ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 03/19

2017-03-22 10:11:47 | ツイッター
お早うございます。主の平和。昨日は一日中、寝たり起きたりで今日は気持ちのいい朝を迎えた。ズーッと考えていて、やはりヨハネの復活論は生前のイエスの思い出論なのだ、と思う。それで少しも矛盾しない。夕食後、「スゴーイデスネ」、「古舘伊知郎ショー」を見たが、大したことはなかった。要するにからまわり。11時に就寝。5時半起床。体温:36.3、血圧(137:71、79)、体調・快調、チュン、チュン。

29 小貫 ツマさん、松井 信一さん、他27人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
昨日は朝から孫たちが来、連れ合いは、講演に来られた奥田知志先生を迎えに浜松駅へ。珍しく38度の発熱で、孫たちに昼食を食べさせてから夕方までずっと寝て過ごしました。幸い今朝は36度9分まで下がって、礼拝でみ言葉に依る養いを頂けそうでホッとしています。午後の婦人会総会への出席は微妙ですが…。
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m
礼拝が祝されますようにm(__)m

東山 富昭 おはよう😃ございます。今から、聖日礼拝です。よろしく、お願いします。

藤木 冨士子 こんばんは。

文屋 善明
3月19日 5:49 ·

お目覚めの花。「今日は大斎節第3主日だ。大斎節も一番苦しいところ。登山でいうと6合目あたりかな」。(今朝の花は、一昨日、散歩道で見かけた白いお握りのような花、たぶんコブシです)
画像に含まれている可能性があるもの:空、木、植物、屋外、自然

38 山本 友美さん、小貫 ツマさん、他36人
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藤井 衞 これはハクモクレンです。

杉浦 紀明 以前、「花の名前はどうでもいい」とおっしゃった善明先生が珍しいですね(笑)。

文屋 善明 だから花の名前をいうのは嫌なんです。

文屋 善明
3月19日 6:13 ·

2017 日々の聖句 3月19日(日)
あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも(、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることも)ないからである。(申命記4:31)
パウロの手紙:あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリピ1:6)
私の黙想:
約束の成就、これが申命記のメッセージ。ただし「約束」は片方だけでは成立しない。約束を交わした両者に義務がある。今日の聖句の場合、最終的着地点が問題ではなくて、そこへ至るプロセスが問われている。神は決して、見捨てない、滅ぼすこともしないと約束された。民の側では、どこまで従っていきます、離れません、裏切りませんという約束である。この約束の面白い点は、対等な関係というよりも絶対的に強い者と非常に弱い者との約束である。弱い者は離れたら生きていけない。強い者は相手が離れていっても痛くも痒くもない。だから、「約束」という観念が意識の中から飛んでしまう。そして「絶対服従」ということが、肥大化し、人格的な関係、つまり「愛の関係」が見失われてしまう。それが律法主義の落とし穴である。その結果が「奴隷化」「隷属化」である。
イエスが語る「神への愛」とはそれを克服し、本来の「約束関係」に戻ることを語る。それが「幼子のような信頼」である。

30 北村 良輔さん、Izumi Naraさん、他28人
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川田信子 Amen❗

文屋 善明
3月19日 6:28 ·

今日の名言:@daVincibot
間違いというものは、自分の仕事よりも他人の仕事の中に見つけやすい。絵を描くときには、平らな鏡を使って、そこに自分の作品を映してみるとよい。すると、絵が左右逆に映し出される。誰かほかの画家によって描かれているように見え、じかに自分の絵を見ているときよりも、その欠点がよく見える。(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
<一言>そうかな?ただ、左右が逆に見えるだけじゃないのかな。本当の意味で、自分の描いた絵を、他人が描いたものとして見ることができるのだろうか。それは方法論の問題ではなく生き方の問題だと思う。

19 北村 良輔さん、Izumi Naraさん、他17人
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福永 澄 私はグラフィックデザインを生業としていますが、自分の制作物を客観視することは、真の意味では出来ないのだと思っています。出来ることは、制作のプロセスで自分を疑う作業を怠らないこと、スケジュールの許す限り、途中で立ち止まることを恐れないことです。まあ、それとて主観でしかあり得ないのですが、せめてもの仕事に対する誠実さなのだと思っています。

峯田 敏幸 絵の場合、裏側からあるいは鏡に映して見るのは大切です。私も常にやってますよ。自分のクセやゆがみを見つけることができます。ダ・ヴィンチがここで言ってるのは単にテクニカルなことでしょう。

文屋 善明
3月19日 6:30 ·

イミタチオ・クリスチ(429)
患難も喜び、キリストへの愛ゆえにそれを楽しむことができるようになれば、その時こそ全てのことはあなたの益になり、この世は天国になる。逆に、苦難があなたを覆い被さり、それから逃げだそうと喘ぐとき、苦難はますます付きまとう。2:12:53~54

25 佐藤 静代さん、小貫 ツマさん、他23人
コメント

川田信子 Amen

文屋 善明
3月19日 6:44 ·

「昨日のFB 03/17」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

13 Izumi Naraさん、北村 良輔さん、他11人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
3月19日 7:34 ·

4年前のローズンゲン、この年も申命記からの聖句だった。ここでは、私自身の幼児体験が語られている。
4年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2013年3月19日 · 福岡県 宗像市 ·
日々の聖句2013 03月19日(火)
あなたたちは、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。(申1:31)
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。(1ヨハ4:16)
私の黙想:
一般化していいかどうか分からないが、少なくとも私の場合、最も古い父親の思い出は何歳の時か、多分紀元2600年の式典の時、人混みの中で父親が私を肩車にしてくれたことである。その前後も、またもっと沢山の楽しかったこともあったはずなのに、あの時のことを時々フッと思い出す。多分、それはあの時一度だけのことだったと思う。何故それがそれ程大きな出来事だったのか、まったく理解出来ない。大人の腰ほどにも達していなかった小さな子供が、一挙に大人たちよりも高い目線を与えられたショックだったのか、その時見た光景が素晴らしかったのか、よく分からない。でも「たった一度の経験」がそれから以後、今も、ズッと続いているのはその時の経験だけで、それ以外のことは時間の経過の中でほとんど消えてしまっている。このことを公に語るのは今日が初めてである。

14 二上 英朗さん、Izumi Naraさん、他12人

文屋 善明
3月19日 15:21 ·

ただ今、教会から帰宅。聖研では予定の3分の1程度しか進めませんでした。大漁物語、共観福音書ではイエス在世中の物語として描かれているが、ヨハネはそれを復活物語に持ってきている。むしろこちらの方が本当に近い感じがする。今日はその取っかかりだけ、まぁいいか。ヨハネの復活物語、イースターを挟んでじっくり取り組むこととする。

25 小貫 ツマさん、徳善 義和さん、他23人
コメント

村田 多鶴子 お疲れ様でした。
私も、婦人会総会を終えて、今帰って来たところです。

Mizota Michael Satoshi それが私の問題意識にあるんです。再読構造を了承しながら、のちの福音書が出来上がったと考えればようやく理解できることだからです。

文屋 善明
3月19日 16:42 ·

今日の宇良の対戦相手はベテランの琴勇輝、身体も大きく、手強そう。懸賞は6本、スゴーイ相撲の結果、送り出しで、宇良の勝ち。

20 藤木 冨士子さん、寺田 由志子さん、他18人
コメント

草薙 恵美子 今場所の琴勇輝は冴えません。丸亀生まれ小豆島育ちなので、香川県民として応援しているのですが。(>_<)

文屋 善明
3月19日 21:45 ·

日曜日教会に行って春日和 善明

22 佐藤 静代さん、川染 三郎さん、他20人

文屋 善明
3月19日 22:09 ·

こっちの方に似ておれば・・・。でもマザコンだからね。

橘井 克向
3月19日 22:06 ·
安倍晋三の母方の祖父が岸信介である事は(特に護憲派の間では)よく知られた事実ですが、父方の祖父については余り知られていません。その人物の名は安倍寛(かん)。1894年4月山口県生まれ。東京帝国大学卒業後、1928年「金権腐敗打破」を公約に掲げて第1回男子普通選挙に立候補しますが、あえなく落選。その後、地元の村長や山口県議会議員を経て、1937年の衆議院選挙で初当選。この選挙で徳島県から初当選した三木武夫とは生涯に渡る盟友でした。当選後は持論の金権政治打破を唱える一方「国民政府(蒋介石)を相手とせず」という声明を出した時の総理・近衛文麿に異議を唱え「昭和の吉田松陰」と呼ばれるようになります。続く1942年の衆議院選挙では大政翼賛会が定数一杯の候補者を推薦する中、盟友・三木武夫と共に非推薦で再選。戦争早期終結・東條内閣打倒を訴えますが、既にその体は結核に冒され始めていました。そして1945年、敗戦。翌年に控えた第1回男女普通選挙の準備を始めますが、既に結核は末期に達しており、1946年1月、51歳の生涯を閉じました。清廉潔白を貫いた反骨の自由主義者・安倍寛よ、永遠なれ。

11 佐々木 弘幸さん、望月 克仁さん、他9人

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