ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 5/30

2010-06-06 05:49:29 | ローズンゲン
5月30日(日)
ヨシュアは地にひれ伏して拝し、主の軍の将軍に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言った。(ヨシュア5:14)
キリストの言葉:わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。(ヨハネ12:26)
わたしの黙想
ヨシュアという名前は私の教名である。今日の聖句は有名なエリコ城陥落の直前の出来事で、「私は何をすればいいのですか」というヨシュアの質問に、主の軍の将軍は「靴を脱げ」と命じる。この意味は主(=神)の奴隷となれという意味である。

5月31日(月)
主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。(詩編37:23-24)
キリストの言葉:わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(ヨハネ10:27-28)
わたしの黙想
三位一体論に汚染されていないOTの詩は、単純で力強い。そこには役割分担はなく、全てが一人の神の業である。
6月1日(火)
落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。心を弱くしてはならない。(イザヤ7:4)
目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。(1コリント16:13)
わたしの黙想
宇宙飛行士野口さんがもう間もなく帰ってくる。それを誰も疑わない。もちろん野口さんも確信しているのであろう。でも、万が一・・・・・・・。こういう予想は「心を弱める」。「落ち着いて、静かにしている」とは現在の野口さんの心境であろう。彼は信じている。私も信じる。

6月2日(水)
主は御自分の民の裁きを行い、僕らを力づけられる。(申命記32:36)
神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。(ルカ18:7)
わたしの黙想
正しい審判者がいない民族は滅びる。そこに民主主義の限界がある。「法」は正しい審判者であり得るか。NO。民衆は?。NO.マスコミは。NO。裁判官はもちろん。NO。「神」のみと言いたいところであるが、ここで議論は沸騰点に達する。あまりにも神の代理人が多すぎる。

6月3日(木)
わたしを遠く離れないでください、苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。(詩編22:12)
キリストの言葉:あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(ヨハネ16:33)
わたしの黙想
今日の聖句、何か「甘えたっれている」感じ。母親から離れられない幼児の様子。詩編本文を読むと成る程、「母の胎」のイメージがたっぷり。イエスはこの詩を十字架上で叫んだのか?

6月4日(金)
立ち上がって、我らをお助けください。我らを贖い、あなたの慈しみを表してください。(詩編44:27)
知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。(1ペトロ1:18-19)
わたしの黙想
OTにおいて「贖い」という場合、神は誰にたしして何を支払ったのであろうか。問題はOTにおける「神の犠牲」。
6月5日(土)
あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。(ヨブ42:2)
イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。(ルカ18:27)
わたしの黙想
ユダヤ人の神は面白い。神と人間とが議論したり、議論に負けて「完全降伏」したり。彼らは「全能」ということをそういうこととして理解している。その点からいうと、NTのイエスは「超真面目」で、理屈っぽい。ユダヤ人は理屈っぽそうで、「超理屈」。イエスは日本人に近い。

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