戒め」(ミツバー)、「愛する」(チャフェッツ)。さて、何処を突っ込むか。
やはり「深く愛する人は」という言葉であろう。そもそも「戒め」を愛するということは、いったいどういうことなんだろう。面白いことに、この言葉、口語訳では「大いに喜ぶ人」と訳している。「愛する」と「喜ぶ」共通する点は沢山あるが、やはり違う。特に愛する対象が「戒め」となると、「愛する」のか「喜ぶのか」。フランシスコ会訳、新改訳では「大いに喜ぶ」、文語訳は「いたく喜ぶ」、岩波訳は「(命令を)大いに喜ぶ」。こう並べて見ると、新共同訳の「深く愛する」には何か翻訳者の「深い意図」が感じられる。やはり、ここは「大いに喜ぶ」であろう。「戒め」ようするに「法」である。私も一寸だけ意図的に解釈すると「新しい憲法が与えられて、大いに喜ぶ」という情景を想像する。「法」とは社会の秩序である。法のない社会は「アノミー」、無秩序と混乱である。自分のことは自分自身で守らなければ、たちまち「力ある者」によって餌食にされてしまう社会である。要するに、「自己責任論」の徹底と言うことになるのだろうか。その意味では「法」が制定されることは大いなる喜びである。
その視点に立って、今日の聖句を見直すと「主を畏れる」ということも「いかに幸いなことか」ということも、明白な形をもって読者の前に開かれる。

23 藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他21人
コメント

門叶 国泰 愛する? 同意! だからどうした、どうする、と言われても困りますが。


文屋 善明
11月28日 6:46 ·

今日の名言:@wisesaw
幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、 不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。(萩原朔太郎)
<一言>幸福とは過去のことか?それは違うだろう。今、まさに今が幸福であるか、どうか。過去がいくら幸福で、その過去の幸福を思い起こしても決して幸福にはならない。むしろ、惨めになるであろう。むしろ、過去の不幸を思い起こして、現状を思えば、現在の幸福が実感されるのではないだろうか。もちろん、詩人・萩原朔太郎のこと、そんなことを全部承知の上でこの言葉を書いているのであろう。

25 藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他23人


文屋 善明
11月28日 6:53 ·

イミタチオ・クリスチ(320):
良心に従っていないとき、常に恐れ、不安をいだく。良心に恥じるところがなければ、いつでも安心しておられる。もちろん、正しいことをするときには、それを喜ぶことが出来る。2:6:4~6

18 小貫 ツマさん、藤木 冨士子さん、他16人


文屋 善明
11月28日 8:19 ·

「昨日のFB 11/26」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

9 藤木 冨士子さん、久保和男さん、他7人

文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
11月28日 15:24 ·

「寒いですね。こんなに寒くても、まだ収穫はありますか。風邪を引かないように」。
文屋 善明さんの写真

43 小貫 ツマさん、藤井 衞さん、他41人
コメント

植村 光郎 宗像のファーブル!いいです。

文屋 善明
11月28日 15:08 ·

「教会用語豆辞典」をブログにアップしました。

西大和聖ペテロ教会の週報の空欄(2000.5.14~2002.3.24)を利用して教会特有の用語についてできるだけ簡単に解説したものです。【ぶんやさんち】
BLOG.GOO.NE.JP

30 藤井 衞さん、櫻井啓子さん、他28人
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コメント

村田 多鶴子 事後報告で済みませんm(__)mプリントアウトさせて頂きました。

文屋 善明 どうぞ。便利でしょう。

村田 多鶴子 はい、重宝しそうです~♪(^^♪

門叶 国泰 プリントアウトしました。45・46、真綿の中に鋭い穂先が見えました。

文屋 善明 これは10年以上も前の文章ですから、ご勘弁を。

植村 光郎 大変勉強になります.解っているようで解っていない「言葉」保存しました。

Mizota Michael Satoshi 紙の出版をオススメします。というか是非ともやってください。

文屋 善明 そのつもりは全くありません。

Mizota Michael Satoshi 潔ぎ良すぎてもったいない。手製の簡易出版が良いです。ネットにつながない方々には紙が良いでしょう。

Mizota Michael Satoshi >>しかし、いずれの時代でも組織をはみ出す人々は存在するもので、そのような人々とどのように関わるのかということが問題である。まさに私w

文屋 善明 出会いは偶然、それ以上でもそれ以下でもない。出版物も同じ。

Mizota Michael Satoshi え、企画練りたいなあ。白石庵敬神会という団体があって、聖公会関連の携帯できる小冊子を結構出していましたが、今でも出してるのかな、そういう小冊子にピッタリですね。これは持ち歩くにはいい分量ですよ。

文屋 善明 あのね、私は今でも日本聖公会では余所者なのですよ。危なくって危なくって、近寄れない存在です。しかし、それは確かに当たっていますが。だから自由であれるんです。見てご覧なさい。私のFBでもブログでも、聖公会にしがみついている連中はレスポンスしないでしょう。

Mizota Michael Satoshi 似たもん同士ですねえwwww

門叶 国泰 痛えー!

文屋 善明 門叶 国泰 あれー! 投げ返した石が当たりましたか。申し訳ない。


文屋 善明
11月28日 15:26 ·

我が家の「万年用アドベントカレンダー」、未だ始まっていません。
自動代替テキストはありません。

54 小杉 義信さん、藤井 衞さん、他52人
コメント

藤木 冨士子 素敵ですね。手作りですか?

文屋 善明 ハイ。

峯田 敏幸 これは素晴らしい! 心が温かくなるカレンダーですね


文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
11月28日 19:02 ·

今日の釣川の鴨たち。彼女たちにとっては、温泉気分のよう。
文屋 善明さんの写真

42 藤井 衞さん、佐藤 静代さん、他40人
コメント

水草 修治 あったかいんですね。

文屋 善明 つめいたいですよ。彼女たちも防衛のためまるまるに肥っていますでしょう。

水草 修治 はあ、温泉気分、とあったので。

文屋 善明 「彼女たちにとっては」という私のかなり憧憬にみちた主観的な判断です。そのように見えたということです。

水草 修治 なーーるほど。全面結氷した松原湖でも、ワカサギたちは温泉気分かもしれませんものねえ。寒かろうといって、天ぷらにしてしまうのは、まったく余計な御世話ですね。

文屋 善明 ワカサギの氷上天ぷら、たまらんねぇ。未だ経験したことないが。それこそ、ワカサギの昇天だ!


文屋 善明
11月28日 19:39 ·

ついでに、特攻隊を美化した人たちの責任も追及すべし。

『特攻は「犬死」だと素直に認め、その「犬死」を強要した責任を追及すべきだ。』
体当たり寸前、搭乗員は何を考えたのか、「天皇陛下万歳」なんて絶対に頭に浮かばなかったろう。 この程度の爆弾(250kg)では、敵艦への破壊力は知れていた。 …
AMEBLO.JP
http://ameblo.jp/hirai-h/entry-12220943711.html

68 森内 幸春さん、松下 光雄さん、他66人
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文屋 善明 実は、あの時代、ほとんどすべての日本人が特攻隊を美化したのです。特攻隊員も美化した一人であると同時に、その犠牲にされた若者たちでした。それは一言で言って「拒否できない」という空気が彼らを追い詰めたのでした。その意味では全ての日本人が責任を負うべきである。その責任の負い方は、「あれは間違いであった、もう二度と繰り返さない」という悔い改め以外の何ものでもない。

文屋 善明 今なお、美化し続けている人がおれば、それを徹底的に批判すべきである。それが悔い改めの実践ということである。

平野 宏 あのような情況に想像力を巡らすだに、「拒否できない」という思いは私自身理解できます。
私自身だったら、やはり恐らく彼らと同様に、拒否できなかったことでしょう。
出撃は無言の圧力によって行われました。...もっと見る

平野 宏 シェアさせていただきます。

徳善 義和 1941年は小学5年生、1945年までそういう教育の中にさらされていたわけですから

藤木 冨士子 戦争を知らない世代というのですか、私はベトナム戦争からしか知りません。美化しなければ生きていけない時代だったと思いますね。直視できないというか。

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