今回はこれ。
役職をもって大変な思いをしてきたバリ活はすぐ覚醒できるけど、ラクしてきたユル活やチョイ活はなかなか覚醒しないのですか?
昔人気のアンチブログで、私もそう書いたことはありました。
が、今改めて考えるとこれは、言葉が足りないかなと思います。
(それと人によります)
ちなみに私はアンチブログを3日読んだだけで「あらま、そうだったの?」と迷わずあっさり心も活動も決めました。
今までの人生を否定するのは苦しいとも思わなかった。
それはチョイ活ゆえんでしょ、と一言で終わらせないで頂きたい。
私はほぼ二世で、鼓笛隊や大河グループ、文化祭で根本から鍛えられた勤行も欠かさない狂信だったし、それなりにしっかり担当していたよ。
無責任な性格でもないつもりだし、居留守とか返事無視とか無断欠勤とかそういうことは、どんな分野であれ嫌いな性分。
大変な役職を受けなかったのも「ラクしたかった」とかの一言で片づけられるのも心外で、外部との結婚や仕事の事情や一つではないことを強く言いたい。
ユル活やチョイ活みたいな調子のいい人は覚醒しない…これはそんな単純なものじゃなくて、誤解を恐れずに書くと、そういう人たちはとっくに覚醒しているんですよ。
言ってみれば
「おかしいことはやらない、やらなくていい」
「おかしいことにはやらないからって後ろめたさなど感じない」
「組織活動や、人の言うことなんていいところもあれば悪いところもある」
「組織活動と信仰心は別」
もともとこういう部分だけは覚醒しているんです。
いちいちこういうことを言葉にする人がいないか少ないだけで、最初からこれはわかっているんですよね。
だから「ユル活、チョイ活は一生覚醒してないで、妄信したままな残念な人」という見方は私はちょっと違うと思っている。
バリ活から見るとここがわからないかもしれないけど、元から何から何までを妄信はしてはいない。
会員なら妄信の「100」で、やめたら覚醒の「0」ではないというか。
このまま組織が衰退して、ユル活、チョイ活だけが残っていったら、組織もそういうおとなしい組織になるでしょう。
強引なおばちゃんが嫌いとかパワハラ気味の男子部体制が嫌いという意見はよく聞くから、ならば、それならでそれでいいじゃないでしょうかね…とある意味、楽観的にみることもできるかなと。