珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

二人のオカン

2025-01-04 | 精神世界
前にナオキマンショーの動画でも紹介したけど、私が目指したいと思うモデルを挙げるとこんな人。
この感覚、この感性、このナチュラルさよ。


この人は本を読んで勉強したんじゃなくて、子供の時から「ワタシという名前や感情は表面的な付属品で、自分を生きているのは中にある本体。その本体が生きているのであって、本体と一体になっていれば草や石も友達で疎通できる」とごく当たり前に知っていた。
ここまであっさりしてると何も言えないわ🤣


一方で、人生半ばでそれを悟ったふつうのオカンは、それがわからない人の気持ちにすごく寄り添ってくれて、懇切丁寧に仕組みを教えてくれる人。

私にはどちらも魅力的。
要は、本体と自分の意識にタイムラグがあるとこれに気づかないわけで、私はそれを知ってから、ひたすら本体をストーカーをしている日々。
常にピタッとくっつきたいから「心他に非ず」
後になってそれをマインドフルネスというのだと知ったけど、これがもう面白くてたまらない。

そういえば去年まる一年断酒して、お正月に缶チューハイを一本だけ飲んだら、アッと言う間に眠りに落ちて、完全に下戸になってしまった。マジですよ?🤣
また飲み続けたら強くなると思うけど、今は感覚を研ぎ澄ましてキレキレにする方に興味がわいてしまったので、もう暫く飲まないでいよう。
冗談じゃなくて、単純にアルコールより刺激的なんですよ、これが。
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ストレスなし

2024-12-17 | 精神世界
結局私は、つつがなく頭が静かになった。(もともとうるさくなかったけど、今は静寂というくらい静か)
何か浮かんだら「あー浮かんだ」と思うだけ。
別に浮かんでもダメとも感じないし、いちいち「浮かんだ内容についてジャッジしちゃいけない」とも構えず、笑って「ふうん」ぐらいに返事しといたら勝手に消えた。

あとストレッチとお風呂(万年シャワーだけど)の時って、自然と身体の感覚に集中するから、これもいちいち「身体を意識する時間」なんて作らなくてよかった。
仕事は昔から、一人で外で、頭をカラッポにしながら目の前からゴミが消えていくのを見ているのが、断捨離好きの私にはたまらなく快感で、それが更に強くなってゾーンに入ってしまう。

なので私の場合は「頭の声って自分じゃないんだ~、なるほど!」と腑に落ちただけで、瞑想とかワークとかしないまま、マインドフルネスというものにあっさり馴染んでしまった。
これが一般に難しいものだとしたら、何の特技もないと思っていたけど、私にはたまたま向いていたのかも?!

そして確実にストレスゼロになった。
恐怖も不安も見事に湧いてこない。
後悔はたまにくるけど、それこそ「見たら引っ込む虫」みたいな感じ?
もともと楽天家な方かもしれないけど、にしても?というビフォーアフターを感じる。

一番思うのは「だって何の努力も苦労もしてないのに?」という不思議さだ。
筋肉をつけたかったらハードな筋トレとか、ダイエットしたかったら辛い食事制限とか、貯金したかったら節約とか、福運をつけたかったら沢山の題目とか、何らかの代償を払った自覚がないこと。
これが単純に面白くてビックリである。
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覚醒を伝えたいだとか2

2024-12-09 | 精神世界
一般に「目覚めた」という人は、「自分の頭で考える」ことがそれだと言っている。
権威やメディアの言うことはもちろん、思考停止になって鵜呑みを求められた宗教のドグマを、華麗にブン投げることが覚醒。
(これホントに何度も聞いたわ)

そんな中で、マインドフルネスというのは「思考をとめなさい」と言うので、
「ええ?また~?せっかく停止していた思考が動き出したのに?どっちやねん?」みたいに思うかもしれないけど、この場合の思考を止めるとは理由が予想外で、その思考は自分じゃないから。

どういうことかというと、頭の中であーでもないこうでもないと自分っぽく語っている声を、客観的に聞いてみるとわかる。
てっきり自分と思っていた頭に浮かぶ声が、他人ごとのように観察できる。
その客観的に観察している存在が、本当の自分であると。

本当の自分が、「自分っぽく思考していたソレ」を観察を続けていくと、やがて「ぽいジブン」はパワーを失って、本当の自分の下部(しもべ)になってくれる。
(バビル二世でいう、ロプロスとかロデムのようなものか)

なんで「ぽいジブン」を黙らせて下部にした方がいいかというと、これは体験した方が速い。
とにかく心に平和が訪れる。
無駄な不安とか恐怖とか、過去の後悔からくるイジイジが消えてくる。
そして感覚が冴えてくる。
更にこれが人の本来の「当たり前」で、上限がなく、そのうちひたひたと喜びまで勝手に湧き上がってくるというから驚きだ。

この思考を止める方法は複数あって(唯一正しいはない)、呼吸法とか「今この瞬間を意識する」(思考は今が嫌い)もあるけど、私は全部試した結果、この「思考を客観的に見る」がいちばん好きかな。
難しく考えないで、からかったりツッコんだりして遊ぶんだよね。
私の場合はこれがかなり効いたらしく、めちゃくちゃおとなしくなったはいいけど、働いてほしい時までヘタレているので、ミッションを与えて励ましているくらい😅 

思考が消えると自動的に自分は「今」にいる。
今にいると、「多いなるもの」(神)と繋がることができる。
本当の自分が、実際に神と繋がるというダイレクトにくらべたら、「それっぽいジブン」が何かの宗教を信じだところで、多少の慰めにはなっても、お粗末な代用品でしかないとはよく言ったもんだ。
だって単純におカネはかるし、組織に入らなくちゃいけないし、勤行や活動も求められるし。

ネドじゅんさんの出現もあって、今やブームになった『悟り』は、並み居る宗教ビジネスを木端微塵にするんじゃないだろうか?
そして何度目よ?っていう「覚醒した!!」が始まるんじゃないかな😅 


参照👇 
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感覚を思考を使って書く

2024-12-08 | 精神世界
精神世界では、起こる物事に問題があるのではなく、それはただの「状況」であり、問題は受け取り方で起こるとされている。

要は起こる状況を、本来の自分がありのままを見るか、
思考に捕まって一体化した幻の自我が諸々(過去や未来や正義感やプライドや感情やらアイデンティティってやつやら)をかき集めて歪曲して見るか。

本来の自分とは「今この瞬間に、身体の神経や細胞と共に居続けている、思考(自分とは別物)に乗っ取られていない意識」であり、物事がそのままクリアに見えて、大いなるものと言われるものに繋がっている状態。
大いなるものというのは書きようがないけど、繋がると、思考とは比べ物にならない知恵と調和と愛をもって生きていける、人生ゲームのスーパー攻略本のようなもの。

これは思考では理解できない感覚なので、こうして言葉にしたところで、これを頭で読むと「はいはい、このスピの理屈を信じろと?」になってしまう。
なので、頭ではなくて感覚で「そうなんだ~」程度で入れればいいのでは?と思う。

以上、私も感覚で納得したことを、「文章だけ思考を使って」書いてみた。
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今を肯定しなさいの謎

2024-12-02 | 精神世界
スピチュアルの理解しにくいところの二つ目は、これではないかと思う。
「今に抗わず肯定しなさい」「今は完璧なんです」「思考(エゴ、左脳)はNOを喜ぶのよ」
私も最初は「え?じゃあ例えば詐欺でやってるマスクやワクチンや、ばかばかしい自粛に反発するなっていうの?だってこれって正当な理屈じゃん?」と思った。
この単細胞を、鮮やかにぶった斬るのが「キレスピ」というべきか。


まずもって「こんなバカバカしい詐欺に騙されないでマスクなんかしないワタシ」とか言ってるのは幻のワタシであって、幻の作ったドラマである。
人間の中には「思考」よりもはるかに深淵な意識が存在しており、そんな思考を「ふうん、そんなふうに思ってるんだ~」と観察できたらそれがホンモノの私。
ホンモノの私は、怒っても悲しいんでもおらず、恐れても退屈もしていない。
それらの感情は「私」には属しておらず、やってきては過ぎ去る存在なだけ。
にも関わらず、殆どの人は自分と思考(自分のナリスマシ)と同一化してしまう。

今一瞬に集中すると過去も未来もないわけで、今のありのまましか見ない。
それができるのがホンモノの私で、時間とセットじゃないと起こりようがない否定や批判や比較をして「わかった」と言いたがるのが、思考の成す技である。

「あの人はあんな人」と評価するのも、その人の真の姿じゃなくて「固定観念」という、
人を観念のレベルにまで下げて見ていることになり、的外れで失礼も甚だしい。
純粋な意識に根差して無いこのような状態が機能不全であり、この
自分=思考と勘違いしている夢から覚めることが覚醒。

余談だけど「刺激、刺激がほしいんだ!!」と思ったら、誰かの書き込みに刺激を求めるんじゃなくて、「刺激がほしい」と感じている自分の感覚を観察してみてください。
「あ、それワタシじゃないし~💦」と気づいて、退屈まで消えていきますよ
😆
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怒ってはいけないの謎

2024-12-01 | 精神世界
一般に「はいはいスピね」みたいに、スピチュアルを嫌う理由を切り取ると「怒ってはいけない」ってやつじゃないだろうか?
私みたいにそんなことも知らなかったくらい無知なタイプでも、昔(といってもコロナ騒動最中の3年ほど前)、スピ系と呼ばれるインフルエンサーのセミナーに通っている人が
「世の中がどうあれ、私は幸せだから」とか「デモなんて波動が下がることは私はしたくない」
という言葉を聞いて驚いたことがあった。

なんでおかしいことをおかしいと言って抗議しちゃいけないの?
黙ってたらOKと思われるじゃない?
それは自分がたまたま狂った政策をされても、たいした打撃も受けない仕事をしているからじゃないの?
困っている人がいっぱいいるのに、自分さえよければいいの?
いや、こんな反感を買うのをわかってながら言うんだから、それに深い理由ってやつがあるなら知りたいわと、めっちゃ好奇心がわいた。

なのでこの「スピなんか」と言う人たちと摩擦を起こす「怒ってはいけない」という切り取りについて書くと、多分こういうことでは?に挑戦しようと思う。 


私が納得したエックハルト・トール氏やネドじゅんさんの指南書(そのくらいしか知らないけど)では、基本の基本に、
通常ワタシと思っている自意識(個我というのかエゴというのか頭の中で勝手にしゃべり続ける思考)は、本当のワタシではなくて、本当の自分とは魂というべきか神と繋がった生命そのもので、ナリスマシとは別という前提がある。
ざっくりいうと、ニセの自分と本当の自分ということですね。

スピチュアルというのは、この基本を知って聞かないとチンプンカンプンで、事実何もしらなかった私もさっぱりわからなかった。

であるからして、幻のワタシが作り出した、怒りを並べた正義なんてものはエックハルト曰く
エゴというものは恐れと欲望が主な感情であり、多かれ少なかれ「被害者意識」という要素を含んでいる。その根幹は恨みや苦悩とされており、それが強いと中心核になっている人もいる。
例えあなたに恨みを抱く正当な理由があったとしても、自分でアイデンティティをこしらえたことに変わりはなく、それは自分を観念という牢獄に閉じ込めるのと一緒である。
その思考が、結果自分に何をもたらしているか観察してみてください。
犠牲者話に執着するその思いで、話を語らずにはいられない強迫的な傾向に気づいてください。

と一刀両断している。
少なくとも私の知ったスピチュアルというものは、このようにふわふわどころか、はっきりとストレートでキレキレだ。
そして、思考と対極である本当の自分(魂)のもつ威力というものについては
そのような心の状態を観察する人になってください。
観察する側が本当の自分です。
取り立てて何もする必要はなく、気づくだけで充分です。気づくだけで(意識も現実社会も)変容と自由がやってくる。
全意識を今この瞬間に向けると現れる叡智は、あなたの人生を突き動かしはじめる。それはエゴとは比較にならないくらい、物事が効率的で充実感も喜びも無限大に拡大する。

と、じゃあデモも批判も怒りもしないから何もしないのではなくて、その代わりにアイデンティティというニセの自分を押さえて、叡智と繋がる「今」に没頭するのだと言っている。

「怒ってはいけない」という切り取りだと偽善に聞こえるけど、それは言葉足らずであり、実際はナリスマシの主張に従う非効率より、比較にならない生き方があるからそっちの方を選んだ方がいいよと、そういうことですね。

私が知らないだけかもしれないけど、この「怒ってはいけないVSスピにハマった」の分断を解きほぐす、わかりやすい解説がなかなかないので書いてみた。
個人的には、やっと意味がわかって満足。 
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思考との対話

2024-11-30 | 精神世界
私の左脳(思考)は、左脳のくせに先のことを考えるのは苦手で、過去の記憶は確かに得意なんだけど、かき集めてくるのは何というか、ホントにしょーもないことばっかりで憎めない。
(すっかり忘れていた昔勤めていた会社の、初めての飲み会のカラオケで、誰が何を歌ったとか、ホントにどうでもいいことを突然持って来たり😅  )
随分無口になったのに「久々に来たらこれかい!!」と、おちょくったりツッコんだりして遊んでいる。
「そうじゃなくてもっと重要なミッションがあるでしょってば。忘れ物のチェックとか適格な言葉のチョイスとか…」と言い聞かせながら、今もまあまあうまくやっている。
皆、なんか必死で「消そう」とかしてる中で、私は楽しんでいるはいいけど、遊びすぎかな?と思っていたら、こういう動画を見つけて声を出して笑ってしまった。

私は他人の思考なんてもちろん聞こえないし、自分の思考(左脳意識、エゴ)だって、私が一方的に言うだけで、相手の返事までは聞こえないけどね。

でも仮にいつか聞こえるようになっても、ビックリしない自信はある。 
めっちゃ喜んでノリノリで話すよ😆 
聞えない今でも一日中ノリノリで話しかけてるんだから、あーやっと返事してくれたかと思う。
呼び方は何でもいいけど、そういう機能意識の数々や、神と呼ばれるものを、1ミリも疑うことなく当たり前に腑に落ちすぎているので、びっくりする理由がない。
地球外生命体も同じくらい、当たり前すぎて驚かないし。

毎度のこれです。
ここまで解明されて体験談が広まっても「そんなのオカルト」「だって学校で習ってないし」「テレビでも新聞でも言ってないし」と言う人がいたら、30秒ほどフリーズするくらいびっくりするけどね。

ちなみにネドじゅんさんの次の本でも「左脳さんと対話した内容」が載るそうなので、それが楽しみである。
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楽しい仕事2

2024-11-26 | 精神世界
私の仕事を見る子供の視線がおもしろい。
大人は「あ、掃除ね」とチラ見して、心ある人は感じのいい挨拶をしてくれたり、お礼の言葉を言ってくれたりするけど、幼児くらいの子は決まってじーっと観察を始める。
まだ「掃除をしている」なんていう概念がなくて、うちでお母さんが掃除機をかけたりしているのは知っているかもしれないけど、何やら長い棒のようなものを持って(ホウキやモップ)廊下やエントランスをウロウロしているのが、不思議で気になって仕方ないらしい。

一つの物件で1歳くらいの男の子がいつも食い入るように私を見つめるので、微笑んで手を振ると、向こうも無言で手を振ってくれた。
以来、会うと必ず見つめ合って手を振り合うようになった😍  
(ちなみに1歳にしてめちゃイケメン♡)
「いつも謎の道具を持って謎の動きをしている生き物は、自分に反応して手を振る」とインプットされたようだ。
これが幼児の目にうつる世界で、彼は私にも私の動きにも何のラベルも貼らないで「ありのまま」を見ているのだと思う。

ありのままを見ると、世界は信じられないほど生き生きとしており、その味わいから目を逸らせないそうである。
海外旅行とか、見慣れない風景の町へ行くと「知ってる、わかってる」が少し収まって、「ハッと見入るような感覚」になるけど、ずっと遠い昔、忘れてしまっただけで、私たちはそんな世界を見ていたのだ。
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楽しい仕事

2024-11-25 | 精神世界
マインドフルネスというものを知って、何が楽しいって私は仕事が楽しい。
いや仕事に限らず何をしていても楽しいんだけど、とりあえず仕事が楽しいって幸せじゃないだろうか?
私の仕事は一人仕事で、上司や同僚がいない上、集中してないと数字を間違えるとか、指を切り落とすとか、言葉一つでお客様の機嫌を損じるとかがない。
「そんなラクな仕事なら気楽にやれて楽しいだろうよ」と思うかもしれないけど、一歩間違えば退屈で地味で、お洒落もできないし、黒子すぎてやる気が出ないかもしれないし、少なくとも「ルンルンで楽しい」なんてモチベーションは続かないのでは?

これはなんで楽しいかというとゾーンに入ってやっているから。
小さい子供が遊んでいる時って、時間も自分も忘れて夢中になっているけど、あれと同じです。
小さい子供って、別に難しいことや崇高なことをやっているわけじゃないけど、めちゃくちゃ集中している。それと一緒で内容は単純作業でも全然いいんですよ。

誰にも邪魔されずに、思いっきり自分の世界に浸れるのに一人は最適。
しかも殆ど外で、風を感じながらそれができるのは最高。
私の意識は今この瞬間、世界で何が起こっていようと、目の前の落ち葉を掃くことが全て。
心ここに在り。このど真ん中に在り。
ここからどこにも行かない、行きたいとも思わない。
そんな状態が幸せじゃなくて何が幸せなのかと思う。

こんな清掃のおばちゃんに掃除されているマンションの住人が、「ついでに」幸せだったらそれはよかったと思うけど、私の幸せには遥か適うまい。
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黒歴史とは?

2024-11-24 | 精神世界
思考が特に好きなかき集め。
「それって黒歴史だよね?やーいやーい」
これに責められて苦しむ人が多い。(苦しむ=ずっとそれにとらわれて栄養をくれて万々歳)
自分のそれがあまりにも苦しいので、矛先を「他人のソレ」に変えて、かき集めて憂さ晴らしをすると、憂さ晴らしどころか更に自分の思考が活性化して、自分の憂さが倍増する。
苦しいので、更に自分じゃなくて他人を見る→もっと辛くなるのループにはまる。

黒歴史って、なぜかいつもベストセラーな物語。
結局、手放した方が「自分が」得なんですよ。

思考(左脳)って、それに代わる他のミッションを与えれば喜びますよ。
前に出てどーでもいいことをぺちゃくちゃ喋るんじゃなくて水面下でもっとデキル奴になってくれと、私はお願いした。
水面下でデキル仕事…何や流行りのプランみたいじゃないですか
🤣
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事実を見る

2024-11-24 | 精神世界
少し前までは「ウイルスがない」という事実は、ただ受け入れる事象だったのに、それを見て見ないふりをして受け入れない医者には腹がたった。
両方とも「氷は冷たい」「血は赤い」というような、ただの事実で何ら変わらないのに、後者にだけ「ワタシの正義」がわく奇妙さ。
「ワタシ」の大好きな、過去や未来からワタシをかき集めて、アイデンティティを作りあげる要素があるからだろう。

「ウイルスがない」ように「殆どの医者にはそれを認める勇気がない」
ふたつとも「ない」という厳然たる事実であり、事実というのは抗わず受け入れるしかない。
受け入れるというのは「それを正しいとして認める」ことではなくて、そういう色メガネで判定することではなくて、ただそれが幻ではなく現実だと認識するだけのことだ。

レイプをしようが殺人をしようが横領しようが不起訴にする司法や、国民が困窮しようが増税しか頭にない財務省という、幻ではない確固たる事実も、抗わないで受け入れる。
「ワタシは認めない」とか「もっとやれ」とかいうフィルターを外して、起こった事実のみを受け入れる。

精神世界を知っていくと、「ウソが嫌い」「騙されるのがガマンならない」「ニセモノが嫌だ」と言っていながら、いちばん身近なニセモノの思考、幻のワタシを信じ切って拠り所にしてしまう人が多いことに気づく。
私もずっとそうだった。

頭に勝手に浮かぶ思考が「自分であるに決まっている」と思うなら、自分の意思でそれを止めてみればいい。
もしも止めることができたら、それに気づいて止めた方が本当の私。黙ったのがニセモノである。


以下①も②もただの事実👇👇
 




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試せば速い

2024-11-23 | 精神世界
意識が神経に交わってくると、わかりやすく神経が太くなる。
私のように元々が図太い人はわかりにくいかもしれないけど、例えば多くがギャンギャン騒ぐ「同調圧力」なんてソフトなものには、どうってことなくなるのでお試しを。

神経が太い=鈍いんじゃないですよ?
感覚は鋭敏になるんだけど、神経が強くなるんだから最強。

空気が読めないのではなくて、しょうもない空気も、虚栄も恐怖も芝居もビンビンに感じる。
それを余裕で味わえるくらいに。
相手が何を言おうと、本音(だいたい言ってることと裏腹)がわかるんだから全然怖くない。
意識を自分に向けている人には「大いなる力」が全力で力になってくれるので大丈夫。


実際に下記のように言っても、脈も鼓動も速くならず、澄み渡った空のようにいられるのでお試しを。
👇👇
Xより
【 予防接種の断り方】
「ウイルスが存在しないから打ちません」 予防接種を打ってほしいなら風邪や病気の患者の体内からウイルスだけを直接分離してウイルスだけをココ(目の前)に持ってきてください。(←絶対に不可能)
断るときは、相手が絶対に反論できない言い方で断らないとダメなの。 相手に少しでも言い返されたり、言い負かされるような断り方では弱い。
ウイルスは存在しないという知識が無い人は、けっきょく断り方が弱いから相手の同調圧力に負けるの。
接種を勧めてくる奴っていうのはバカなんだから、そのバカな奴に言い負かされちゃダメなの。 
ワクチンを安全か危険かで判断している人はワクチンのことをまだ何も分かってない。 
「ウイルスが存在しないから打ちません。打ってほしいならウイルスの実物を持ってきてください」っていう断り方が一番反論されないの。
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リアクション2

2024-11-21 | 精神世界
私のパソコン机まわりは、それなりに自分の好み、落ち着ける空間にしてある。
といっても写真でお見せできるような豪華なものじゃないけど、小物入れの引き出しと、YAMAHAのスピーカーとクリップライトを置いて、横にある嫁入り前の古いタンスに、ホワイトボードを貼り付けて、気に入った写真や小物を並べている。

日用品と収納オタクの私は、そういう引き出しやホワイドボードに何をどう配置するかを決めるのが好きであるが、それ以上に小物のどれもを、いつ買ったか、誰に貰ったかを全部覚えていて、それが重要だった。
例えば「食い倒れ太郎のチャチハタ」は大阪に行った時、たこ焼きを食べ歩きした街のお土産屋さんで買ったもの。大切な思い出だから大事なものだなあとか。

それが最近は、人形もマグネットも「そのもの」をただただ味わうだけになった。
好きなものとはいえ、100均のものでさえ、まるで美術館の展示品のように色や形やデザインをじっと見ているだけで退屈しない。
別に精霊が宿っているわけじゃないけど(笑)、可愛いものがより可愛く思えるというか。

人形も写真もマグネットも「今」ここにあるのだ。
「いや、何年何月前からあるよ」と理屈や観念を言われても、私の前に現実として「今」あるんだもん😆 

キーボードの手を止めて、ただそれらを見る。
可愛さをしみじみと感じる。
それだけで幸せな気分になる。
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リアクション

2024-11-20 | 精神世界
時事ネタの見方が変わってきた。
内容も興味なくはないんだけど、それを見た時の自分の反応を見る方が面白い。
今までは、何しろカオスな時代なので、頭に来たり、呆れたり、ショックを受けたり、ざまーと思ったりしていたんだけど、「ただそのまま見る」ようになった。
「見る」というか、「そう見えるようになった」と言った方が近い。

と言っても決してサイコパスになったわけじゃなくて、血も涙も生き生きと脈打ちながら、一方でなぜか拳をふり上げたりするテンションが起こらない。
しっかりと見て、状況も明瞭に理解して、現実をしかと受け入れているんだけど、薄くなったワタシは日に日に無口になっていき、……………と黙っている。
教室で先生に当てられて「どう思いますか?」と訊かれて、クラスメイトも注目して何か言うのを待っているのに、どうやっても何も出てこず、黙るしかない感じ。
今まで色を変えて3パターンぐらい得意になって書けた読書感想文が、一字も浮かばなくなった感じ。

でも心が冷たくなったわけじゃない、この感じ。
恋が冷めたように嫌になったわけじゃない、この感じ。
努力して意識してこうやってるんじゃなくて勝手に変わった、この感じ。

その一方で、今まで体験したことのないこの不思議を、強い好奇心をもって、書かずにいられない私は何も変わっていないんだよね。
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海流、自動思考の消し方

2024-11-18 | 精神世界
単純でおもしろい実験。
目を閉じて「今、どんな考えが浮かんでくるだろう?」と頭の中に思考が浮かぶのを見張ってみる。
現れたら捕まえてやるぜ、みたいな感覚で息を殺して待つ感じ。
でも別に、ゴキブリやヘビやネズミが現れるのを警戒しているわけじゃないから、緊張もしないし恐怖心もない。

「今に在る」ってこうすれば簡単に体験できる。

すると「…………………」と、本当に思考は止まる。
なるほど。今にいると思考ってホントに黙るんだ~?と思う。

これをちょくちょくやって、なんかちょろちょろ出てきたら、いいも悪いもなくふうんと眺める。
だって自分じゃないんだから、いいとか悪いとかどうでもいいというか、何か言ってるわ~と真に受けないで眺められる。
そうして勝手に流れる思考を、自分と同一化しないで他人事のように見ているうちに、自然とヘタレていく。
流れてくるのも勝手なら、ヘタレていくのも勝手で、自動思考ならぬ自動消滅ですね。
消えていいんですよ、もともと幻なんだから。

呼吸法とか一生懸命やってる人が多い中で、こんな軽いノリでいいんだろうか?と思うけど、エックハルトさんは「やり方は複数あって、どれか一個でいいんだよ~」と言っておられたので、参考までに私はこんな感じ。
(「沈黙」とか「空間」からも入口があるそうで、それは私には難しすぎた)

あくまで私の場合は、これで過去や先のことが何も気にならなくなったのは確か。
甲斐バンドのHEROが大好きだったのもよかったのかもしれん。
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