ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 05/04

2015-05-06 09:31:07 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。松村『ヨハネ福音書』の現代文化。日本語から日本語に「翻訳する」のは「隙間」が許されないのでかなり難しい。外出なし。読書なし。音楽なし。何にもなし。夜、「花燃ゆ」「天皇の料理番」を見て10時半に就寝、5時起床。体調・快調、チュン、チュン。

村田 多鶴子さん、奥野 卓司さん、早乙女 実さん、他19人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。家の掃除をします。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 05:29:25


文屋 善明
5月4日 6:46 ·
今日の名言:
私が私として生きることを許して欲しい。そうすれば満足して生きられます。(アンネ・フランク)
<一言>
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10:28)。彼女はあの拘束状況の中でも、魂は自由であった。

西堀 俊和さん、Luke Etsuzou Nomahさん、柳沢 有紀夫さん、他28人が「いいね!」と言っています。
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藤木 冨士子 シェアします。

植村 光郎 マタイの言葉も、いいですね。聖職者は聖書に精通、いい言葉が出てきます。ありがとうございます。
posted at 06:46:20


文屋 善明
5月4日 7:59 ·
今週からNHKこころ旅復活。桜が済んだら藤の季節だ。今週は神奈川県、城ヶ島の防波堤、大阪弁は「お笑い芸人の言葉」らしい。湯河原・水上歩道橋、鎌倉・稲村ヶ原、逗子・披露山公園でのデート。今週も楽しそう。オシャレな町が多い。
posted at 07:59:16


「昨日のツイート 05/02 ブルベリージャムを作りました」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/30d2266f950c2fb4c6bbc44513d144c…
posted at 08:33:06


新しい写真2枚を追加しました。
5月4日 6:37 ·
お目覚めの花。「今日は『みどりの日』だってよ」「へー、それってみどりさんの誕生日でっか」「チャウチャウ、ただの『みどり』の日でんね」「よお分からへんけど、とにかく休みなんやね」「もっとも、みどりの日でなくても、今日は憲法記念日の振替休日なんや」「だったら、みどりの日の振替日はあるん」「あるある、明日がそうやで」「だって明日は子供の日でっせ」「そんで、子供の日の振替休日は明後日なんや」。
文屋 善明さんの写真

村田 多鶴子さん、野口 富隆さん、石松 周さん、他42人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 前は昭和の日をみどりの日と言ってましたね。ややこしいてかなわんわ。

文屋 善明 そうやねん。4月29日なんか、天皇誕生日から、みどりの日、それから昭和の日やろ、どうでもいいけど、4月29日は「私たちの結婚記念日」は不変や。

藤木 冨士子 それが一番!!

堀 俊子 役所の勝手気ままでしょ&お医者さんの休み、いつまで続くの、ゼンメセンセの結婚記念日あったのね~(*^_^*)


若月 新一 おはようございます。

清水 行雄 おはようございます。なんだか先生の写真とは思えません(^_^)

文屋 善明 これが「広い所」なんですよ。

清水 行雄 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、我々の神のために、大路をまっすぐにせよ。」(イザヤ40.3)

播 稔 (広いところ」たのしいところ。本日ローズンゲン詩編31(メルハブ)。

文屋 善明 今日のローズンゲンの「広い所」と「みどりの日」とを組み合わせたら、この写真になりました。この「枯れた葦」の向こう側に結構広い川が流れています。その向こうの遠くに見えるのが「城山」で、この麓に日本キリスト教団の赤間教会があり、関学の後輩が牧師をしています。

播 稔 椅子を出して、しばらく、ボーと景色をみていたい。


文屋 善明
5月4日 6:15 ·
2015日々の聖句 05月04日(月)
わたしの足を、広い所に立たせてくださいました。(詩31:9)
あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになるように。(エフェソ3:18~19)
私の黙想:
私は軽い「閉所恐怖症」だと思われる。「閉じ込まれる」ということが苦痛である。だから「広い所に立たせてくださる」という意味がよく分かる。旧約聖書「広い所」を検索すると、新共同訳で4回(2サムエル22:20,ヨブ36:16,詩18:20,31:9)用いられている。口語訳では8回(上記の他に、ネヘミヤ3:8,12:38,詩66:12,118,5)引っかかる。これらを見ると、ネヘミヤの2回は「城壁の広い所」という意味で物理的な広さを述べているが、その他の6回は一種の「解放」を意味している。ヨブ記の場合などはわざわざ「束縛のない広い所」と解説まで付いている。
「閉塞感」という言葉がある。人間環境としては非常に不幸な状況を意味する。今日の詩編では、わたしたちを狭いところに閉じ込め、自由を奪うのは「敵」であるという。神はわたしたちを敵の手から奪還し、広い所に立たせてくださった。パウロは「自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださった」(ガラテヤ5:1)という。この自由をパウロ自身はキリスト者になる以前には知らなかった。つまり、何も不自由していないと感じていたのであろう。しかしキリスト者になったとき「この自由」を知った。だから、再びこの自由を奪われたくないという。

小貫 ツマさん、早乙女 実さん、金丸 勝彦さん、他25人が「いいね!」と言っています。
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清水 行雄 おはようございます。黙想ありがとうございました。

藤木 冨士子 シェアします。ここから閉所恐怖症が来てましたか。私はせっかく高いところを歩ませると約束されても、高所恐怖症なのであきませんが、誰かと一緒特にその誰かがしっかり私を支えてくれる人で、手を握ってくれてたら大丈夫なので、高所に行くときはイエス様に手を握っていただきます。

文屋 善明 あっち、こっち、飛んでいく。これが自由ってものよ。

播 稔 門叶長老も「自由」といっておられます。

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