ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 06/15

2016-06-17 06:38:51 | ツイッター
お早うございます。主の平和。整形外科で薬を貰い、リハビリ。昼食後、1時間昼寝。「原本ヨハネ福音書研究、付録を含めて全巻完成してブログにアップ」、「完成」とは言えない、まぁ「終了」か。釣川堤防散策。夜、「こんなところに日本人が」、報ステをちょっとだけ見て10時過ぎに就寝、起床5時。血圧(139,76:67)・体調・快調。チュン、チュン。

29播 稔さん、藤井 衞さん、他27人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
今日も、先生ご夫妻が、お守りの内に、穏やかなよい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。歯科クリニック、チラシ配りです。良き日となりますようにお祈りします。

藤木 冨士子 おはようございます。


文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
6月15日 5:33 ·
お目覚めの花。「手入れをする人がなくても、花は黙って咲く」「地震で崩れた家の庭に咲く花、何か寂しそう」。
文屋 善明さんの写真

32播 稔さん、加藤 治さん、他30人


文屋 善明
6月15日 6:13 ·
2016 日々の聖句 06月15日(水)
主がわたしの口に授けること、わたしはそれだけを忠実に告げるのです。(num.23:12)
わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。(act.4:20)
私の黙想:
バラムとバラクとの会話。どっちがどっちか、わからなくなる有名な聖書の個所。バラクはモアブの王で、バラムはメソポタミヤの占い師。モアブはイスラエルの宿敵(ex.15:15)。面白いことに、この占い師バラムはヤハウェを信じている。パレスチナに侵入したイスラエルを待ち受けていた強国がモアブである。モアブの王はそれまでのイスラエルの戦績を知り、イスラエルの侵入を怖れていた。それでモアブの王バラクはイスラエルを呪わせるために、諸国のリーダーたちを集めて、礼物を携えて占い師バラムの元に遣わす。占い師バラムは使者たちを自分の元に泊まらせて、神の託宣を聞く。神はバラムにイスラエルを呪うためにバラク王の元に行ってはならないと告げる。バラク王の使者たちは仕方なしに手ぶらで帰国する。それを聞くとバラク王は前回よりさらに多くの礼物を持たせてバラムの元に使者を使わす。第2日目の使者たちも自宅に泊まらせて神の託宣を聞く。やっと、神からモアブの王バラクの元に出かけることを許可され、ろばに乗って出かける。それを見た神は怒り、ろばが動かないようにされる。占い師バラムはろばを鞭打ち何とか進ませようとする。その道中のエピソードは聖書(民数記22章)を読んで頂くとして、23章ではバラク王の前に立った占い師バラムは王に7つの立派な祭壇を築かせ、王を祭壇の横に待たせて、バラムは神の言葉を聞く、ところから始まる。結局、神の託宣はイスラエルを呪うどころかイスラエルを祝福するという。それを聞くとバラク王は烈火のごとくに怒る。今日の聖句はその時の占い師バラムがモアブの王バラクに告げた言葉である。
この面白い物語、いろいろなことを考えさせられる。トーラー(律法の書)にこういう物語もあるのだということは愉快である。聖書自体はそれ程ごちごちの偶像礼拝否定でもなさそうである。

29播 稔さん、藤木 冨士子さん、他27人
コメント

門叶 国泰 「面白いことに」のところで引っかかっています。「何で聖四文字がここで出てくるのか?」と。


文屋 善明
6月15日 6:19 ·
今日の名言:@Michael_Ende_jp
木はただの化学システムではなく生きた存在です。そして古代では、それをドリアードと呼びました。木々と少し集中して共に生きるならば、この生きた存在の背後に何か霊的なもの、現実に霊的なものが隠れていることに気づきます。(ミヒャエル・エンデ 『Zeit-Zauber』)
<一言>「生きた存在」、考えさせられます。「教会」はただ単なる建物か、組織か。「キリストの身体としての教会」という場合の教会は「生きた存在」である。2000年前から「生きた存在」である。

20文屋 知明さん、藤木 冨士子さん、他18人


文屋 善明
6月15日 6:38 ·
「昨日のFB 06/13」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

10播 稔さん、藤木 冨士子さん、他8人


文屋 善明
6月15日 6:40 ·
イミタチオ・クリスチ(157):
誰でも死んだら、それで終わりだ。そして、死んだらもう誰もあなたのことなど覚えていない。誰があなたのために祈ってくれるというのだ。23:38,39
<解説>ああ、このニヒリズム。

19播 稔さん、文屋 知明さん、他17人
コメント

植村 光郎 イミタチオ・クリスチが、人間くさいニヒリズムを持っていること、愉快です。


文屋 善明
6月15日 7:59 ·
NHKこころ旅。宮古の海岸から。今日の目的地は盛岡市高松配水場から岩手山を見る。宮古駅からバスで輪行。高松公園を目指して。形のいい岩手山が見える。16羅漢、栗の木から桜が咲いている。栗割桜。昼食、チャーシューワンタン。高松の池発見。大きな池だ。湧き水評論家正平。

11藤木 冨士子さん、藤井 衞さん、他9人


文屋 善明
6月15日 8:22 ·
今日の「折々のことば」。この太宰の言葉は難しい。「道徳」という言葉が何を意味するのか。単純ではない。全てのマイナスをプラスに変えるのには全てをカッコの中に入れてその前にマイナスを付ければいい。それが判断基準の180度回転であろう。それはただ頭の中での「計算」に過ぎないであろう。現実的にはマイナスをプラスに変えるのはまさに「回心」である。回心とは判断基準の180度回転ではなく、生き方そのものの方向転換である。結局、太宰は限りなくポイントに接近しつつ、この「回心」が出来なかった。
文屋 善明さんの写真

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1046631012081026&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

26増野 真美さん、藤木 冨士子さん、他24人
コメント

加藤 道子 悪い方に傾いていくところにこそ神がいらっしゃる、ということなのでしょうか。

文屋 善明 その問いに答えることの出来る人は居ません。「神がいるなら出てきてください」と叫びたくもなる、で終わっているから駄目なんでしょうね。この最後の「叫びたくもなる」から「叫ぶ」への転換。

加藤 道子 稚拙な問いで申し訳ありません。文屋先生のお返事を読んで、「叫ぶ」とは神の存在を信じているから叫ぶのであり、それが祈りなのかなと思いました。
もっとよく考え、感じてみます。

文屋 善明 非常にラディカルにいうと、「存在しない神にに祈る」(ボンヘッファー)ということです。

加藤 道子 失礼な言い方ですが、「存在しない神に祈る」とは、これまためっちゃおもしろい!です(笑)。
今日は風邪を引いたようで、仕事をお休みしています。きっと存在しない神様が、文屋先生の投稿をよく考えてみなさい、という意味で風邪をひかせたのでしょう!

文屋 善明 そう信じる人は幸いです。

糸原 由美子 存在しない神に祈る、というか、存在しないかもしれない神に祈る?というような・・・

文屋 善明 違う。神について「存在しない」か「存在する」とか、言える立場にない。ただ「祈る」しかない。祈らなくてもいいなら祈らなくてもいい。祈らざるを得ないから祈る。祈り以外に何も出来ない。

糸原 由美子 そういう意味では祈らざるを得ないので祈っております。不信仰でも、祈りが聞かれることを知っていますから。

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