神奈川工科大学/災害支援関連ブログ

2011年4月開始の「東日本大震災被災者支援ブログ」を名称変更し、さらに広い支援活動に関する実践、教育、研究を掲載します

釜石に支援を

2011-12-19 19:05:59 | ボランティア
ロボット・メカトロニクス学科非常勤講師松沢明彦先生より、メッセージ


僕の友である あなたへ

 寒さがひしひしと忍び寄る季節。いかがお過ごしですか?

 私は10月上旬、被災した友人の住む岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)を訪れる機会がありました。岩手県の花巻、遠野、釜石への道は、のどかな景色が続きました。釜石市街に入り、釜石駅を過ぎた道一本にて景色が一変。突然に壊滅状態の街が、目の前に飛び込んできました。約7ヶ月経ても、第三次の爪痕が街じゅうに残っていました。3.11東日本大震災当時は、ほんとうに大変な様相であったことが想像できました。

 さらに、海へ近づき三陸海岸を北上、鵜住居地区へ向かう道で言葉を完全に失いました。破壊ではなく、全く何も残っていない、跡形もない。家の基礎は残るものの、そこには「原っぱ」がただただ広がっていました。「これから街の開発が始まるの?」という原野の土地が続きます。その中心部に鵜住居駅があり、そのすぐそばに友人の家がありました。

 3.11東日本大震災後の大津波が、街の全ての形を奪い去っていきました。その津波が全てを奪い去った場所にて、友人の古川貞治さんと会うことができました。彼は、お母様、叔母様、叔父様、さらに親類の方々を40名以上亡くされました。さらに、同じ地域住民の600名以上が亡くなられていました。「家族も、知り合いも、友達も・・・。『想い出』さえも奪われてしまったんだ」と彼のつぶやき、今でも耳を離れません。

 現在、古川さんは被災者仮設住宅に入れられ、不便な生活を余儀なくされています。その過酷な状況の中でも被災された高齢者の方々に、地域集落の集会所を実費で借りて、ボランティア鍼灸・マッサージ施術をしています。私が訪れた日も施術をされる日で、私もお手伝いをさせていただきました。午後の数時間でしたが、古川先生を訪ねて治療を求める方々が、大勢こられていました。一人ひとりに語りかけ、治療しながら元気付け、とても素敵な空気が集会所を包んでおりました。彼自身も大変な状況にも関わらず、お年寄りに寄り添い、ちっちゃな集会所にてボランティア鍼灸、マッサージ施術をされて、さらに生きる力を伝え続けている。本当に頭が下がる思い、魂が震える感動を覚えました。


その友から【緊急SOS支援求む!】

とても小さい村落のために支援が行き届いておりません。
寒さに向かっており、高齢の方、からだの弱い方が、次の物資を必要としています。

暖かな セーター (高齢者が「ありがたやー」と声が出るもの)
暖かな 毛布 (新品でなくても可。でも、きれいな状態で)
暖かな 下着類 (冬物で新品)
暖かな 靴下 (あなたがほしいと思えるものを)

松沢非常勤講師が窓口で集めていますが、常勤の小川が一時預かります。
E1号館4階401小川研究室または402室小川教員室。
不在時は、E1号館3階302室学科事務室まで。

とりあえずの締め切りを12月26日(月)午前中までとさせていただきます。


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