ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 01/30

2016-02-01 16:51:49 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を続読。「耳で見て目で聞き鼻でものくうて、口で嗅がねば神は判らず」(出口王仁三郎、大本教)。聖書における「栄光」とは。「敬う・敬われる」、「神に誓って」、「いと高きところに栄光、地には平和」は「天は輝き、地は穏やか」でいいのではないだろうか。夜、「こんな所に日本人が」、報ステを見て10時半就寝。6時起床。血圧(152:84,72)・体調・快調。チュン、チュン。

23藤木 冨士子さん、Yuichiro Nakanoさん、他21人
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村田 多鶴子 おはようございます~♪冷たい雨が降っています。今日は終日教会です。(結婚式があるのです。午前中は準備をしに、午後は具体的に担当の役割を果たしに…。)
先生ご夫妻がお守りの内に、穏やかなよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。

藤木 冨士子 今晩は~。日曜の晩です。


文屋 善明さんが写真2件を追加しました
1月30日 6:16 ·
お目覚めの花。「お早うございます。今朝、目覚めたとき今日は日曜日だと思い切っていました」「で、本当は土曜日だったというわけ」「そう、それで一日儲けたというわけです。ハハハ」。
文屋 善明さんの写真

24藤木 冨士子さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他22人
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文屋 善明 日曜日だと思っていたついでに、明日の福音書の断想をぶろぐにアップしました。


文屋 善明
1月30日 6:37 ·
2016 日々の聖句 01月30日(土)
あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。(Zec.8:23)
祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。(Jh.12:20~21)
私の黙想:
今日の聖句、ゼカリアの預言(8章)は面白い。捕囚後、エルサレムの神殿を再建したユダヤ人たちはこんなことを考えていたのだ。今朝はこの聖句を「私たちの信仰」に結び付けて考える。特に、教会の伝道問題である。伝道が成功するか、独りよがりで失敗するのかの分かれ道が、これだ。ということで、結論が出てしまった。論理正しい神学、深遠な教理、緻密な聖書研究、それが人々を教会に導くのではない。確かにこの人たちの中に「神が居られる」という驚きが人々を信仰へ招くのだ。この世のものとは思えない友情、思いやりに満ちた交わりが人々に「共に行かせて欲しい」という気持ちにするのだ。教会の交わりが、この世の人間関係と同じなら、人々はわざわざ教会に来ようとは思わない。ということで、私自身深くうなだれる。

25藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他23人
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久保和男 アーメン。おはようございます。主の平和。

Satoshi Mizota おはようございます。うなだれてるくらいがちょうどいいんです。人間より神の意志を、も行き過ぎると、神ということばに人間がまざりますから。

藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
1月30日 6:49 ·
今日の名言:@dannshi_bot
快適さを精神において追求するのが文化で、物質に頼って求めるのが文明である。(立川談志)
<一言>この人、ときどき、哲学者みたいに、難しいことを言う。それがまた、魅力なんですね。

20藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他18人
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久保和男 難しいことも考えてみます。物質も精神も信仰によってただされ成り立つ。


文屋 善明
1月30日 8:19 ·
今日の「折々のことば」。「六根清浄」、私の好きな言葉です。いま、伊藤亞砂氏の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読んでいる。人間の身体の不思議さに触れ驚いている。目の見えない人は「耳で見る」「足で見る」等々。人間の五感は相互に親密に補完し合って私たちの意識を形成しているらしい。誤解を恐れずに言うと、一つぐらい器官が欠けても他の四つが見事にそれを補う。4脚の椅子の1脚が折れても、他の3脚で見事に安定を保つ。ここで言う六根とは五感プラス一感が人間を健康に保つ6つの「根」だという。ところでその最後のプラス一感とは何か。それが問題だ。それを「意識」だというのがこの言葉の奥義であるらしい。六根を清め給え。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=959098090834319&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

28藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他26人
コメント

加藤 佑三 五感とは、「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」「触覚」でしたっけ?それに「意識」ですか。歳を取ると全てが衰えて来ます。

加藤 佑三 見てみない振りをしたり(家内のミスを指摘すると怒るので)、私に都合の悪い事は聞こえなかったり、上手くも無い料理を上手そうに食べたり(文句を言うとお返しがきつい)、オナラの臭いがしても黙って居る(してないとむくれる)、熱い温いが鈍感になったり(お茶やお風呂の温度にも文句を言わない)・・・最後の意識は???。

文屋 善明 それで最後の意識は、「まぁ、いいか」オア「あっちも同じこと思っているだろうな」で、ニコニコかニヤニヤ。

文屋 善明 そうそう、そういうときにこそ、このおまじない「六根清浄」を3回ほど唱える。


文屋 善明
1月30日 9:16 ·
「昨日のツイート 01/28 甘利大臣辞任、石原大臣就任」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP


文屋 善明
1月30日 13:54 ·
イミタチオ・クリスチ(20):
自分に打ち克とうと努める者は、世の常の戦いよりも激しい戦いをしているのである。
そして、われわれの主要な研究と努力とは、このこと、すなわち自分を克服し、過ぎた日の自分よりも日々に強くなり、徳に進歩することでなければならぬ。

14藤木 冨士子さん、小貫 ツマさん、他12人
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コメント

植村 光郎 大変な力と勇気が必要です。いい言葉です!。

藤木 冨士子 シェアします。


文屋 善明
1月30日 15:15 ·
伊藤亞砂『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読んでいて、こんな文章に出会いました。合気道のことも「気」のこともよく分かりませんので、そのまま、コピーして掲載します。
(見えない人の運動ということで、)スポーツとは違いますが、合気道は、見えない人のあいだでも人気のある武道です。広瀬浩二郎さん(1967年生まれ、13歳で失明し現在は全盲、国立民族学博物館准教授)は、京都大学の学生時代から居合道、太極拳、テコンドー、とさまざまな武道に挑戦されています。なんでも子どもの頃から大のちゃんばら好きで、日本史学科に進んだのもちゃんばらがきっかけだったそう。そんな広瀬さんが一番長く続けている武道が合気道です。 始めてもう20年近くになるそうです。
さまざまな武道にかかわるものとして「気」があります。あります、と偉そうに言いましたが、残念ながら私自身は実感できているわけではなくて、人にたずねてもさまざまな答えが返ってきます。実際に武道をやっている人でさえも、そう簡単につかめるものではないそうです。広瀬さんも、居合道、太極拳と幅を広げてきましたが、なかなか理解できなくて苦労していました。
ところが合気道を始めたとき、気とはなんぞやというのが少しつかめたらしいのです。それはなぜか。合気道と他の武道との違いは、相手がいて、基本的に二人で接した状態から動くことです。つまり触覚が関わっている。広瀬さんによれば、その接したところ、手なら手を通して、相手の動きたい方向を読む。 そして 「じゃあこっちに来てください」と、 相手が行こうとしている方向に導く。そして導いていた力をふっとはずすと、相手がガクッとくずれるんだそうです。
この触覚を通じて伝わる「どっちに行きたいかいという気持ち、意思が「気」に通じるのだそうです。
合気道の原型は宗教団体大本の活動のひとつとして、大正期に植芝盛平によって始められました。太平洋戦争中は兵隊の訓練に取り入れられ、戦後、文部省の認可を受けてから、「合気道」の名前が用いられるようになります。始祖の植芝盛平は、何も見えない漆黒の闇で弟子に真剣でかかってこさせ、それをよけるという稽古すらしていたそうですが、 そのレベルまで行かなくとも、接したところから相手の「気」を感じる、というのは経験的に納得できなくはないように思います。(伊藤亞砂『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書、139頁)


文屋 善明
1月30日 15:28 ·
「顕現後第4主日の福音書の断想」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP


文屋 善明さんが伊藤 利行さんの動画をシェアしました。
1月30日 15:53 ·
伊藤利行さんのコメント:「あさが来た」には、時々、現在の日本社会に警鐘を鳴らすような言葉が出てくることがあるように思える。今週のドラマの進展の中で心に響いたのは渋沢栄一があさ夫妻に銀行の極意を話す場面である。最も重要なのは「信用」と語り、最後に「金と教育」への展望を伝えるところにある。わずかな金銭で信用を失い失脚する政治家や経営者たち、金の有用な目的としての「人づくり」すなわち「教育」をないがしろにする現代日本社会における教育環境の崩壊。「亡者」という語があるが、正に金の亡者たちの狂える行為によって失われるものの射程はどこまで伸びてゆくことであろうか、極めて恐ろしい現状である。

https://www.facebook.com/yoshiaki.bunya

再生1167回
伊藤 利行さんは新しい動画を追加しました。
1月30日 13:20 ·
「あさが来た」には、時々、現在の日本社会に警鐘を鳴らすような言葉が出てくることがあるように思える。今週のドラマの進展の中で心に響いたのは渋沢栄一があさ夫妻に銀行の極意を話す場面である。最も重要なのは「信用」と語り、最後に「金と教育」への展望を伝えるところにある。わずかな金銭で信用を失い失脚する政治家や経営者たち、金の有用な目的としての「人づくり」すなわち「教育」をないがしろにする現代日本社会における教育環境の崩壊。「亡者」という語があるが、正に金の亡者たちの狂える行為によって失われるものの射程はどこまで伸びてゆくことであろうか、極めて恐ろしい現状である。

65増野 真美さん、木下 海龍さん、他63人
コメント

井澤常和 私は14年前まで銀行員でした。確かに「信用」「教育」はキーワードです。
失敗をしでかして顛末書を書いた時も、それは意識しましたね。

Shoji Uotani · 共通の友達: 中野 芳夫さん
今の日本では信用、信頼が壊れていますね。

服部 弘一郎 今の日本は信用をどぶに捨て、教育もないがしろにして、あらゆる事が金儲け優先になってます。これではいずれ潰れるでしょうね。

文屋 善明 自分たちの被害は何をしても避けなければならないでしょう。

Chieko Shinbuchi この動画によってNHKは信用を獲得し、人間を育てる仕事に少しでも関わることができる、それが長続きするよう祈ります。

Minoru Takahashi · 共通の友達: 齋藤篤さん、他5人
日本は政府自身が信用を捨て、間違った教育を押し付けていませんか?

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