ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 12/03

2012-12-04 06:36:47 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前中は礼拝で昼食後3時頃まで四方山話。グリーンの『ルカ福音書の神学』をチラ読み。9時から「TOKYOエアポート」を見る。全ての計器類が故障してしまった飛行機を如何にして安全に着陸させるのか。10時に就寝。今朝は5時に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:15:19

#losungenj 12.03(mon)
あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。(Ps25:5)
キリストの言葉:求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる。(Lk11:9)
posted at 05:26:45
#losungenj 私の黙想:
信頼していた友人に裏切られ、人間不信に陥った詩人が、信頼できるのは神だけだと歌う。悲しいかな、人間は裏切られて深められ、成長する。パウロは教会の柱と呼ばれていた主の兄弟ヤコブから裏切られ、ユダヤ人に引き渡され、ローマの軍隊に保護され、神殿で祈っていたとき、「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである」という主の言葉を聞き、本格的に異邦人伝道に向かう(使徒22:17ff)。
posted at 05:48:23

文屋 善明 註:主の兄弟ヤコブは当時最も厳格で人格的にも「義人」とされ教会のトップとされていた人物である。またローマ帝国はいわば「敵」と考えられた権力であるが、パウロは危うくユダヤ人に殺されそうななったところをローマの軍隊によって助けられた。

今日の名言:RT @KarlMarxbot:
ある状況についての幻想を捨てたいという願いは、幻想を必要とする状況を捨てたいという願いである。
<一言>マルクスの言葉は深い。例えば、この「状況」という言葉に「教会」とか「教区」という言葉を当てはめたらどうなる。答えは、「無教会」。まさかね。
posted at 06:02:42

文屋 善明 むしろ「現実の教会」を棄てて、「幻想(=観念)の教会」に生きる。

糸原 由美子 幻を見る・・・

「昨日のツイート 11/02」をブログにアップしました。 http://t.co/OiVCaBLj
posted at 06:25:45

「今週のローズンゲン 11/25~12/01」をブログにアップしました。 http://t.co/SmP9fDEH
posted at 06:45:55

今週のこころ旅は、山口県。「人生下り坂、最高」青海島、赤間神社。徳山のコンビナート、新山口駅。岩國高校の自転車置き場で応援団の発生練習の思い出。瀬戸内海は広い。
posted at 07:59:27

FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』030(154頁) 2012/12/03
人生に対する誤謬も非論理もどちらも生に必要である
『人間的、あまりにも人間的・Ⅱ』第1部「最初の事物と最後の事物について」第33節
<付記> 人間の知識には個別的な事柄、例えば自分自身のことについても、あるいは普遍的な知識、たとえば世界認識にせよ、論理的必然として誤謬を含む。しかし、その誤謬があるからこそ、それを正し、前に進むことができる。さもないと、初めから絶望の淵に立たされることになる。

文屋 善明 本当に久しぶりのニーチェです。しばらく説教の準備に集中していましたので・・・・という言い訳。

<補遺>
次のマイカーは今月の半ば頃、納車の予定。


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