ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

松村克己著『ヨハネ傳福音書注解』あとがき

2015-05-05 08:55:19 | 松村克己関係
松村克己著『ヨハネ傳福音書注解』(昭和27年 「聖書新解」教文館)

あとがき
新約学の中で所謂ヨハネ問題がその中心的課題として浮かび上がって来たのは、最近のことである。最近と言っても3、40年来のことではあるが。それは先ず外形的な文書批評学の問題から始まって思想的・神学的な問題にと掘り下げられて来た。それらの学問的な問題には今は立ち入らぬこととして、新約聖書の中に占めるヨハネ文書の地位・特色・意義については一言付け加えておくのも無駄ではあるまいかと思う。
聖書は統一した書物であって、個々の文書を取り上げて見れば、その成立した年代・場所・著者また問題を異にしていて、変化と多様性とを示しているが、他面それらの各文書は互いに呼応と連絡とを示して同一の主題を追い同じ精神に貫かれている。そこに聖書が経典という特殊な意義を担う所以がある。多様と統一との相互連関を絶えず注意することが聖書を読む場合には大切である。同じくイエスの事跡を物語る福音書という部類の文書にしても4個のものが収録されている。その間にあってヨハネ福音書は他の3つのもの、共観福音書と呼ばれているものに対しては著しい相違を示している。共観福音書問題がヨハネ問題を呼び起こしてくることは当然である。併しそういう面からでけではなく、ヨハネ福音書の示している信仰・思想の特殊な趣きは、新約聖書の中で如何に受けとらるべきかという神学的な問題が当然提起されなくてはならぬ。それは平たく言うと次のようになる。
新約聖書を読む人々、殊に信仰を求めて之に近づく者の最初に取り上げるものは大体に於いて使徒の書簡である。福音書も興味がないわけではなく、イエスの教説などには深く心を打たれるものを感じつつも、全体としては何か古めかしいお伽噺めいた部分が多くて親しめない。使徒の書簡はそこに行くとそういう意味での躓きはなく教説としてまとまって居り、信仰の何ものであるかを学び、そこへと導かれるには適当な理路をさえ備えているように見える。事実教会に於いても、福音書よりはパウロその他の文書が多く説かれ読まれている。
之は日本の教会がなお求道者中心の若い教会である1つの徴であるとも考えられる。併し信仰というものが一応理解され教会に加わり信仰生活を自分の問題として撮り上げてくると、形式的に理解され受け容れられた信仰というものの内実が求められてくる。如何に生くべきかが問われてくる時、福音書は新しい関心と興味の下に再び取り上げられる。そこに我らの主の地上を歩み給うた姿、その個々の問題に当面した時の教え、彼に出会いまた彼と偕に歩んだ弟子たちの姿がそこに見出されるからである。キリスト教の教義が先ず問われる場合には使徒書は適当な手引きであるが、倫理が問題となればどうしても福音書に行かざるを得なくなる。
そしてこの2つはただ直線的系列に於いて前後に並ぶだけではなく、いつも互いに相呼応し相補って行かねばならぬことは言う迄もない。使徒書が倫理をも含み、福音書が教義をも含蓄していることは言う迄もない。併し人々の要求と成長の自然の道行きは右のような順序を示している。文書の歴史的成立の順序も亦この線に沿うて行われた。キリスト教信仰の何ものかを教え之を固うせんとする意図の下にパウロの10通に余る書簡が成立し、パウロの文筆活動の終わった後をうけて福音書の編纂が各地で企てられた。蓋し教えられた信仰の中心であり支点であるイエス・キリストの歴史的地盤を明らかにすることは、信仰によって歴史の世界に生き歴史を作り、新しい世界を俟つ人々にとっては必須のことがらであったからである。
大ざっぱに言えば右の2つの文書群は、信仰と歴史として之を特色づけることも出来る。もとより両者が純粋にその1つを代表しているという意味ではない、この両者が互いに相呼応し相補って1つのものとして信仰者を生かす限り、それは幸いな事態であって夫々は夫々のものとして機能を発揮しうるわけであるが、やがて不幸な事態が生まれて来た。それは教会の3代目の時期であって、両者の乖離・対立が感じ始められたことである。信仰は固定して歴史の世界に生きず、動かず、歴史は昔語と堕して新しい時代に戦い行く信仰者のインスピレーションとはならず、信仰は信仰、物語は物語として分離してしまった。之は具体的信仰の破船を意味する。之を救わんとして一方には信仰第1主義をかざして伝統と形式を重んずる正統主義、他方に知識と霊的高揚とを追及するグノーシスの流れが動き出した。教会は内部から分裂と崩壊の危機を孕んで来た。第3代目というものはどこでもこのような危機を通らねばならぬ。之を克服して初代の精神と生命とを新しい世代に甦らす事に成功した場合には歴史の世界に確たる地保を築くことが出来るが、そうでない場合には、やがて時の流れの中に没し去る運命を免れることが出来ない。歴史的宗教としてのキリスト教、信仰の歴史性を確立して1方には教会として深く歴史社会(世)に根を下さしめ、他方には福音の真理を歴史的に弁証して、神学の成立に道を拓いたものこそヨハネ文書の意義であると見たい。それは信仰と歴史との統一を企てて之に成功し、福音書の世界と使徒の書簡とを橋かけして新約聖書を統一ある経典たらしめる動力となったということが出来る。
右のことは個人の信仰経験に於いても之を徴し証しすることが出来る。求道のひたむきな心が落ち着いて教会生活何年となると何時か信仰の倦怠期というものが襲うて来る。教えられたところ、学んだところが、自分の生活の実質・生命となっていないという反省と嘆きとが生まれてくるからである。教えられたところに曾てのように没頭することも出来なければ、之を棄てて実生活にのみ身を任せることも出来ぬ。この悩みの自然の帰結は残念ながら後者である。ここで無理に信仰を作興しようとして様々な試みをなし、それに失敗して反動的に教会より離れ信仰を意識的に棄てるに到る場合が如何に多いか。自分の小さい経験では、信仰の問題と生活とにとっては、無理は最大の禁物である。
さてそのような場合に、漠然として心を牽かれるものが不思議と多くの人々の場合に一致してヨハネ文書なのである。そしてこの事は実は不思議でも偶然でもない。ヨハネ文書はそのような意図の下に成立しまた存在するのだから。そして信仰の復活をそこで経験する人々が少なくない。ヨハネ福音書は深いとよく言われる。その通りであろう。併し深いというのは思弁的・神秘主義的ということではない。魂の消息に通じているということ、愛の深さに他ならぬ。だから正直にありのままに心を開いてここに近づく人々には、この書物は何か触れ包むものを持っている。ヨハネ福音書の根本に横たわるものは復活と教会とである。これは本文を読まれた読者は既に充分に感得されたことであろう。之は復活と教会の書である。信仰生活に本気で這入り、ここで戦って行こうとする人々がヨハネ福音書に親しみを感ずるのも偶然ではない。この書物は或る意味で新約聖書中発展の最後に来るもの、頂点に立つものであって、使徒時代キリスト教の真髄を示すと言うことが出来る。使徒時代と使徒後の教父たちとを結びつけて、後の教会の発展を実際的にも神学的にも可能にしたものと言うことが出来る。いわば老熟して他を生み育てる書である。その意味で筆者がこの書の講解を企てたことは時期尚早の謗りを免れないかも知れない。
私見に依ればヨハネ第1書が書かれた後に同一著者によって福音書が書かれたと思われる。書簡に於いて訴えられたところを更に基礎付ける為に新しい福音書が書かれた。「世に勝つ信仰」が歴史と信仰との緊張を克服せんとして戦い行く姿が福音書の描かんとする主題であり、この劇詩に心を揺り動かされて読者が同じ劇中の人物となることを著者は望んでいる。この緊張はまた神と人、永遠と時、有限と無限との間の緊張であり、そこに信仰者の立つ姿がある。この姿は弁証法的(問答的)と呼んでもよい。だからヨハネ福音書はイエスの説教を語ることを主要目的としながら、様々な人々を拉し来って問答という形式で之を展開している。弟子たちは時に問答の相手として選ばれ、時に傍らに立って之を見また聴いている。読者と弟子たちとは本質的に異なるもの、また異なる場所に立つものではないことが示されている。

ヨハネ福音書理解の最良の道は書簡を精読することである。読者にもこのことを薦めたい。
邦語文献の中では拙著をも加えて左の3書を挙げておく。
 
         石原  謙 「生命の言」 (春光社)
          熊野義孝 「愛の使徒ヨハネの書簡」
          松村克己 「交わりの宗教」 (西村書店)

ヨハネ黙示録が福音書及び書簡の著者とは別人の手に成るものであろうとは学界の常識であるが、精神に於いては相通うものがあり之も併せて考慮されて然るべきである。ヨハネ福音書を読むに当たってどうしても避けがたいのは共観福音書との関係である。両者を調停し調整するというような仕方ではなしに、ヨハネ福音書を正しく深く読むことによって、共観福音書殊にマルコ福音書がより深く理解され、他方パウロ書簡の意味するところが益々明瞭となるように、そしてそれが新約聖書全体を、統一あるものとして理解せしめるだけでなく、同時に旧約聖書研究にとっても序論的な意味をもつに到ることが、ヨハネ福音書研究の本筋であると考えられる。従ってヨハネ福音書は求道者・初心者には部分的には兎に角、全体としては余り適当とは言えない。
最後に筆者の執筆態度について蛇足を加えることを許されたい。言わなくともしばしば問題とされまた顕わに問われる場合が少なくないからである。本叢書刊行の意図に従って注解ではなく講解という形をとったこと、平易を旨として専門的・学問的な問題は避け、信者のみならず未信者をも考慮しつつ聖書を読む手引きを与え、聖書の読み方を示そうという点、については出来るだけの努力をした積もりである。ただ読者層として標準においた新制中学卒業程度という線はやや守れなかったようで申し訳なく思っている。併し信仰の経験を有する方には決して難解ではなく、逆に経験の全くない方には大学卒業の学力を以ってしても理解に困難な箇所のあるのは、ヨハネ福音書そのものの性質からして止むを得ない。また本書が講解とは言い乍ら説教の趣きを随所に感ぜしめるのは——筆者自らも気付いている――之もヨハネ福音書の性格によるものであって、一面気になりつつも他面本文に忠実なる結果であろうかと秘かに安んずるところもないではない。

次に注解書としてどんなものを参考にしたかと言う問いに対しては力の及ぶ限り可成り色々のもののご厄介になったのではあるが、それらをいま凡て参考書として挙げる気にはなれない。邦語のもので心に残るのは左の2書だけである。

     柏井  園  ヨハネ伝研究
     友井    ヨハネ伝

沢山出ているが読者は手に入るものを読まれたらいいと思う。特にこれをと言うものは見当たらない。外国のものは益々以って多数であり浅学な筆者は見たこともないものも多いが、読みごたえのあったものは(1)と(2)、そして一応参考にして益を得べしと思われるものは(3)と(4)とであり、注解ではなく研究の部に属するがインサイトに富む数々の示唆を含んでいるのは(5)である。

(1) E.Hoskyns: The Fourth Gospel.  1947.  (edited by F.N/Davey)
(2) W.Bauer: Das Johannes Eveangelium. 3 Aufl. 1933.  (Handbuch zum NeuenTestament 6.)
(3) F.Buchsel: Das Evangelium nach Johannes. 1937.  (Das Neue TestamentDeutsch.4.)
(4) G.H.C.Macgregor : The Gospel of John. 1928.(The Moffatt New TestamentCommentary )
(5) E.F.Scott : The Fourth Gospel.

(1)のホスキンスのものは絶筆で、本人の手に成るのは中途まで、あとは弟子である編者がノートに基づいて書いたものであるが流石に迫力は争われぬ。信仰と歴史とのデッィアレクテッィクという問題を取り上げながら、ブルトマンのように之を神学的、論理的、乃至は思弁的とも言いたいような方向に急傾斜の解決を求めずして、事実に即し、伝統を考慮し、今日の信仰生活の土台の上で之を解こうとし、ヨハネ福音書の主題に同感を持って近づとうとしている辺りに尽きぬ興味がある。
古典的なものではカルビンのヨハネ福音書があるが、之はこの人の人柄の故か面白くない。
冗長で一寸辟易するが部分的に面白いものはアウグステイヌスの講解である。
筆者は何を主としてこの講解を書いたかと問われれば、ノート作成に於いて絶えず左右におき多くの示唆を受けたのは右にあげた数種のものにすぎない。併し執筆に当たって手にしたものは邦訳聖書とコンコーダンスだけであった。ギリシャ語本文はノート作成に当たってはコンメンタリーと同じく熟読し、邦訳聖書の訳で不適当と思われる部分は一々印をつけておいたが、之も執筆に当たっては台本にしていない。これは筆者が説教を準備する際にもとる方法である。当たり前の事と思われるかも知れないが気がついて考えて見ると余り当たり前の方法ではないようである。今日邦語の注解書・講解書が可成り出ているにも拘わらず、之はと思うもの、心に残るもの従って胸に響くものを見出しがたく、一応の注釈・説明以上に出るものの少ないのは、外国の注釈書やギリシャ語の本文に依って執筆をしている為ではないだろうか。聖書を経典として読むためには原語によらなくてはならぬという考え方はどうも全面的に賛同しかねるものを感ずる。日本人には日本語の聖書が必要なのである。逆に言えば日本語で役に立たぬような聖書では困るのである。今日改訳の業の進められつつある時、この事を特に委員方にお願いしたい。聖書翻訳の仕事は単なる翻訳ではなくして自国語に聖書を移すこと、自国語で聖書を書きかえることに他ならぬ。新しい時代のために新しい聖書は必要である。が筆者は現行訳聖書が甚だしく不適当なものとは思わない。
今1つ附記して感謝の意を表したいのは近江兄弟社の聖書研究会の人々である。昭和24年の秋から今年の春まで1ヶ年半の間、毎週木曜日朝、数10人の人々と共に学んだ跡が本書を成すに到った。聖書は人々と共に学んでその意を汲み得べきものであり、独り研究して終わるべきものでないことも読者に訴えたいことの1つである。

昭和26年9月19日        洛北の寓居にて  著者

最新の画像もっと見る