Kainoa Blog

音楽家社長 鴻池薫の音楽活動&レッスン記、思う事等 徒然日記
since 2006

デイープ・パープル初来日公演1972年8月

2007-06-02 21:55:55 | 僕のロックな話
今回はデイープ・パープル初来日公演の話をしましょう。
1972年8月15日~16日大阪フェステイバル・ホール
8月17日日本武道館

日本公演プログラム                 ライブ・イン・ジャパン

僕が見に行ったのはもちろん8月17日日本武道館です。日本公演の記録は、「ライブ・イン・ジャパン」としてアルバム化されているのでご存知だと思います。あれは大阪と東京のベスト・テイクをミックスしていますよね。これを聴くと、あの時の興奮が甦ります。まさに怒涛のハードロック!すごい演奏バトルでしたよ。

演奏はCDで聴けるし、語りつくされてるから別の事を書きましょう。

会場内の警備が厳しかった:入り口でテープレコーダー、皆取り上げられてましたね。まあ、これはツエッペリンの時もそうでしたし、当然でしょう。
客がスタンデイング出来ない:熱狂して立ち上がろうとするとすぐガードマンがやって来て椅子に座らせられちゃいました。コンサート中、ずっとそんな事が続くので、客のフラストレーションがたまり、方々で小競り合いが勃発。

とうとう前の方で大喧嘩が始まってしまったんです。見たらそれが、結構インパクトある喧嘩で・・・。立ち上がった長髪の兄ちゃんを座らせようとしてガードマン(ガードマンと言っても制服を着ているようなのでなくバイトのお兄さん達)が注意したら、長髪が激怒してTシャツ脱いで殴りかかったんです。

そしたらその兄ちゃん、背中一面すごい刺青で、腕っ節が強い。ガードマン、やられてました。周りの客が喜んじゃってすごかった。もしかしたら日本武道館内にいたすべての人の中で一番強かったんじゃないかと。それ位の勢いで激怒してました。何人かのガードマンに取り押さえられてどこかへ連れていかれましたけど、拍手喝采になってました。アリーナにいた人、皆知ってるんじゃないかな~??(大笑)

教訓としては「人は見かけによらない」と。(笑)

演奏はライブ・アルバム化されているので、当然素晴らしかった。デイープ・パープルが日本でのライブをまさかライブアルバム化するなんて、思ってもみなかった。これはすごくファンは喜びましたよ。だって日本なんてロック状況はまだまだだったですから。日本が認められた~なんて思いました。身近に感じましたね、パープルを。

イアン・ギランは、先ほどのように、客が立ち上がらないので(実際は立ち上がれない)
ので、怒っていたようでした。「お前ら、何でノラねんんだ~!!ガッデム!!oni」って。リッチー・ブラックモアはギター壊しパフォーマンスやってました。ストラトもったいねえな~、と思いましたが、後で友達と「あれって絶対フェンダーじゃないよな~?」
って盛り上がってました。(笑)

彼らよっぽど日本が好きになったらしく、1973年「紫の肖像」で「ウーマン・フロム・トーキョー」なんて曲をやってましたね。第二期最後のアルバムです。

個人的にスタジオ録音盤では、第二期の最初の「In Rock」が一番好きで、その次は「Machine Head」につきます。


1970年作「In Rock」           1972年作「Machine Head」


第一期の大ヒット「Hush」1968年シングル盤


当時の情報では、リッチーブラックモアは固いセルマーのピックを使っていたそうな。
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今日のレッスン&出来事

2007-06-02 16:10:54 | ウクレレ、ハワイアンソング&スラックキーギターレッスン
今日は東京いい天気ですね。窓を開けると涼しい風が入ってきます。1階練習室の窓からは 菖蒲の花が咲いているのが見え、今の季節にぴったりでなごみます。

item2大神さん:SKG個人:Keali'is Mele:最近ブログの「ロックな話」部門に俄然コメントを寄せてくれる大神さん。今日はCのメジャー・チューニングでコピーし直し。今まで解明出来なかった部分がほとんどクリアーされました。
item2Pure Hearts?櫻井さん、林さん:Hilo Hula(新:Kumukahiバージョン):前回Ahuliliを始めたのですが、曲目変更。クムカヒ・バージョンのHulo Hulaをやる事になりました。歌とコードをやり、転調の仕方をレッスン。
item2午後2時石井さん、本山さん:Henehene Kou 'Aka:今日は以前解説を書いたIZのソングブックから「ヘネへネ・コウアカ」をやりました。譜面のTab譜が違う部分を直しながらコードストロークを練習しました。



菖蒲に花が咲きました。




今午後4時をまわったところ。天気いいので、ちょいと街に出てみますね。
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僕のロック芽生え編その6 渋谷のロック喫茶BYG

2007-06-02 04:11:38 | 僕のロックな話
僕が始めてロック喫茶というものに行ったのは中学3年の時です。

僕はまだエレキやりはじめ。ところが麻布中学に行った僕の友達がすでに麻布中でバンド組んでて新宿でバンドの練習やるから、来ない?って事になって新宿御苑スタジオ(通称ギョスタ)に行ったんです。彼らはギター、ベース、ドラムの3人編成で、クリームの「I Am So Glad」とかがんがんやり始めたんで、めちゃくちゃびっくりした!ギターのT君はSGモデルでこれホントものすごく上手い。一緒にツエッペリンの「Whole Lotta Love」かなんかやったけど、とてもかなわなかったですね。だってまだ僕は友達の兄貴から借りたロケットみたいな形したギター(たぶんエコー)をビニールの袋に入れて持ち歩いていた程度だったもの。(カッコ悪い~)
中学は長髪禁止で髪の毛もまだ短かったし・・。

それでその後、渋谷に繰り出してロック喫茶BYGに連れてかれました。当時のBYGは、靴を脱いで入る「絨毯喫茶」で、ロックが大音響でかかっていて長髪のお兄さんやお姉さんがたむろして怪しい雰囲気でした。特に2階は・・・。

当時はブリテイッシュ・ロック全盛で、クリーム、ツエッペリン、キング・クリムゾン、デイープ・パープル、フリートウッドマックあたりガンガンかかっていた気がします。アメリカのではオールマン・ブラザースとか。マウンテンも。
それにしても、一緒に行った僕の友達連中は「何でこんなとこもう知ってんだよ!?」
と思いましたね。

それ以来、とにかく沢山いろんなロックのLPが聴けるんで、高校時代は学校の帰りに行ったり、土曜日、日曜日はよく行きましたね。LPは高くてさすがにそんなに買えないから。コーヒー一杯で3時間位はねばってたんでしょう。

ただ、たまに靴を盗まれちゃうんですよ。だから盗まれたヤツはまた人の靴はいて帰っちゃう。最後に帰るヤツはどうしたんでしょうね?(笑)
地下にはライブ出来る所があって、僕が見にいった時はジャズのライブでした。

今でもBYGは渋谷の百軒店街にそのままあり、営業しています。これはすごい事です。
1968年だったかな、オープンが。70年代に沢山生まれたロック喫茶で、渋谷の他の店は全部なくなってしまいました。今はアメリカン・ロック中心、というイメージで
やっています。勿論店内は「絨毯」じゃあありませんよ。今でも時々行きますが、壁は落書きだらけの当時のまま。もしかしたら高校時代に落書きしたのがそのまま残っているんじゃないかな~?

僕がよく行ったロック喫茶は渋谷「アナザー・サイド」、渋谷の明治通りにあった「明治通り」、原宿表参道と明治通りの交差点のビルの上にあった店(名前忘れた)、新宿歌舞伎町の「レインボー」、「サブマリン」です。どこも煙草の煙がすごかった。


現在のBYG

隣は同じく超老舗の「名曲喫茶ライオン」!こっちはあまり行った事がない。百軒店街には他にジャズ喫茶も多かった。


原宿の名前忘れたロック喫茶には、ジミー・ペイジそっくりの店員さんがいて(ホントよ)、行くとドキドキしました。(何を考えてたんだ俺は~!?笑)

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