珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

よかれと思って

2019-02-28 | 海辞典
よかれと思って
「善意で」「親切心で」等の意味を持つ言い回し。
しかし言葉とは裏腹に、良くない結果をもたらす事も多く、しばしば言い訳・弁明めいた使い方すらされる。
(ニコニコ大百科)

相手に対する親切心から何らかの行動を起こしたさま
この表現が使われた場合、実際には相手の利益にならないまたは相手が利益に感じない行動であったという意味が含まれることが多い。
 (実用日本語表現辞典 )


これを言う前に、相手のための「よかれ」なのか、自分にとっての「よかれ」なのか一考すべしと思う。
案外、自分の気が済むための「よかれ」なのでは?
こういう人には、相手が自分で決めるという「よかれ」はない。
(デジタル海辞典)
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閑話休題 海原やすよともこ 『歳を取ると・・・』

2019-02-27 | 閑話休題
海原やすよともこ 『歳を取ると・・・』


私はお笑いタレントにはかなり疎い方で、お笑い番組もバラエティも殆ど見ない。
だけどこのコンビは昔、テレビでたまたま一回だけ見て、大笑いしてしまった。
大好きである。
その一回きりしか見たことない方々で、名前もうろ覚えだったけど、検索したら大人気なんですね。
今更ですね、きっと( ;∀;)

ところで、関西人から見たら東京の人って声小さいの?(笑)
私は無駄なことが嫌いだけど、好きなことには
無駄に相当テンション高いぞ。
言いたいことなら声もガンガン出す。


娘の担任が、娘いわく「無駄に元気で、無駄に声デカイ」っていうけど、私は先生見てるとスカッとするけどね。

いや私だって「割り切れない」も「曖昧」も「暗に」も「ニュアンス」も「微妙」も「遠回し」も「ほどほど」も、これでもわかる人間ですよ(笑)
でも珈琲一杯分で終わるように、無駄な言い回し、「ためる」はなしで、これからもサクサク書きます。

 関東も関西も好きな海なのである。



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思い込みを考える3

2019-02-26 | S教団関係
昔、中学くらいの時。
恋愛話で夢みる夢子ちゃんたちが盛り上がっているグループの中で、一人大人っぽいT子がクールに言い放った。
「でもね、嫌いになったら余計なことまで腹立つよ。
私、仲良かった友達が嫌いになったことがあるんだけど、そしたらその子の給食のスプーンの持ち方まで腹がたったわ。離れた席にいるんだけど、は?何?なんであんな持ち方?って」

スプーンの持ち方に、腹が立つ持ち方と立たない持ち方があるのか……(・Θ・;)??
その話がおもしろくて何故かずっと覚えている。

あれからウン十年。幾年月。
ある時、私はスーパーでばったり会った、ただの奥さんがふつうに笑っている顔が、能面みたいで気持ちワルイと思った。
スプーンの持ち方どころか、笑顔の一つまで癇に障るものがあった。

ゾッとして、その時は
「MCされてる人の顔って怖いなあ」と思った。
「ああ正気になれてよかった」と思った。

だけど、思い込みに操られていたのはどちらかだったのか?

先日、同じ奥さんに同じスーパーで会って、同じ笑顔を見た。
以前と同じように会話した。
ごくごくふつうのどうってことない笑顔だった。

「何か」にフィルターがかかっていて、「何か」から解放されたのは実は私の方だったのだと、この時ようやく気付いた。
思い込みってそんなものと思う。
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食器の話

2019-02-25 | 趣味の話
食器のコメントを書いていたら、食器の話を書きたくなってしまった。
別にブランド志向でも、今も高級なものを使っているわけでも全然ないけど、私は無類の食器好きである。
洋食器でも和食器でも、グラスでもポットでもマヨネーズスタンドでも。
食卓に置くものなら何でも好きというのかな。

これは子どもの頃、いい食器に囲まれて目利きが育ったのでも何でもなくて、その全く逆と思う。
うちには、何かというとテーブルをひっくり返しては皿を投げつける男がいたので、スーパーのワゴンセールのような安いものしか置けなかった。
床に散らばる、灰皿や新聞や安い食器。
ステキなテーブルセッティングどころではない。

一方で母親の手料理は、本当に何でも美味しかった。
だけど、テーブルにギンガムのクロスをかけて、花を飾ってキャンドルを灯して、なんて夢のまた夢。
でも「だからこそ」私はそれに憧れて、やりたいことの輪郭の一つがはっきりした。
いつか自分の家庭をもって、こんなふうな食卓が囲めたらいいなあと。

「ない」からこそ、描くものがある。
生かすも殺すも、まずは経験ではないかと思う。

娘にも、母のようになりたいでも、或いは「母みたいにはなりたくない」でもいいよ。
そんなものどっちでも構わないから、私はこうしたいという強い希望が生まれるといいなと思う。




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二世問題

2019-02-24 | S教団関係


これは結婚できない女の言い訳の一つだそうである。
「親のせいでこうなった」というのは、別にSに限らず、いろんな分野でやたら言われることと思う。
共通するのは、そういうことを殊更言いたがる人は、歳をとるごとに悪化するそうである。

「親の育て方のせいで人付き合いが苦手」とか「親が厳しくてやりたいことがわからなかった」とか。
結婚したらしたで「親のせいでろくでもない人と結婚した」とか。

選挙権をもってから何十年たつ人の発言とは思えないほど責任転嫁、といわれるそれら。

じゃあ素晴らしい両親に育てられた人は、皆すばらしい人と順風満帆に結婚するのだろうか?
複雑な家庭に育った人は皆、おかしな人生を歩むのだろうか?
親の他にも影響されることはいっぱいあるでしょうに。

以前、仕事のトラブルで落ち込んだ時、夫に言われた言葉。
「人を殺しちまったとかじゃあるまいし、取返しのつかないことなんてない」

もう一つ見つけた言葉。
「自分と未来しか変えられないのに、過去と他人のせいにしていたら何も変わらない」
納得。
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これでも主婦

2019-02-24 | 日記
子どもが4人もいる義姉が、クリスマスに家族の予定がバラバラで「何とも寂しいね」とボヤいていたことがあった。
たった3人家族で一人の時間もかなりありながら、もっと一人でいたいとしょっちゅう思っている私にはやはり仏様みたいなお方である。

考えてみたら、私は映画と買い物は断然一人が好きだし、食事も一人で美味しく食べられる。
ちなみに我が家は、滅多に揃わない休日がたまに一緒になっても、食事の時間も食べるものも別々というくらい全員がマイペース。
見たいテレビも全然ちがうし、誰も合わせない、付き合わない。
たまに家族で一緒に買い物にいっても、時間を決めて全員が別行動してしまうことが多い。
こんなんでよく主婦をやってるなあと思うくらいである( ;∀;)

でも寂しくはなくて「これがちょうどいい」のである。

夫と趣味や価値観がちがうとお悩みの方は、しろくじゅう何でも一緒。
どこに行くにもついてくる夫に悩む妻もいることを、想像してみては如何だろうか。

何でも一緒の仲良し家族が、当たり前のように掲げられている中で、「これがふつう」とコントロールされるのはつまらない。
居心地よさは、わざわざ言わないだけで、人それぞれではないだろうか。
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リアリストだけど

2019-02-23 | 思うこと

 一般に女は現実的である。

私もそうだと思う。

初恋の相手を未だに変わらないものと信じて、引き出しにしまっては時々そっと出して眺めている暇があったら、スーパーで一円でも安い野菜を探している( ̄∇ ̄)

でも、理屈で解明されていないことを全部否定するタイプではないと思う。  

これはあまり人に言ったことのない話だけど、母親から聞いて「ふうん」と思った話。

今から十数年前のある日、家の中で突然気分が悪くなって倒れた母親は、そのまま救急車で病院へ運ばれた。

その時母が、「あれ?」と驚いたのが、床に倒れている自分を「上から」見下ろしていたことである。

倒れて動かない自分の名を呼んで「死んでしまった…」と呆然とつぶやく母親(私には祖母)の「光景」と「言葉」が明確に見えて聞こえる。 

その景色を見て驚いた。

色がない。 

黒とグレー。 

その二色しかない。

どんなに目を凝らしてもその二色しかない。

なんで?どうして?と思って周りを見ても全てがその二色。

そして景色が何というか「静止」している。

風が吹いても何も動かない絵を見ているような異様な感覚。

しかし、不思議に冷静にその状況を受け入れて「ああ自分は死んだんだ」と思ったそうである。

すると突然、「ストン!!」とその世界は終わった。

その後、救急車に乗せられたりという意識はあったいう。

私の母は冗談というものをまず言わない、真面目一直線の堅物といってもいいお方だけど、そういう人が言ったので、単純に「ふうん」と思った。

 

後にその手の文献を読んだら「色」はこの世にしかないと書いてあって 、信憑性はわからないけど、そんな知識がない人が見たのが白黒の世界だったことに納得した。

4/25日の「これ何ですか?」という記事同様、この世には「理屈では説明できないものがある」ようである。 

https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/104e71beaeb66049c8430576464c3f19

 

私自身は霊感など皆無の人間だが、そういうことは全く「怖くはない」

過去に、十数年、会ったこともなくて思い出しもしなかった人が突然夢に出てきたと思ったら、その日、その人の訃報を告げる電話を受け取ったことがあった。

このような不思議な話に出会うと否定せず、素直に受け入れる。

知識がすべてじゃなくて、感覚を信じる「現実的」な人間もいるということである。

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結婚の障害

2019-02-22 | 娘と夫の話
あまり他人の恋愛や結婚事情など知らないできたが、いろんな理由で破局、破談があるんだなあと思ったのがネットで知った下世話な話題の一つである。
まあ破局や破談なんて、ふつうは人に話さないからね。

家柄がどう、宗教がどう、親がどうで、それらが壊れることって多々あるんだ…
結婚には一般に重要視されるそんなことすら、私はあまり深く考えたことがなかった。

もともと私はよくもわるくも「自分だけ」を、笠に着るものも引け目もなく見てほしいという気持ちが強かった。
付属品など置いとこうよと。
とはいっても結婚となると、ある程度はその人の背景を判断したいと思うもんである。
そんな中で夫は風変りな人だったと思う。
どんな事情があるのか知らないけど、18歳から一人で都会で自活しているような人間をむしろ面白がって、家柄、学歴、財産、宗教など、めんどくさいことを一切問わず「俺が選んだ」の一本やりを通して結婚したのだから。

若かった私たちにはそんなことが、変わっているとも何とも思わなかった。
まあ二人そろって世間ずれしていたんだと思うけど、自分たちにはこれが「ふつう」だった。

この歳になって親になって、これから先どうなるのか知らないけど、あれやこれやあっても「そんなもん自分次第」と思うのは、持って生まれたものなんだろうか。
願わくば娘もそんな人と一緒になってほしいと思う。



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便利な言葉2

2019-02-21 | S教団関係
マインドコントロールという言葉は、有名歌手が合同結婚式を挙げたとか、地下鉄でテロを起こした団体が騒がれていた時からよく聞き始めた。
でも「巧みな情報操作によって、行動や思想や感情を誘導するのがマインドコンドロール」で、
「テレビコマーシャルや学校教育にもマインドコントロールはある」というなら、
そんなことはカタカナ文字の呼び方はなくても、昔からどこにでもあったことだと思う。
むしろ、あれもこれもMCになってしまうというか。

そんなものは「ない」とは私は言っていない。

私は、超がつく男尊女卑の男が、女が魚の頭の部分を食べるだけで癇に障って
「それは生意気で、女なんか尻尾を食べてればいい」
と言っていたのを知ってる。
例えばそういう思想を、MCなどという言葉もしるはずがない子どもの頃から、一体どこで誘導されて染みついたのやら?と思ったもんである。

それはさておき、一般に「マインドコントロールされた」というのは、極端な思想に傾倒してしまったなどで不都合を感じた時、それを強く否定したい人が、自分なり人に使いたがる言葉と思う。
侮蔑や同情を込めていう言葉といおうか。
ちがうかな?

S教団の人たちは、K会など他宗の信者を
「バカねえMCなんかされちゃって」
と軽蔑をこめて笑っていた。(そんな映像も見せられた)
他宗はMCだけど、自分たちはそうじゃない。
「だって自分たちは正気で冷静で、充分に考えて納得しているから。そんな頭カラッポのMCなんかと一緒にしないで」
と言っていた。
 ところが教団をやめた途端、一転「私はMCされた」「頭がカラッポでスカスカだった」と譲らない。

好きだった時は「正気でじっくり考えて納得している」
嫌になったら「思考停止でコントロールされていた」
傍から見たらやっていることは同じとなのに、言い方一つで全く変えるんだなあと思う。

ならアンチブログをくりかえしくりかえし読んで、なるほどと思って気持ちが誘導されるのは何なのか?
あれもこれもSのせいで、ボロい家に住んでいるのも、部屋が散らかっているのも、遠慮がない性格も、不都合は聞こえなくなって、気に入らないことを言われると興奮して論破したくなるのも、すべてSが原因だと通販CMのように印象操作するのを聞いて、そうだ、そうだとはしゃぐのはMCじゃないの?

自分が納得しているうちは違うみたいである。
(また気が変わって後悔したら、MCだと言い出すかもしれない)

私だったら、そんな言葉があるとしても
「自分がそれがいいと思った時はそれを選んで、違うなと思ったらやめた」と言うけどね。
なぜと言われてもよくわからないけど、人の言葉じゃなくて自分の言葉で話したいのかな。
自分の人生は、未熟なのも不運なのも何に影響されるかも、自分次第と思うからかな。
自分で責任をもって自由に生きていきたい、という思いがあるからかな。

関連があるのかわからないけど、私は「宿業」という言葉も入ってこなかった。
自分じゃない「何か」に支配されるような感じが生理的に苦手なんだと思う。
(その時も「無知」だの「笑える」だのいろいろ言われて、偉い先生のコピペなど読まされたけど)

MCされたといえば、少なからず他人のせいにできたり、同情されたりするとしたら(私の偏見かもしれないけど)それがむしろ不快。
「MCされた、MCされた」とやたら言いたがる人も「何か」好きじゃない。

何度も言っているように、これは私のただの感覚である。
賛成なんて全然しなくて結構だし、誤りなのかもしれないし、もちろん正しいなどと言ってないし、布教しようとも押し付けようとも思わない、私のボヤキである。
ただのボヤキを書いている小さな個人ブログの言葉。
そんな多大な声を乗せてる、影響力があるオバケブログでもなんでもないしね。

でもね
「マインドコントールがないと思ってる人間が宗教問題に口を出す資格はない」
(「ない」とは言っていないよ。私には実感できないといってるだけなんだけどね)という意見はわからないなあ。
「自分はそうは思わない」に留まらず、それを越した独善を感じるわ。
あなた、人の発言の自由をどうこうするそれこそ資格でもあるの?

「その手の無知な人間とは関わってはいけない」
「このような人間と関わるとろくなことはないのが世間の常識である」

はい、関わらないのが常識とまでいうなら、まず自分が関わらず、わざわざ読まなくていいのでは?
自分が思うのみならず、人に警告鳴らすほど私の一ボヤキが脅威ですかね?(笑)
撲滅でもさせたいですか?(笑)

「自分が無知であることを自覚できないほどの傲慢無礼な性質」
と感想を言いたくて、結局関わりたいのかな?と思うけどね。

この発言については、傲慢で無礼な人っているんだなあと思った次第である。 
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記憶2

2019-02-20 | 日記
娘の最初の試験の結果で顔をひきつらせた家庭教師も、私同様、回を重ねるごとに微動だにしなくなった。
(微動しろ( ;∀;))
「今回は顔色一つ変えなかったよ」
(嬉しそうに報告するな( ;∀;))

これは環境適応能力の高さか?
打たれ強くなったのか?
それとも緊張感と瑞々しさが失われたのか?
私がやさしく寛大なのは生まれもったものとして、嘘泣きでもして必死さをアピールしろーーーww
いやいや先生、エールです( ̄∇ ̄)

ちなみに暗記を司る海馬は、うれしい、楽しい、悲しい、切ない、といった人間の感動や好奇心により活性化するそうである。
まったく興味のないことを、うれしいも悲しいもない能面頭に詰めこんだところですぐ忘れる。
私もさんざんやったからよく判る。

一方でしょうもないことを「忘れたくても忘れられない」という人もいる。
(私も受験の時に言ってみたかった)
能面ではなく、感情が豊かだったんだと思う。

以前にも書いたが、クドクド復唱すると記憶は強固になって大袈裟になる。
それでもクドクドしたい人は、視点を変えてクドクドしてみては如何だろうか。
海馬はちゃんと上書きしてくれると思う。
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ネリーのサラブレッド

2019-02-19 | 思うこと
娘と再三観た「大草原の小さな家」の中で、「二人だけのレース」という話がある。
ローラの愛馬と、街であっさり買ってもらった「意地悪ネリーの高級サラブレッド」がレースで競う話である。

小さくなった子どもの靴も買えないインガルス家では、馬の蹄鉄どころじゃなくて、ローラはそれを買うためのお金を稼ぐところから始めなければならなった。
疲れて家に帰ってからも、手伝いの仕事がどっさり。
馬小屋の掃除をしながらローラがボヤく。
「神様は不公平だなあと思って」

レース当日にもローラには不利なことが重なった。
でも勝ったのはローラだった。
私はこの話が好きである。

理屈で「いいもの」とされているものを与えられても、モノにしないと関係ないのである。
何が言いたいかというと、昨日、娘の年度最後の試験が返ってきたのである。

家庭教師は一流と言われている大学の才女。
それに高いお金を払っているのが、ネリーの母ならぬワタシ( ;∀;)
人は「よいもの」をさも得意に吹聴したがるが、自分が実際にモノにするのは難しいのだと思う。



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便利な言葉

2019-02-18 | 海辞典
【マインドコントロール】
巧みな情報操作によって,行動・思想・感情に全人的な変化を,自然にかつ強固に一定の方向に導くこと。
(百科事典マイペディア)


洗脳は、長時間にわたる身体的拘束や拷問、薬物の投与などにより、個人の精神構造(信念やアイデンティティー)を強制的に変えるものである。
これに対してマインド・コントロールは、物理的・身体的に強制的な方法を用いずに、本人にもまた周囲の人々にも、それとは気づかれないうちに個人の精神構造に影響力を及ぼすような、洗練された社会心理学的テクニックである。
しかし、マインド・コントロールという言葉は心理学の用語としては認められておらず、カルトが暗黙のうちに使っているテクニックをそう呼ぶようになった。
((株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」)


【マインドコントロール】
親など逆らえない立場の人から強烈な教育されたとしても、他からいくらでも学べる情報社会にいながら、それを怠り、こうなったのは人のせいにしたい時に絶好の言葉。
これを持ち出せば、一定の理解と同情をされる。

自分は個人的に、その知識は「無い」わけでなく、むしろソラで言えるほどあって、そういうものは存在するのかもしれないが、実感ができないのが残念である。
もっとも実感ができないものがマインドコントロールといわれるが。

また「巧みな情報操作によって,行動・思想・感情に全人的な変化を,自然にかつ強固に一定の方向に導く」というので、ぜひ子どもの躾と教育に生かしたいと頑張ってみたいが、我が子でさえ「自然にかつ強固」など本当に難しい。
ちなみに悪い誘導はなぜか簡単。
要は都合のわるいことだけを都合よく選抜して使う言葉のようである。
同じ「巧みな情報操作によって,行動・思想・感情に全人的な変化を,自然にかつ強固に一定の方向に導いた」にしても、都合のよいことは都合よろしく「背中を押された」「☆覚醒☆」「自分で気づいたからこそ」とキレイに言われて、侮蔑をこめたMCのそれとは別にされる。

デジタル海辞典(版元不明)



夫の友人で、幼少より毛穴から医者になるように強固に教育されて、これ以外は認められない如くにレールを敷かれた人がいる。
最終的に医者になれずに心を病んでしまったが、その過程において一人っ子だの長男だの、言い訳ばかりがながったらしく、アラフィフになった今もまだごちゃごちゃ言っている。
彼もきっと、親だの環境だのにマインドコントロールされたと言いたいのだろう。
でも「医者になる」という目的だけは、なぜか学校にも先生にもマインドコントロールされなかった。
勝手な理屈と感じてしまうんだけれど…

尚「コントロールされた」と勧んで言いたがる人は同時に与えられたものも人一倍あるということなのに、それを生かせないとは、なんとまあMOTTAINA~I!!



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論破

2019-02-17 | 海辞典
ろんぱ【論破】
相手の理論・切論を破ること。対象を言い破ること。議論で相手を言い負かす・屈服させることなどを意味する。
(ニコニコ大百科)

 
ろんぱ【論破】
ツチノコとUFOと、鎌倉時代の伝説と、姿を消してからのD作先生同様、実在するものなのか疑わしい。
少なくとも私は見たことがない。
見たことがあるのは
①「こうだ」と思うお互いが、お互いをやりこめようとして、平行線のまま捨て台詞を吐いてモノ別れすること。
②最初から興味をもって納得したい人を信じ込ませること。
或いは無理強い。
それを「論破」だと思いこんでいる人。

デジタル海辞典(版元不明)


それでもファンタジーを夢見て挑む人が後を絶たない。

不毛な争いを生むだけと思う。
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冬の会話

2019-02-16 | 娘と夫の話
テレビでヘレンケラーについての番組をやっていたら、娘がびっくりして
「ヘレンケラーってノンフィクションだったの?!」
アンタ、唯一読んだはずの伝記じゃなかったのかい( ̄_ ̄ i)
すると夫が
「そうだよピノコ。でもね、人は目が見えなくても耳が聞こえればいいんだよ」
いや、ヘレンケラー目だけじゃなくて耳も聞こえなくなったから。
「え?そうなの?!」
この二人と話していると時々調子が狂う。

国語のテストで「『月』について日常に思うことを100文字以内で書きなさい」という、最高で10点もらえる問題があったそうだ。
「私、心にもないこと書いたら10点もらえた。しかも100文字ぴったりだったんだよ」
「勉強に疲れた時、窓から夜空を見た。今夜は満月…」
ウソつけ!!アンタ勉強に疲れたらスマホ見るやろ( ̄∇ ̄)
「勉強している時も部活をしている時も、月は私たちを見守っている」「うっとりと見つめていると癒される、月はとても素敵」
……これこそフィクションと思うが。( ̄_ ̄ i)

「ママだったら何て書く?」
うーん、満月の日は安産といわれる。なぜならば…
「はいダメ。出産って日常じゃないし」
「パパは?」
「最近、中国が月に探査機送っただろ?月の裏側を調べてるんだよ。月ってのは地球から見たら一面しか見えてないだろ。だから…」
「はいブブー。100文字超えるわ」

人それぞれ得手不得手、個性、適正があるもんである。
私になんかには適当に反発して、自分の思うように生きてくれればいいわ。







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真っ向から書きます8(改定)

2019-02-16 | S教団関係
度々書いているが、私はマインドコントロールというものがよくわからない。
例えば、今思えば変なことに従っていたことについて。
「それはただ、言いにくかっただけじゃないかなあ」と書いている。

大勢がこうですよと言っている中で「そうなんですね」と言っていれば(或いは黙っていれば)、穏便で平和だったから。
人と摩擦を起こさずに済んだから。
むしろ喜ばれて褒められたから。
列も空気も乱さず、人から「めんどうくさい人」、或いは「文句ばっかりの軟弱な人」と思われなかったから。
万人をねじ伏せる印籠の骨頂大人の対応ってやつである。
ある意味、よくあるふつうのことだと思う。

違和感をもっても、そんな波乱を起こすくらいなら押し黙る方を「自分が」選んだ。
その代わり、揉めないでスムーズにいくことを享受した。
それだけのことなのでは?

そういう私だってこんなことを
大勢が「それはマインドコントロールだったんですよ」と口を揃える集団の中で言うのは憚れる。
大勢がこうですよと満足している中で、一人で異論を、直接風を切って言うと、角も波風も立つ。
「列も空気も乱す、めんどくさい人」と思われるのが怖いなあと思う。
だからそんなことはしないで、自分のブログで一人ボヤいている。

「直立不動で軍歌をうたうことに、たまらなく嫌だった」
「もともと私は、人は人、自分は自分という考えで、人に立ち入っておせっかいを言ったり、何かをお願いするのが苦痛でしょうがなかった」
もっともだと思う。

こういう人のどうしようもない嗜好や信条を、いったい他人が「そうではない」とコントロールできるだろうか?
私は絶対できないと思う。
ネットの論争で、お互いが自分の意見はテコでも譲らない人をどちらかがねじ伏せられるだろうか?
私は見たことがない。
まっさらな赤ん坊から育てたはずの我が子でさえ、「こうだ」と思えば曲げない様子をみて、他人のマインドをコントロールなどどうやって?と不思議に思う。

人は誰も、自分ではない他人をコントロールなんてできないと思う。

でも意に沿わないことに従ったのは、決して思考停止していたからではなく、むしろ意志と思考を働かせて、揉めることを引き換えにすることをよしとしなかっただけでは?

シンパからアンチになったところで同じである。
意見は「自分だけじゃなかったんだーー」という安心感の下、大勢の賛同の中ならば言える。(そうでないなら言いたくない)
匿名で済むネットならば書きたい。
白眼視されずに済む中でならつぶやきたい。
そしてその時言えなかった理由を、「自分がそれを選んだ」ではなく、何が楽しいのか「MCされていたから」と言いたい。

いくら偉い学者さんの文献を出されても、大勢が当たり前のように言っても、私はこの「マインドコントロールされていた」という教え?には何故かマインドをコントロールされない。
入ってこない。
「前はこれを選んでいたけど、ああ違うなあと思って今はこっちを選んだ」ではダメなのかな。
そんな奴は一生「マインドコントロールされた」とマインドコントロールされてろ~~~!!
と思ってしまうんだよね。
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