今の私の体感はこんな感じ。
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この世は自分が主人公の映画だと言われれば、全く驚かずに「そうなんだろうね」納得する。
だって、役者を演じているのは私の「本体」という体感がはっきりあるから。
与えられた肉体をまとったというのか、操っているというのか、要は「私を生きている」スパコンのようなとてつもない存在が、絶えず心臓を動かしたり食べ物を消化したり傷を治したりしているどころか、立ったり座ったり歩いたり、仕事に行ったりスーパーに行ったり、家事をしたりアマゾンで注文したり、友達と会ったりブログを書いたりの一切をやっているのを、私という小さなセンサーのような意識体が「ありありと」実感できる。
いちいち強く意識しているとキリがないので、ゆるく感じるようにしているけど、私(と思っている小さな意識体)が、私の行動をゆっくりと追い、観察するとよくわかる。
「ホントだ、次々とまるでシナリオがあるかのように勝手に行動が起こる」「私はそれを眺めているだけなんだ」と。
そういうわけでただ眺めているだけで、確かに「平凡な主婦の日常」という映画を観ている気分になる。
頭の声を、言われるまま他人事のように聞いたのと同じように、次は自分の身体と行動を観察しているうちに、これもそういうことかと実感できた。
結果、日常から「面倒くさい」が消えた。
「あー私がやらなきゃ」「今日もあれやってこれやって頑張らなきゃ」という気合も消えた。
逆に「てきぱき動くなあ」「働き者だよね」と、そのなめらかな動きに感心するくらい🤣(自画自賛というような、でもそうではないような?)
いやこれ、怒涛のワンオペ育児の頃に知りたかったわ😭
単純に日常から「面倒くさい」が消えただけで、人生って激変すると思わない?
過去の後悔や未来の不安が消えるもいいけど、私はこれが感動だった。
そうやって面白く眺めている時は、当然ながら「今」に在り、今に在ると必然的に五感を味わうことになる。
必死の瞑想もワークも何もしないまま。
これはおそらく、私があまり人と関わらない生活を送っているからと思う。
一日の大半を、仕事など緊張した大勢とのコミュニケーションに関わっていたら頭もなかなか静まらないと思うんだけど、たまたま外で一人仕事をする環境だったりが要因と思う。
ちょっと何言ってるかわからない、信じられないと思われるかもしれないけど、記録としてただ残しているだけなので。
ネドじゅんさんの仰るように「天使が舞い降りたり、龍が駆け抜けたりするわけじゃない地味な毎日」であり、私自身は「モタモタのヨレヨレのままで何も変わらない」
そしてただ穏やかな幸せを感じる。
聞いた通りだなあと。