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ぶんやさんの記録

松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(03)<3:1~ 4:54>

2015-06-16 19:26:11 | 松村克己関係
松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(03)<3:1~ 4:54>

第3章

イエスとラビ・ニコデモとの問答を通して新しい宗教における潔め、新生の秘密を説くのが主眼である。2章で語られた2つの出来事の意味が、次の3、4章でさらに展開されて説かれていると見てよいであろう。2:23以下はそのための序であり、本章後半は洗礼者ヨハネの証しを再び登場させているようであるが、この部分もイエスの言葉と同様本来は著者の証しであり説教に他ならない。細かく見ると、イエスとニコデモの二人は互角に論じ合っているように見えるが、実は、イエスが主役でニコデモに語りかけつつ同時にニコデモを通り越して読者に語りかけている。ニコデモはイエスのモノローグ(独白)としての教えを描き出すためのいわば脇役である。しかし、この会話そのものを通して、本当に語っているのは著者ヨハネでありその信仰に他ならない。

1.ニコデモとの対話(1-21)

1節
ニコデモは「ユダヤ人の指導者」の一人であった。7:26,12:42,ルカ23:13,35,24:20、使徒言行録4:5,8等には何れも「役人」と訳されている。彼らの多数を占めていたのはパリサイ派であり、ニコデモもその一人であった。彼らのすべてがイエスの敵であったわけではなく、彼に興味を寄せ彼を信じた者もあった(12:42)。ただ、彼らはこのことを公に表明することを躊躇していた。ニコデモが「ある夜、イエスのもとに来た」のは人目を避けてか、膝つき合わせてじっくりと疑問点を確かめようとしたのかは明らかではない。
彼はイエスに「ラビ(先生)」と呼びかけている。イエスの行なう業を見て彼を「神から来られた教師であること」を認めはするが、預言者またはそれ以上のものとは認めていない。しかしイエスのもとを訪れた主目的はこの点を直接本人に会って確かめようとするためであったことは確かである。イエスは彼の意図を察して率直に問題の核心をとりあげ、先まわりして彼の疑問を叩き返す。「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。「神の国を見る」は5節の「神の国にはいる」と同じことで、神が生きて支配していることを自分自身が経験すること、換言すれば「救われる」ということと同じである。救いの経験は理解や判断・推理・議論によって得られるのではなく、神によって新らしく生かされることである。これがここの個所の要旨である。

4節
「新しく」生まれると聴いたニコデモはさらに反問する。この老人にもう一度母の胎に入れというのかと。彼はイエスの言葉を理解し得なかったのであろうか、それとも誤解したのであろうか。「新しく」と訳された語はもう一つ「上より」という意味を持っている。イエスはこの後の意味で言われたのに、ニコデモは最初の意味にのみ受け取り、しかも「もう一度」と受け取っているように見える。イエスはこの理解を訂正しようとするかのように「新しく」を「水と霊とから」と言い換え、さらに重ねて、それは「肉による」再生ではなく「霊による」新生であることを強調する。新生はヨハネ福音書の主要テーマの一つであって「霊」と「風」とが同じ語であるところから、この経験の理解の方向を暗示する。この新生は悔い改めのまことと神の恵みとが出会うとき、水の洗礼が霊の洗礼と合致する時に与えられる。

7節
風は眼に見えないし、掴むこともできないが、その存在と動きとは物に触れて発する音とそれの残す跡から明瞭に確認することが出来る。霊による新生もまた同様に、どうしてそうなるのかということは理解できなくても、それの存在と事実とは否定することはできない。要は見る眼、聴く耳の問題である。救いの経験、新生は上から神の(霊の)働きによって起こることではあるが、同時に、これを受ける人間の側にも心の準備や心構えが求められる。イエスが神の国の福音を宣べて人々に求められたものは悔改めであった(マルコ1:15)。見る眼と聴く耳とはここで始めて開かれる。「心を入れ替えて、子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18:3)も同じ意味であって、歳をとってもなお幼子の心に立ち帰る道は新生の他にはない。

9節
ニコデモはどうしてもイエスが話していることが理解出来ず、なお肚に据えかねて反問する。「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。内的な経験ということは結局外からの説明では通じない。生まれながらの盲人に色を説明してもわからせることは出来ない。イエスはとうとう「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか」と嘆く。十分に理解できなくても共鳴・共感は出来るはずである。この心を失うときに宗教は形骸化する。ここまで来て、私たちははっきりと分かる。要するに、ニコデモがイエスの言葉を理解できないのは、無知でもなく、誤解でもなく、ただ彼が初めからイエスが言おうとしていることを知りながら、それを受け入れたくないという気持ちからの反撥なのである。一般の人々に向かってイエスが悔改めを要求することは肯定できる。しかしユダヤ人の指導者である人に対しても、悔改めによる新生を求めるところにニコデモの不満があったと見てはいけないであろうか。今日でもキリスト教に関心を抱き、イエスの福音に興味を示しながら、結局、信仰の生命に至ることのできない多くの人々がいる。ヨハネ福音書の描く人物はすべて類型である。ニコデモは指導者の一人としてイスラエルの遺産である神の言葉、律法を常に問題とすることは知っていても、これに聞き、これに従おうとしないためにイエスの言葉に躓いた。

11節
11節以下の言葉はイエスの言葉でありながら次第に著者の言葉へと移り行く気配が感ぜられる。「わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししている」と言うとき、そこには著者もその他の弟子たちも神の国の恵みの事実を自分自身の経験として証しする証人として立っている。ユダヤ教のラビたちは好んで天のことを語りたがるが、イエスは地のことを離れて天のことを語らない。イエスは地上における救いの事実を証人として語ることによって人々の眼と耳とを開き、これを信仰に導こうとする。ニコデモの反問には「あなたは誰だ」という問いが含まれている。イエスはこの問いへの答なしには彼を離れさせない。「天よりのしるし」を求める人々に「地のしるし」、すなわち地上における彼の言葉と業、彼の生活とその生き方とを凝視してこれを「しるし」として読み解くべき信仰をイエスは人々に訴えておられる。

13節
「人の子」とはイエスの自称であった。終わりの日に救い主(キリスト)として来られる方は「人の子のようなもの」で「天から雲に乗って降る」ということは、ダニエル書(7:13)以来の信仰であった。もし「天のこと」を語り得る者があるとすれば、人の子こそその唯一のものでなければならない。しかも彼は「人の子」(人間)として今は「地のこと」しか語らない。やがて彼は「上げられるであろう」。この言葉は杭につけて上げる。即ち十字架につける(8:28)という意味と天に上げられる(12:32)、即ち昇天と二つの意味をこめて用いられている。モーセの蛇のことが出エジプト記21:8-9に記されているが、それが人々の救いとなったように、十字架にかけられ甦り昇天する人の子の将来は、蛇を仰ぎ見て救われた人々の場合にもまして永遠の生命を与え、保証する人類の救いとなることを著者は強調する。「彼を信じる者は、すべて」、しかし信じない者は誰も救われない、それが審判の現実である。このことが次の16節以下で詳わしく論じられる。

16節
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とはヨハネ福音書の中心テーマであり、また全福音書、聖書の根本的メッセージであって、この句は小福音と呼ばれている有名な一句である。「賜る」というのはひとり子の受肉と十字架とを意味する。「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか」(ロマ8:32)、「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである」(1ヨハネ4:9)。この二つの句はこの節の最良の注釈となるであろう。「愛して下さった」は事実の完了した姿を指し示しているので単なる思想や観念ではない。この事実を見て信じる(6:40)者は「永遠の生命」すなわち救いを得る。著者は自らの経験を携えて読者に訴える。神がこのようにひとり子を世に遣わされた意図は「世の救い」のためであり、愛が示されるためではあったが、御子の受肉・派遣という事実の効果・結果は救いと共に、反面に審判(滅亡)をもたらした。救いは見て信じることによって働き出されたが、見てしかも信じない場合には、この福音の事実はかえって反射的に審判として働き、人を亡びへと定める。終わりの日に審かれて亡ぶるであろうというのではなく「すでにさばかれている」と著者は断言する。真の審判は人間の判断の事柄ではなく、客観的な事実によって行なわれる。救いを現在の経験として強調するヨハネ文書は、信仰の終末性を深く把え得た結果として、反面に同時に審判と終末の現在性を繰り返して説く。信仰の訴えは「永遠の今」に人々を目醒めさせるのであって、「いずれまた」と言って逃げることを許さない。今晩、いな数瞬の後に死が彼を待っていたとしたらどうであるか。

19節
人々が福音の言葉に耳を傾けないで光として世に来た御子を信じないというのは、知らなかったとか出来なかったと言って逃れうる事柄ではない。それは知識や能力がないというような理由によるのではなく、積極的に「悪を行なう」という正反対の生き方に基づいている。信仰とは生きること、真実に生きることである限り倫理を離れて成り立たないし、生活の転換をあえてする勇気なしには不可能である。悪を行なう者はその行為が明らかになることのないように、「光よりもやみの方を愛し」「光の方に」近づこうとしない。しかし、「真理を行っている者」すなわち真理──神の意志と栄光と──に歩もうとして、その生活に虚偽を隠し持っていない者は光を喜び、その下に立とうとする。審判とは真理と虚偽とを顕わにし、これを分離する働きにほかならない。真理はそれ自身が真理であることを示すと共に虚偽を顕わにする。御子の真理は真の神であり、真の人であるという点にあり、人間の真の姿を示し、そのことによって現実の人間の罪を顕わにする。裁くという働きは、真理にとって欠かすことのできない働きであり、そのことを通して、始めて救いとは永遠の生命にほかならないことを示す。

2.ヨハネの証し(22-36)

22節
洗礼(バプテスマ)に関する論争が──恐らくその意義と効力とについて──ヨハネの弟子たちとユダヤ人との間に起こったことを切っ掛けとして、ヨハネは再びイエスの証人として登場させられ、それに続いて著者の証言が語られる(31節以下)。イエスの証人またその証言としては、ヨハネとイエスとは同じ線上、同じ場所に立っていると著者は考えているので、ここでもこの推移を不自然とは考えず、当然のことのように振る舞っている。
もう一つここで注意したいことは、ヨハネ福音書がイエスのユダヤでの活動を洗礼者ヨハネが捕らえられる以前に並行的に行なわれたことを記している点で、これは共観福音書がイエスの活動をヨハネの捕われた後ガリラヤで始めたと筆を揃えて書いている(マルコ1:14)のと著しい相違を示している。私たちはここで著者ヨハネが特殊資料に基づいて、共観福音書の記事を訂正しようとしていると判断することが出来る。しかもユダヤにおけるイエスの活動の主なるものは「洗礼を施す」ことであったというのは、ヨハネの活動に協力し、そのメッセージを高く揚げて人々に神の国が近ずきつつあることと悔改めの必要とを説いたことを意味する。「イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった」(4:2)という著者の註もこの事実を否定しているのではなく、パリサイ派の人々の批判に答えようとしているにすぎない。弟子たちのこの行為はイエスの指導と黙認の下に行なわれたと考えられる限り事実の意味に変わりはない。確かにイエスはヨハネの活動とその意義とを全面的に承認し、その上に彼の使命の道を見出だそうとしたことは疑いの余地がない。だからこそ著者もまた一再ならずヨハネをイエスの証人として呼び出してくるのである。ヨハネがバプテスマを施していた場所を「サリムに近いアイノン」と記しているが正確な場所はわからない。サマリヤのスキトポリス(ベトシャン)の南へ5キロ、エルサレムへの道に沿ったヨルダンの一渓谷という推定があるけれども、明白ではない。

25節
「きよめのことでの争論」というのは、恐らく、悔改めの説教と共に行なわれる二人の洗礼が、律法が命じる「清め」とどういう関係にあるのか、またイエスの洗礼とヨハネのそれとで、清めの効果はどちらの方が強いのか、というような事柄であったと思われる。ヨハネ福音書の著者が1世紀末の小アジヤにおける洗礼者ヨハネの弟子たちの運動に対する弁証的意図を持っていたとするなら、この箇所もまたその一つと見ることが出来る。ヨハネは「人は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない」と言っている。ヨハネもイエスも、一般に人は神からそれぞれの賜物と使命とを与えられている。信仰はただ神に対してその分を知り、それに応えようとするのみで、自己と他との比較をしようとはしない。これはむしろ理性の要求に発する。何れがより大きな働きをするかは神が決めることであって、自分自身で考えることではない。(21:21-22)。

28節
ヨハネは1:19以下の部分、ことに20節、23節で言ったことを繰り返す。「わたしはキリストではなく、そのかたよりも先につかわされた者である」。ヨハネは彼の競争心をあおりに来た弟子たちに対して、かえってイエスと自分との使命の違いを示し、彼のこの証しを受け継いで人々に拡めることが弟子たちの任であると諭す。彼はイエスと自分との間を新郎とその友人との関係に比している。神ヤハウェとイスラエルとの関係を新郎と新婦とに比べることは預言者たちの残した伝統であった。(イザヤ54:5、ホセア2:19以下)。人々(イスラエル)は新婦として新郎に属すべきもので、友人はそれを喜びとする。友人は新郎の道を先導することを光栄とし喜びと感ずる。この一段は明らかにマルコ福音書2:18以下の記事を反映していると考えられる。

31節
「上から来る者」とは「天から下ってきた者、すなわち人の子」(13節)にほかならない。31節は、13節に続くと見ると自然である(モファット)。「すべてのものの上にある」とは権威を持っているという意味である。イエスは「律法学者のようにではなく、権威ある者のように」教えたとは人々の印象に深く残る驚きであった(マルコ1:22)。彼の教えは思弁や分析の結果ではなく「見たところ、聞いたところ」、すなわち直接の経験の「証し」にほかならなかった。これを受け彼を信じる者は神を信じることが出来た。神を信じるとは、ここで言う「神を真実であるとする」ことにほかならない。それは神の忠実・真実を信頼し、それと共にこれを証することであって、キリストを信じない者は神を偽りものとする(1ヨハネ5:10)。そこには永遠の生命の代わりに「神の怒」が永久に留まる。「従わない」とは不信仰という意味であり、それは知的な事柄であるだけではなく、意志の事柄であり、信仰は行為である(使徒言行録14:2、ロマ11:30)。神が遣わされた者の上には神の御霊が「限りなく」与えられているというのは、計算出来ないというよりは比較できないという意味である。このようなキリスト観というか、キリスト論というか、キリストに関する究極的な発言が結論的な形で繰り返して現われるのも本書の特色である。

第4章

42節までは、サマリヤの婦人との対話であるが、これは2章13節以下で語られている「宮きよめの出来事」との関連で、礼拝の意義について積極的な意味を教え説こうとしている。それに対し43節以下ではカペナウムにおける王の役人の子を癒やした物語が語られ、全く別な連関の中に立って5章に続くものとなる。

1.サマリヤの婦人 との対話(1~42)

1節
2節の文章は著者の説明で、1節の書き方にも伝承と著者自身の言葉とが混合していると思われる。イエスは聖霊によってバプテスマを授けるべき主であって、水による外的儀式は弟子たちが委託を受けて行なうものであるという初代教会の考え方がここには反映している。イエスがユダヤからガリラヤに行かれたのがヨハネの死後ではないとすれば、その理由は2:25以下の論争のためであって、彼はヨハネとの間に事を構えることを避けるためにそうしたと考えられる。

4節
「サマリヤ」での活動、ことにいかがわしい一人の女性に対する個人伝道の情景を詳しく描いている。ヨハネ福音書は「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな」(マタイ10:5、なおマルコ7:27参照)という共観福音書の伝承を訂正しようとする意図が見える。ヨハネ福音書は普遍的立場に立って、イエスを世界の救い主として描いていることは、3:15,16でも明らかである。
「ヤコブの井戸」というのは「ヤコブがその子ヨセフに与えた土地」(創世記48:22)の東約4キロにあるスカルの町から1キロほど南にあるという。旅の疲れを覚えてイエスは井戸の辺りで休憩する。「昼の12時ごろであった」という。弟子たちは食糧調達のために町に行き(27節)イエスだけがは残っていた。ちょうどそこにひとりの女性が水を汲みに来た。ヨハネ福音書の叙述は共観福音書と異なって、かなり理想的・構成的な印象を与える。しかし、それが創作的・作為的な印象を受けないのは、それが何ものかの象徴として、その背後に動かすことの出来ない事実が存在するからであろう。「水を飲ませてください」というイエスに対して女性は、困った様子で婉曲にこれを断ろうとする。「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。この言葉について著者は解説する。サマリヤ人とユダヤ人とが交わりをしないというのは、かなり昔からのことであった。サマリヤとは北王国イスラエルの首都としてオムリ王によって建てられた町であるが、その周囲の地域を併合し、さらにパレスチナの中部地方一帯にまで広がる地域を示す地名である。この町は紀元前128年マカベア家のヒルカヌスによって破壊されたが、イエスの時代にはヘロデ大王によって再建され、ロマの皇帝アウグストウスの妃の名にちなんでセバステと呼ばれていた。サマリヤ人の名はユダヤ教の分派、異端としてユダヤ人から不信と軽蔑の対象とされていた。彼らはサマリヤの近郊にあるゲリジム山に神殿を築き──紀元前331年竣工、後ヒルカヌスによって破壊されたまま、イエスの時代には廃墟となっていた──モーセの五書のみを経典として、エルサレムの神殿を中心とするユダヤ教に対して父祖伝来の、より古く正しい伝統を継ぐものと主張して互いに反目していた。
反目の原因はペルシャ王クロスの解放によってバビロニヤの捕囚の地から帰国し、エルサレムの修築と神殿の再建に従事していたユダヤ人に協力を申し出たが、それを拒否されたことに始まる(エズラ4章、ネヘミヤ6章)。ユダヤ人が拒否したことにはそれなりの理由があった。南王国ユダヤの滅亡(紀元前587年)に先立つ1世紀半、722年に北王国イスラエルはアッシリアに滅ぼされて住民の主な部分は捕虜として連行された。それに代わる住民としてクタ人その他の北方の諸民族がここに移民として送られてきた(王下17:24)。その結果、捕囚後もそこに残されていたイスラエル人との間に雑婚が行なわれ、それと共に宗教も次第に異教化されていった。
バビロンの捕囚の場合、ユダヤ人は北王国イスラエルの場合と違ってコロニーを与えられ集団生活が許されたこと、優れた指導者に恵まれていたこととによって、かえって祖国に残された人々よりは純粋に宗教的伝統を保ち、むしろその信仰は純粋化されたのである。従って、彼らが帰国したとき、そこに残されていた人々の状態を悲しみ雑婚禁止から離婚の強要にまで進んだことは十分に理解できることであった。
さらに時代は進み、紀元前2世紀の半ば頃、シリヤのセロイコス家のギリシア化政策の下にあって、ユダヤ人は信仰の自由のために戦ったが、サマリアに住む彼らは妥協的態度をとって異邦人と協力したために、ヒルカヌスによってサマリヤの町とゲリジム山の神殿が破壊された。その結果、両者の溝は一段と深まり、イエスの時代にはユダヤ地方とガリラヤ地方との間を旅するときにはわざわざ遠回りをしてヨルダン川の東岸を迂回する程であった。
そのような歴史的背景により、サマリヤの女性の反問は当然であった。第1、あなたはユダヤ人なのに、なぜサマリア人にものを頼むのか。第2に、男性が女性に頼むというのもおかしい。これら2つのことは当時では普通のことではなかった。確かにここでは全てのことが普通のことではない。水汲みの仕事は暑さを避けて普通は夕方に行なわれる。しかも町から1キロも離れた所まで水を汲みにくるというのはヤコブの井戸を懐かしんでなのか、畑の帰りなのか、いろいろ理由は推測されるが決して普通のことではない。この女性が普通の女性でないことをイエスは早くも見て取ったに違いない。「水を飲ませてください」という言葉は、女性に近づくための口実である。魂を求める道は相手から何ものかを求めることである(ゴーデー)。正面から魂の問題に近づこうとすれば相手は逃げるにきまっている。何かをしてもらえないかとの要求は、固くなろうとする相手の心を開かせ、警戒感をゆるめる。しかし、女性は決して警戒心をゆるめない。この反論の言葉がそれを示している。
以下のイエスとサマリアの女性との対話は、ニコデモの場合、あるいはその他の場合と同じように、要点を引き出し、著者の説教を読者に訴えんとする技巧の跡は明白で、あたかもプラトンの対話篇と共通するものがある。

10節
イエスは相手の問いには直接に答えようとしないで、かえって謎のような言葉を相手に語り、相手の内面にあるものを引き出そうとする。「もしあなたが神の賜物のことを知る」ならばという言葉は、3:16の「そのひとり子を賜ったほど」に世を救おうとする神の愛、その具体的な現れとして今、彼女の前に立つ一人の人に注目することを促す。これはまたそれに続く「また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば」と同じことを意味する。そしてもし求めるならば「生きた水」を与えるであろうにという。文字通りには湧き出る水という意味であるが、もちろん象徴的な意味で用いられていることは明らかである。エレミヤ2:13、17:13、ゼカリヤ14:8などの用法と睨み合わせて考えると、後の14節の言葉が明らかにしているように、生命の水とは神の生命の恵みを指している。もっとはっきりと言えば、初代教会において慣用句のように用いられるようになった聖霊である。「その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。この「永遠の生命」とはヨハネ福音書が多用する主要概念の一つであるが、内容的には「愛」にほかならない(ロマ5:5)。彼女は不思議なことを言うこの教師はいったい何者なのかを見極めようとして「わたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか」と問う。サマリヤ人はエフライム、マナセ両族の代表者としてヤコブの子ヨセフより出たと信じているからである。この井戸から飲む人はまた渇くであろうが、自分の与える水を飲む者は永遠に渇くことがない、という言葉は既にそれが物質としての水でないことは明らかである。15節の「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」という彼女の要求は無知や誤解の結果と解釈するべきではなく、イエスの意図を見破った彼女の皮肉な拒否の言葉と解釈すべきであろう。

16節
そこでイエスは機は熟したと判断し、彼女の心に深くメスを入れる。ここでのイエスとサマリアの女性ととのやり取りは面白い。「その水をわたしに下さい」という言葉を受けて、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」イエスは言う。一見、前後の不調和と見えるこの言葉は実は画竜点晴の一句である。「そういう結構な水があるなら是非頂戴いたしたいものだ」とシャレを言って笑って逃げようとする女性を把えて、「あなた一人にはあげられませんよ、御主人も一緒に」、というイエスの言葉は、その鋭さをユーモアに包んで彼女を正気に立ち返えらせた。「夫はいません」という答えは、イエスの攻撃・挑戦をはっきりと自覚し、逆に素気なくこれを外そうとする。しかし、イエスが打ち込んだメスは彼女の過去の生涯と素性とを彼女自身の眼前に暴露する。「夫がないと言ったのは、もっともだ。あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」と。ロアジーはこの箇所を比喩的に解釈し彼女をサマリヤ人の類型と見なし、5人の夫とはアッシリアによってサマリヤに植民されて住み着いた5族(王下17:24-34)と、その神々と考え、今の夫とはサマリヤ人が法を破って、知らないで礼拝している神(22節)、イスラエルの神であって、しかも真に礼拝をしていない神を指すと言っている。彼女は抵抗を諦めて「主よ」と呼びかけ「わたしはあなたを預言者と見ます」と言う。人の心を洞察し事物の真相を究めるのは預言者の特徴と考えられていたからである。

20節
しかし彼女はまだ自分の罪の自覚には至っていない。むしろ、このことに触れられることを避けようとして、話題を切り換えて、イエスの関心を宗教問題に向けようとする。20節の「この山」とはゲリジム山を指す。年来の争点をあなたはどう解決されるかと問うのである。今日もなおサマリヤ教団は残っていてここで礼拝を守っているという。「わたしたちの先祖」という彼女の言葉はいろいろに解釈できる。第1、ヨシュア時代の人々。申命記11:29や27:12によれば、この山は神の祝福が宣言される場所である。同27:4では、最初に神ヤーウェに対する祭儀が行なわれたと記されているエバル山を、サマリヤ人の聖書本文ではゲリジム山としている。第2、それよりもさらに遡って族長時代の先祖たちと考える。第3、ネヘミヤの時代サンバラテがここに宮を建てた時代の先祖。サマリヤ人の考えに従えば、エルサレムで礼拝が行なわれたのは、紀元前622年のヨシュア王の改革以来で、ゲリジム山での礼拝は遥かに古い起源をもつので正統性を主張しうるというのであり、更にアブラハムがイサクを捧げたモリヤの山もこの山であると言う。
イエスの答の要点は、宗教の根本問題は礼拝の場所や起源の歴史の正確さではなく、礼拝する者の態度と、対象についての明確な自覚の有無であるという点にある。「父を礼拝する時が来る」と、神を「父」と呼ぶこの言葉こそ、すべてがかかっている重要な鍵となる言葉である。「時が来る」はむしろ、「時は来ている」と訳されるべきで、23節の「来る」と全く同じ語、同じ形である。礼拝の対象を「父」として知らないという限り、彼らは「知らない者を礼拝する」に等しく、神を父として礼拝する者は「知っている者を礼拝し」、同時に宗教を神と人との生命の交わりとして「霊と真理をもって」礼拝することが出来る。預言者たちもこのような時の来ることを既に告げていた(イザヤ66:18、エレミヤ31:34)。「この山でも、エルサレムでもない」の句は、ヨハネ福音書の書かれた時代にはゲリジム山だけではなくエルサレムも廃墟となっていたことを考え合わせると、より一層考え深い。
「知る」という言葉はヨハネ文書特有の含蓄と響きとを持っている。この「知る」は対象的な知ではなく、人格的な知、男女間における知るということ、友と知り合うというように、交わりの地盤で成り立つ知を意味し、従って「信じる」に通じる。ヨハネ福音書では知と信とは相対立するものではなく相補的関係にある(8:19、10:15)。サマリヤ人が型式的にはユダヤ人と同じくヤハウェの神を礼拝しながら、ユダヤ人から見て「知らないものを拝んでいる」と言われる根拠は、彼らがモーセの五書即ち律法だけしか正典として認めず、預言者の書を認めないことにある。その結果、預言者によって示された神つまり民族の歴史の中で示された神を知らないわけで、これは非ユダヤ人の神の知り方とあまり変わらないと考えるからである。「救いはユダヤ人から来る」ということはイザヤ書2:1~5の預言を念頭において言われている。ユダヤ教を母胎として生まれたキリスト教はユダヤ教の凝固した殻を破ってその信仰の正しい伝統に生命の泉を汲んだ。ここにイエスの無比なる地位がある。

24節
「神は霊である」という言葉は「神は愛である」(1ヨハネ4:8)、「神は光である」(同1:5)と共に、ヨハネ福音書が語る単純明快な定義的表現である。「霊」とは今日の言葉で表現すると、物質と精神とに対して人格と解釈してほぼ間違いはないであろう。この言葉について詳しく論じようと思うと、それだけで一冊の本ができる。
礼拝の態度・仕方は対象(神)の性質によって規定される。「霊と真理をもって」とは、「神の恵みに基づく神の真と、これに応える人の真とにおいて」と考えてもよい。「真」とは「霊」に添えて、さらにこれを限定し説明する言葉であると考えられる(1:17)。この言葉は礼拝の外的型式を否定するものではなく、分派的精神を否定するものと解釈することが出来る(10:16参照)。

25節
イエスの語る言葉を彼女が理解できたか、どうか疑問である。キリストが来るということは聞いているが、その時にはこの問題も明らかにされるであろうと言って、彼女は問答を打ち切ろうとする。サマリヤ人はユダヤ人のようにキリストを「ダビデの子」と呼んで政治的独立をもたらす指導者と考えるよりは申命記18:18で述べられているような預言者を想像していたようである。彼が来ると宗教上のすべての事柄を明らかにしゲリジム山の礼拝を回復し、ユダヤ人も非ユダヤ人も導いて宗教改革を成就すると期待していた。彼女は来るべきキリストを持ち出して、疑問点を先延ばししようとしている。しかしイエスはそれを許さなかった。「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。晴天の霹靂(へきれき)のように、投げつけられたこの言葉は彼女を驚かせたに違いない。イエスは伊達や酔狂で彼女と冗談を言い合っていたわけではない。イエスにとって彼女はどうしても救わねばならない相手であった。そのような認識においてなされた、いわば彼女の魂との格闘、それがここでの対話であった。この最後の一撃で彼女の決断を迫る。生死の分かれ道はこの一語にかかっている。「わたしはそれである(エゴー・エイミ)」と訳されているこの言葉は、ヨハネ福音書の中で何回か繰り返される重大な場面でのイエスの口から出る言葉であり(6:20,8:24、58、13:19、18:5,6)、七十人訳(ギリシャ語訳)では出エジプト3:14に見える表現である。モーセに現われた神が彼に名(実体)を問われて自らを「ヤハウェ」として啓示したところで用いられている。「わたしは有る」という表現は後代のユダヤ教における1つ解釈であり、必ずしも適訳ではない。註(1)
この言葉は申命記32:39、イザヤ41:4、43:10,25、48:12などにも見られ、またヨハネ黙示録1:8,17にも出てくる。神が自己の権威をもって人に現われるときに語られる言葉であって、神的存在の現前を感じさせる言葉である。

27節
彼女は自分自身の決断を保留して、人々を呼びに行く。多数の人々がどう考えるのか、その決定にまかせるという安全な道を選び、決して自分自身の主体的な決断をしようとしない人がある。福音はそのような人々が形成する世間に対して全く別な世界を樹立しようとする。そのような葛藤を描いているのが福音書であり聖書の世界である。
場面は静かに移る。対話は終わりに近ずいて、弟子たちが町から帰って来た。彼女は弟子たちを見て驚き、慌てて、何が何だか分からないまま町に行き、人々に自分が会った不思議な人物のことについて、ただ者ではないと語り、「さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」と言う。町の多くの人々は彼女の言葉を聞いて、イエスの元に行く。
他方、イエスも興奮状態が続き、事態がどのように展開するのか、そのために自分は何をしなければならないのか考えていた。そのため、せっかく弟子たちの整えた食事を欲しくないという。「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」とは何であろうか。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ4:4)ということか。イエスは「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである」と説明する。つまり、神との共同・交わりこそが「わたしの食物」であるという。
イエスは今や弟子たちを促してこの共同に与らせ、その業に参加するように命じられる。「目をあげて畑をみなさい」(35節)。弟子たちが見たものは畑に実りつつあった麦だけではない。その間を縫って急いでやってくる人々の群れである。「刈り入れ時が来るまで、まだ四か月ある」という諺を「あなたがた」は知っているであろう。麦の収穫は種蒔きから6ヶ月、芽が出てから4ヶ月である。また4月とはいってもそれは短い期間で春ともなればぐんぐん伸びて急速に実を結ぶ、忍耐して待てとの諺である。しかし「わたしはあなたがたに言う」(35節)。霊的な種蒔きの結果は、予想以上に速やかに現われてくる。「はや色づいて刈り入れを待っている」(35節)。弟子たちは刈り入れのために「報酬を受け」て召され「永遠の生命に至る実を集めている」。生命は生命を生むこと(実り)によって生き、しかも霊的生命は無限である。「蒔く者」はイエスであり「刈る者」はイエスと共に働く弟子たちである。「ひとりがまき、ひとりが刈る」という諺は労働と報酬とが一致しないことを嘆く皮肉と絶望の響きを持っているが、ここでは蒔く者と刈る者とが「ともに喜ぶ」ことにおいて真実になる。伝道者が自分自身の労働を刈りとるのだと考えるならば、倣慢に陥るであろう。「ほかの人々が労苦し」、イエスに遣わされてあなたがたは「その労苦の実にあずかっている」のである。ひとりの人が受洗に至るまでには、伝道者の知らない多くの人々の祈りと労苦とが積まれており、少なくとも主ご自信の隠れた導きと追求とがある。このことを忘れては、伝道者はその任に堪えられないであろう。

39節
他方イエスのことを話して回った女性に促されて、イエスのもとに来た人々は、イエスを見てまさに彼女が言った通りで、嘘ではなかったので、「イエスを信じた」。そこで、彼らはイエスにもうしばらく滞在することを頼んだので「ふつか滞在された」。「イエスの言葉を」聞いた人々は、彼女が「話してくれた」だけでなく、彼ら自身の経験によって裏付けされて、イエスを「この人こそまことに世の救い主である」と信じた。

著者註:
(1)「わたしは有って有る者」とはヤハウェなる神名の意味を解いた言葉であるが、これは永遠的存在という形而上学的意義を主とした後の解釈であって、ヤハウェの語義はむしろ「わたしは有ろうとする者」という意味で、意志的・情熱的性格を示すものと今日では考えられている。なお神名について、邦訳エホバは近代に流布されたヤハウエの誤読である。

2.ガリラヤにおける第2のしるし(43~54)

43節
「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」という言葉は共観福音書が筆を揃えて述べているイエスの証しであるが(マルコ6:4、マタイ16:57、ルカ4:24)、この場所には相応しくない。間違ってここに置かれたものか、著者がユダヤをイエスの故郷と思い違いをしたのか。
「ガリラヤへ行かれた」たのはユダヤでのごたごたから身を引き、人目を避けて逃れたと考える他はない。「ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した」。その理由は、以前の祭の際にエルサレムに行っていた人々がそこで行なわれたイエスの業を見、彼の教えをきいた人が多くいたからであろう。

46節
王(ヘロデ・アンテパス)の役人の息子を言葉によって癒したという物語は水をワイン変えた(2:1~11)物語と並行する「ガリラヤでの第2のしるし」であった。
この物語のキイワードはは「あなたの息子は助かるのだ」という言葉であり、同時に、この奇跡は第6章におけるイエスは生命のパンであるという主題の伏線となっている。
この奇跡はカペナウムで行なわれたのであるが(マタイ8:5~13)、ルカ7:1~10では同じカペナウムで百卒長の願いを聞いてその家来の病を癒したという奇跡物語がある。そのときイエスは「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」と述べて、非ユダヤ人である百卒長とその家来との間の信頼・服従の関係に人々の注意を喚起し、その信仰を褒めている。
ここでは「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じない」と述べて、逆説的に同じことを語っている。役人は「イエスの言葉を信じて帰って行った」が、その言葉の通り役人の子供は癒された。奇跡を見て信じる信仰ではなく、言葉を信じる信仰を理想的信仰の型として著者は示そうとしている。イエスが癒しを確言した時と実際に子供が回復に向かった時とが一致したのを見て、百卒長の場合と同じように全家がイエスを「信じた」。それは「昨日の午後1時」であった。カナとカペナウムの距離は15マイルほどで、「昨日の午後1時」というのは時がかかりすぎると思われるが、ヨハネ福音書が時間や距離をほとんど問題にしていない例がここにも見られるわけである。

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