頭の中を勝手に流れる思考や、たまにやってくる怒りやショックなどの感情を「なんか来た」と、他人ごとのように見始めると面白いですよ。
「え?自分の考えや感情こそが自分自身じゃん?他人ってアンタ、それを手放したら自分というアイデンティティはどうなるのよ?個性もなくなるし」
と私も最初は思ったけど、なぜかそういうものはどんどん興味がなくなっていく。
それが自分の大事なアイデンティティとも、尊い個性とも思わなくなったからだと思う。
例えば世の中でいろんな出来事があって、皆がいろんなこと言ってて「一体どれが本当なんだろう?うっかりこれを信じたら騙されるんじゃないか?そんなみっともないことはイヤだ。ワタシというメンツを賭けて頑張って見極めてやる。騙されないゾ」と、必死になっていろんな書き込みやら動画を見てウンウン考える。
これがアイデンティティ?
そんな暇があったら、熱い珈琲をゆっくり味わって、一分一秒私をたゆまなく動かして整えてくれている身体に心を向けてみる。
身体に意識を向けている時、私の意識は「今この瞬間」にいて、そうすると、どこの誰かもわからない声や、人気のインフルエンサーや、偉い先生より、もっともっとスゴくて優しくて間違いのない大いなる存在が喜んでくれて、私を心地よくさせてくれて、さらに直感をプレゼントしてくれる。
或いは「これを見なさい」「こうしなさい」という化身を、絶妙なタイミングで届けてくれたり。
その直感に従っている方が、ウンウンと考えては「見誤った、裏切られた、被害者だ、加害者だ」とジタバタするより効率よくプレイできるんだもん。
スピチュアルというと神聖なイメージがあるかもしれないけど、私にはゲームの攻略本という感じが近いかな😅