ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 09/09

2016-09-11 06:24:39 | ツイッター
お早うございます。主の平和。赤間駅前まで出て、家内は整骨院へ、私は整形外科へ。昼食後、昼寝なし。眠気の出る薬を暫くやめていたら効果覿面。『悪魔の手紙』第18信、第19信。解説を書く。『黄沙の楽土』続読。夕食後は「はじめまして、愛しています」を見て10時に就寝、5時半起床。寝苦しかった。体温:36.4、血圧(140,77:75)・体調・快調。チュン、チュン。

32 播 稔さん、金井 由嗣さん、他30人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
秋風が肌寒く感じられる朝ですが、日中の最高気温は32度だそうです。
先生ご夫妻が、お守りの内に、穏やかなよい時間をお過ごしになられます様にm(__)m

文屋 善明 浜松の大雨の映像を見ましたが、大丈夫でしたか。

東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。

萩野 秀子 おはようございます。雲。チラシ配りです。守られますようにお祈りします。


文屋 善明
9月9日 5:51 ·

お目覚めの花。「大雨が気になっています。北九州はほとんど雨らしい雨はない」「神は寝ているのか、と言いたくなる」「神よ、あなたのやり方は間違っている!」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然

25 播 稔さん、西村 逸郎さん、他23人


文屋 善明
9月9日 6:31 ·

016 日々の聖句 09月09日(金)
水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。(イザヤ43:2)
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは弟子たちに言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(マルコ4:39~40)
私の黙想:
今日の聖句、とくに「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない」という言葉を読むと、一つの出来事を思い起こす。文語訳ではこうなっている。「汝、水の中をすぐるときは我ともにあらん。河の中を過ぐるときは、水、汝の上にあふれじ」。1945年8月15日、敗戦と同時に、当時北朝鮮の平壌に居た日本人は、ソ連軍の捕虜となり、旧兵舎に収容された。それからほぼ1年間、ソ連軍、北朝鮮軍の完全支配下に置いて食糧もほとんど与えられず、約3分の2は飢え死にした。1年たった8月、このままわれわれは北朝鮮の冬を過ごすことは出来ないと判断し、約30人のグループで収容所の鉄条網をくぐって脱出し、南朝鮮を目指して歩き始めた。2週間ほど朝鮮半島の山野を逃げ隠れしながら、なんとか38度線国境の間近に到着した。周囲はソ連兵たちがうようよしていたが、それよりも、わたしたちの目の前には大雨のために濁流が激しく流れるかなり大きな川が横たわっていた。この川さえ渡れば、南に入れる。が、この川を母一人と10歳の私と弟二人、一番下の弟はまだ4歳である。大陸育ちのわたしたち3人は泳げない。それで母は、4歳の弟を背に負い、私の中の弟を両腕に抱えて、母は絶対にこの腕を放さないようにと言明して、その濁流に足を踏み入れた。台湾育ちの母は多少泳ぎには自信があったと言え、この状況だ。もちろん子供の背は足りない。4人の運命を支えているのは、母の二本足だけだった。その時、母はこの聖句を唱えながら一歩一歩足を進め、とうとう向こう岸に着いた。私たち4人は川辺で暫く横たわっていた。

29 播 稔さん、浜井美喜さん、他27人
コメント

村田 多鶴子 よくもまぁ~ご無事に帰国されたことと、お守りを感謝致します。
男性よりも?逞しく勇敢な先生たちのお母様に、改めて、想いをいたします。そして、あれこれと想像致します。
このお話は目にする度に息が詰まりそうになります。そして、よくもまぁ~ご無事で…と心の中で繰り返しています。

川染 三郎 すごい経験ですね。御言葉が命を生み出したのでしょう。小生も4歳のとき、母の手を頼りに引揚げてきました。

山本 友美 この文章読むだけでも緊迫感が伝わってドキドキします。神様に感謝です。あの時の命があったから今、文屋司祭とお話しできるのです。


文屋 善明
9月9日 6:40 ·

今日の名言:@seigi_meigen
自由第一主義にあらず、正義第一主義がおよそ社会主義の公式である。(エミール・アラン、20世紀フランスの哲学者)
<一言>自由と正義とは両立しない。自由を強調する政治においては正義は犠牲にされる。社会における自由は「正義の枠内」での自由でなければならない。貧富の格差を許す自由主義は不正義である。

16 播 稔さん、小貫 ツマさん、他14人


文屋 善明
9月9日 7:01 ·

「昨日のFB 09/07」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

7 文屋 知明さん、播 稔さん、他5人


文屋 善明
9月9日 8:09 ·

イミタチオ・クリスチ(240):
あなたの全き信頼を神に置き、神を畏れ、神の愛をあなたのものとしなさい。2:1:16

22 播 稔さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他20人


文屋 善明さんがノートを公開しました。
9月9日 8:18 ·

読書記録:C.S.ルイス『悪魔の手紙』(9)

14 大野 泰男さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他12人
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コメント

平野 宏 シェアさせていただきます。

文屋 善明 どうぞ。アップした後からも、気づいたことがあれば、どんどん訂正しますので、悪しからず。それを簡単にできるのがノートの特典です。


文屋 善明
9月9日 9:00 ·

今日の「折々のことば」。私には高尚すぎるのでパスしようかと思っていましたが、自分の経験を言葉で言いあらわすということであるならば、手に負えない訳ではないと考えました。昔は、そして今でも一部の教会では「信仰のお証し」という習慣があった。とくに「伝道集会」(私はこの言葉は嫌いだ)などでは、信徒の内の誰かが「証し」をしたものである。今ではある教会では「証し会」がなされているとのこと。これは自分がキリスト者になった経緯を語るのが中心で、それは他人のために語る行為だと見做されているが、本当は自分のために語っているのである。自分の体験を語ること、あるいは書くことによって、対象化し、定着させることである。近頃の信徒たちの信仰が弱体化している最も大きな原因は、教会から「証し」がなくなったことによると思っている。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1109077855836341&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

41 北村 良輔さん、播 稔さん、他39人
コメント

門叶 国泰 何度か「危なっかしい」証しもありました。心情的には「嫌いだ」と思っていた(と思う)牧師が牧会していたときもありました。それでも、30年間「証し会」を守り続けてきました。「語ること」「書くこと」によって、信仰(語る者も聞く者も)はかなりはっきりとなってくる、と確信しています。

文屋 善明 私もどちらかというと嫌いですが、それは個人的な好き嫌いの問題ではなく、必要なものだと思っています。

大脇 友弘 「自分に向き合い、受け入れる事」と読みました。
でも、それで終わりじゃなく、そこからが始まり・・・。

山本 友美 文屋司祭、考えさせられるコメントです。どうも最近うちの教会もいろいろとぎくしゃくがめだつかなー。

西堀 俊和 男が泣くのは難しい。

文屋 善明 男が泣いているのを見たら、こいつ信用できるな、と思う。女が泣いているのを見たら、騙されないように、要注意だ。これは男女差別ではなく、男女区別だ。

小貫 ツマ 大脇さんの言葉がピタリときました。そうやつていきてきたし、それがあかしといえるかもしれませんね。でも証と言う言葉を嫌う人は多いし、私もあまり好きではありません。

大脇 友弘 恐縮です(^_^;)そういう風に読みたいと言うことですね。そうじゃないと前へ進めませんから。

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