ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

美味しいご飯(お米)について

2008-11-09 21:03:10 | ときのまにまに
わたしは美味しいご飯(お米)にこだわりがある。よく、ご飯が美味しいと、おかずはいらないという声も聞くが、確かにその言い方にも一理あるが、それよりもご飯がおいしいと、おかずも美味しいという言い方も出来る。
最近、北九州在住の友人から美味しいお米をいただいた。その友人も美味しいお米にこだわり、このお米を作るお百姓さんと親しくなり、家族で食べる1年分のお米をその人から購入するという。確かに、美味しかった。
その数日後、先日紹介した福島君の汗の結晶を分けてもらい、食した。これも、確かに美味しい。いずれも劣らず、美味しい。百姓さんが手抜きせず、気を入れて作ったお米は文句なしに美味しい。
奈良に住んでいた頃にも、美味しいお米にこだわり、月一度、往復3時間かけて御杖村まで合鴨農法で作ったお米を買いに行っていた。これも、実に美味しかった。おまけに年末には一年働いてくれた合鴨一家を感謝の心で成仏させるという司祭ならではの特権に預かることも出来た。残念ながら、合鴨農法は鳥ウイルスの流行で現在中断中であると聞く。
美味しいご飯(お米)を食べながら、ご飯(お米)のおいしさとは何かということを考えさせられている。そんなことを考えながら食べていたら、せっかくの美味しさもすっ飛んでしまうのではないかと、心配する向きもあるが、そんなことはない。そんなことで、ご飯の美味しさがなくなるほど、お米は軟弱ではない。
味、香り、歯ごたえ等々、美味しさの基準を当てはめてもご飯(お米)の美味しさをそのままに表現することはできない。逆に「まずいご飯(お米)」はなぜまずいのか、すぐに言える。ところが、美味しいお米の美味しさを表現するのには、どんな表現も不十分である。まさに、「これがご飯だ」としか言いようがない。
先日、福島園のお米をお裾分けした友人から、下記のような「賞味報告」をいただいた。
<本日は、福島園の「夢つくし」をお届けいただきありがとうございました。実は、我が家も「夢つくし」を常用していますが、福島園の「夢つくし」は一味もふた味も美味しくて、家内共々お代りをする位でした(いつもは、そのような事はしません)。福島君のような青年が、これからの日本の農業を支えてくれるんだと思うと、何か応援したくなります。取り急ぎ賞味報告と御礼を申し上げます。奥様にも宜しく。(11月2日付け)>
ご飯(お米)の美味しさは「お代わりするぐらい」としか表現できないし、またそれが最高の表現である。もちろん、現代のこと「食べ過ぎ」には注意を要するが、「食べ過ぎるほど美味しい」とか「毎日食べても飽きない」というのが本当の美味しさである。美味しいご飯を食べながら、日本人に生まれてきて本当に幸せであると思う。

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1 コメント

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Unknown (福島光志)
2008-11-10 23:58:05
おいしいお米の表現、実にむずかしいですよね。ほんとに「おかわりをするくらい」というのがその情景を思い描きやすくていいですね。
自分のお米をそこまで評価していただいて、本当にうれしいです。ありがとうございます。
そして、僕はそんなお米を作れる田があることに、またそんな田を守ってきた爺さんに、感謝したいです。
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