ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 05/22 「さーんげさんげ、ろっこんしょうじょう」

2014-05-24 08:28:29 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。田中利典著『修験道入門』を読む。修験道における、釈迦如来、千手観世音菩薩、弥勒菩薩の三位一体構造が面白い。夕方、博多・中洲の「海山邸」で友人ご夫妻と4人で夕食。久しぶりによく飲み、よく喋った。10時過ぎに帰宅、風呂に入り「花咲舞は黙っていない」の終りの部分を見て11時就寝、6時起床。体調・快調、チュン、チュン。

舟田 譲二さん、金丸 勝彦さん、森分 和基さん、他22人が「いいね!」と言っています。

田中 利典 おはようございます。ありがとうございました。

村田 多鶴子 おはようございます。お守りの内に、佳い時間をお過ごしくださいませm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。次男の部活動説明会に行きます。良き日となりますように。お祈りします。
posted at 06:00:45

文屋 善明
今日の名言:RT @Schopen_bot:
総じて証明というものは、学びたい人々のためというより、むしろ論争したい人々のためのものである。(ショーペンハウエル)
<一言>学びたい人は「証明する時間」が惜しいものである。論争は後ろを向くことを求める。

播 稔さん、東山 富昭さん、塩澤 紀子さん、他17人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:45:50

文屋 善明
NHKこころ旅。砺波のチューリップ園。ふるさとの風景は「宮野山から見下ろす新川平野」。高岡駅から富山駅で乗り換え東滑川駅まで輪行。背の高い高校2年生。宮野運動公園の観覧車が見える。屏風のように立つ立山連山。この辺りに住んでいる人は毎日、立山連山を見て過ごすのだ。世界観が変わるだろうな。

東山 富昭さん、舟田 譲二さん、安田 正人さん、他10人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 金沢時代によく訪れた富山平野。とても、懐かしい景色です~♪
posted at 07:58:55

「昨日のツイート 05/20 迫り来る戦争の足音」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/a1b6d7adde4cf8d9f95f204b0de218d…
posted at 11:50:24

文屋 善明
お目覚めの花。「おお、やっとツツジがおわりサツキの季節になりました」「精一杯、幸せの笑顔を振りまきましょう」。 (写真4枚)
文屋 善明さんの写真

播 稔さん、東山 富昭さん、舟田 譲二さん、他39人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
2014日々の聖句 05月22日(木)
わたしたちの神、主の喜びが、わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを、わたしたちのために確かなものとし、わたしたちの手の働きをどうか確かなものにしてください。(詩90:17)
ヤッファにタビタ、訳して言えばドルカスと呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。(使徒言行録9:36)
私の黙想:
全詩篇の中で、唯一「神の人モーセ」の作とされ、最も親しまれているしであるとされる。特に有名な句は10節、「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」。12節の言葉も心に響く。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」。「生涯の日」をフランシスコ会訳では「残りの日」とリアルに訳している。数えてみると、私の年齢はちょうど70歳から80歳の間で、しかも後ろの方に近い。
「残りの日」を数えるということは同時に「過ぎた日」を数えることでもある。先日もある友人(神学部の後輩)から学生時代のことをいろいろ尋ねられた。何故、そんなことを聞くのかというと、自叙伝を書いているという。彼もそういう歳になったのか。また別な友人は「終活」で縁の各地を旅しているという。私もそろそろ「終活」を始めようかな。

播 稔さん、門叶 国泰さん、丸山 順子さん、他25人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、おはようございます。モーセの詩編があるとは、浅学にして知りませんでした(^^;)

播 稔 私も詩編90の、この部分は正にそのとおりと思います。わたしの母(89歳)も、長生きするのも考えものだ。と言っております。

文屋 善明さんがリンクをシェアしました。
すばらしい判決です。

2014-05-21-ooihanketsu.pdf
www.evernote.com

播 稔さん、糸原 由美子さん、矢萩 新一さん、他50人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 判決文に関しては以下の朝岡先生の抜粋だけで十分です。
https://www.facebook.com/masaru529/posts/756751121022514

小美濃 長堅 勇気ある判決ですね。

文屋 善明 当たり前の判決が「勇気ある判決」だというところが、現在の日本の問題点です。この判決が、上に行くほど歪められていく。国民の注視が重要です。裁判官の名前を覚えておきましょう。

小美濃 長堅 そうですね。関西電力はすぐ控訴したあたり、闇の力の後押しの存在がすぐにわかりますね。

文屋 善明 裁判官の名前は「樋口英明」です。この裁判をひっくり返す裁判官が出てきたら、ぜひ覚えておいてくださあい。

嶋津 雅彦 全文ダウンロードして読んでいます。いずれ、教材として、多くの法学部で取り上げられることになるかも…。

石居 寧 · 共通の友達: 入口 紀男さん
歴史に残る明文ですね。

文屋 善明さんが真野 玄範さんの近況をシェアしました。
これは聖公会では当たり前のことになっていますが、非常によくまとまっているので、聖公会以外の聖職・信徒の方々に読んでいただきたいと思います。
次主日、次々主日の週報のコラムは、聖餐式聖書日課について書きました。ほとんど森主教様が書かれたものを要約しただけになりましたが。
http://michinori-mano.net/?p=3378

北村 良輔さん、清水 行雄さん、呉 光現さん、他14人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 カトリック教会では全国統一で毎週「聖書と典礼」という週報状のパンフレットが配布され、そこには毎主日の第1朗読、第2朗読、福音朗読が書かれ、下の「欄外」に簡単な解説が記されています。因みに、先主日では第1朗読は使徒言行録6:1~7で、「弟子たちは聖霊に満ちた人を7人選んだと説明された上で、各節の主要な用語についての注釈が書かれています。例えば6節の「手を置いた」には「その人に特別な使命が授けられ、聖霊が注がれることを意味する動作であり、今も堅信や叙階の時に行われる」とか、福音朗読(ヨハネ14:1~12)では12節の「もっと大きな業」について、「さまざまな解釈があるが、イエスが神のもとに行かれた後に弟子たちに与えられ、弟子たちのうちに働く聖霊の働きが考えられているのであろう。それはイエスの使命を弟子たちの中で継続する働きである。ヨハネ福音書の中で考えれば、『互いに愛し合うこと』(13:34参照)あるいは『神のゆるしを人に伝えること』(20:23参照)と言ってもよいかもしれない」などと注釈されている。

Satoshi Tanaka 聖書日課の歴史が良く分かりました。

Satoshi Tanaka 2年周期の聖書日課の方はどのような歴史があるのでしょうか。気になってきました。

真野 玄範 2年周期のは、1967年に英国教会と英国のプロテスタント諸教会の合同典礼研究委員会が作成し、1980年の英国教会の『併用祈祷書』に採用されたもので、英国教会の影響がつよい管区を中心に使われているようです。…牧師が森主教が書かれた『主日の御言葉』を持っているのではないかと思うので、それを読まれるとよいと思います。

Satoshi Tanaka ありがとうございます。

文屋 善明 ただし、2年周期の聖書日課は、朝の礼拝と夕の礼拝において使われることを前提にしており、聖餐式用ではありません。私の理解では2年間で聖書全巻を読むということを目指したものですが、全部チエックしたわけではありません。私の個人的な意見では基本的に聖書はこういう「勤勉な形」で読むべきものではないと思っています。

文屋 善明さんが中道 基夫さんの写真をシェアしました。
ということらしいです。
写真
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=689479714444685&set=a.541149312611060.1073741825.100001479877040&type=1&theater

Su Suさん、播 稔さん、山代 寛さん、他30人が「いいね!」と言っています。

真野 玄範 プール学院の先生だった宣教師ロレッタ・レナード・ショーが花子にアンを贈ったということで、聖公会との関わりも少し!

文屋 善明さんが武部 克己さんの写真をシェアしました。
そりゃ、官邸は激怒し、慌てていることでしょうね。

福島原発「吉田調書」の衝撃「流したのは誰だ!」安倍官邸激怒「犯人」探しが始まった~今日のゲンダイより
写真: 福島原発「吉田調書」の衝撃「流したのは誰だ!」安倍官邸激怒「犯人」探しが始まった~今日のゲンダイより

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=663257683745205&set=a.154520021285643.36684.100001829383135&type=1&theater

野間 悦三さん、北村 良輔さん、播 稔さん、他28人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明 もう、誰も官邸の言うことをまともには聞かないでしょうね。そうなると、後は暴力しか残っていません。

堀 俊子 国民はどうにもできないです。

小美濃 長堅 問題は赤線で囲ってある機密保護法ですね。
誰ですか、こんな法案を通す政治家に投票したのは。

堀 俊子 数なんです。

玉城 豊 シェアさせてください。

松下 光雄 http://www.asahi.com/special/yoshida_report/list/
ここで読めるはずですが。
もしかしたら無料登録必要かもです。

朝日新聞デジタル:吉田調書に関するトピックス
www.asahi.com
吉田調書に関する記事一覧ページです。

播 稔 小美濃兄、まったくそのとおりです。真実かつ必要なものをしらされないのが「機密保護法」であるなら、国民は「知る権利」を奪われたことになる。

小美濃 長堅 播さま、その通りですよね。
一部のネット右翼が「スパイ活動に対抗するためだ」などと言っておりますが、どう考えても自分の首を絞めている。何故気付かない?

文屋 善明
山伏が修行のために山を歩く時、先頭を行く奉行さんから「掛け念仏」の大合唱が始まるという。それが「さーんげさんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)」という言葉です。その言葉について田中利典さんは「『懺悔』とはまさに神仏にひれ伏す世界。(これを唱えながら山を歩くと)とてつのもない汗が身体中から流れ出ると同時に、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意の6つ)がきれいに浄化されていく、そういう思いを体験するのです」(『修験道入門』160頁)と語っておられます。大いに考えさせられる。それにしては私たちキリスト者はあまりにも「懺悔」という言葉を軽薄に語りすぎているのではないだろうか、と反省させられます。私が聖公会に転入した頃の祈祷書では懺悔という言葉には「さんげ」というフリガナが付けられ、キリスト者にとっての懺悔は一般の懺悔とは違うので「さんげ」と読むのだと教えられました。ところが最近の祈祷書ではわざわざ「ざんげ」というフリガナが付けられています。いつの間にか「さんげ」が「ざんげ」になってしまったのか、ほとんど説明されることもありません。祈祷書を読むたびに、私は「さんげ」といいますが、他の人から私が間違っていると思われはしないかと心配いたします。
田中利典さんの本を読んでいて、こんなことを思い出しました。「さーんげさんげ、ろっこんしょうじょ」と大声で礼拝の合唱したらいかがでしょうか。

野間 悦三さん、播 稔さん、立部 瑞真さん、他20人が「いいね!」と言っています。

小美濃 長堅 六根清浄は「どっこいしょ」の語源ともいわれています。
私の母は修験道の研究者でした。新城美恵子で検索すると出てきます。
息子の私でも彼女の論文はさっぱり?でしたが。(笑)

文屋 善明 新城美恵子さんのこと調べてみました。大変な研究者なのですね。素晴らしい。

小美濃 長堅 キリスト者の文屋先生にそう仰って頂けますと、彼女も喜んでいると思います。(笑)

文屋 善明 前にも書きましたが、私は修験道こそ、仏教や神道が成立する以前の宗教の原点だと思っています。ユダヤ教もモーセの山での経験であり、キリスト教でもペトロを始め3人の弟子の「変容貌山」での経験が復活体験の背景を形作っていると思っています。

文屋 善明 ただ、田中先生は仏教に気を使ってというか、やはり仏教との出会いにおいて宗教という形が成立した、とお考えのようです。

小美濃 長堅 修験道は原始宗教だと私は思っています。ただ、宗教としての体をなすにはやはり仏教との出会いが必要だったと思います。新城も半沢覚円坊の論文の中でそう申しております。

文屋 善明 それがおそらく最もスタンダードな見方だと思います。キリスト教もヘレニズム文化との出会いにおいて宗教としての体裁が整ったのだと思います。それを従来はヘブライズムとヘレニズムとの出会いといいます。その合流点にアウグスチヌスがいたとされます。

小美濃 長堅 なるほど。ギリシャ神教がなくてはキリスト教も成立しなかったと言うことですね。興味深いお話です。
それでは、何故ヘレニズムなのですか?エルサレムには他にアラブ系の原始宗教もあったはずですのに。

文屋 善明 イエスのユダヤ人だし、初期の頃はキリスト教成立以前はユダヤ教の一派だったことははっきりしています。

小美濃 長堅 そうですね、ユダヤの一派でした。つい失念を(笑)
故にヘレニズムなんですね。

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